深く潜れ(Dive Deep)! キネシオロジー&クラニオセイクラル・ワーク(クラニオ)の蒼穹堂治療室

「ココロとカラダ」再生研究所、蒼穹堂治療室が送る、マニアックなまでに深く濃い、極私的治療論とお役立ち(?)情報の数々。

偽善者

2015-04-22 20:27:18 | 趣味人的レビュー

宮部みゆきの同名の原作による映画『ソロモンの偽証』は、見る者それぞれの中に強い残像を残す作品だ。

物語は2014年春、東京都にある城東第三中学校に藤野涼子が教諭として異動してくるところから始まる。校長は藤野を校長室に招き入れ、23年前の「あの出来事」について話を聞かせてほしいと求める。そう、藤野涼子こそ23年前、この城東三中で前代未聞の生徒だけによる学校内裁判を企画、主導した人だった。

事件は、バブルの熱がまだ日本中を覆っていた1990年に起こった。前日からの雪が厚く積もった2学期の終業式の日(クリスマスイブ)、ウサギの飼育係だった藤野涼子が早朝、通用門から学校に入ると、そこには雪に埋まった男子生徒──同じ2年A組の柏木卓也──の遺体が。死因は屋上からの転落死。遺書などは見つからなかったが、現場や遺体の状況から学校と警察は自殺と断定し、事件は終わったかに見えた。だが、そこに送られてきた3通の告発状が事態を一変させる。

その告発状の内容は、「柏木卓也は自殺ではなく、夜中に大出俊次たち3人に屋上から投げ落とされたのを見た」というものだった。

大出たちは普段から素行不良で知られ、過去に彼らから暴力的ないじめにあった生徒は少なくない。だが警察は、その告発状のとおりだとすると、これを書いた人物は大雪が降る夜に学校の屋上にいなければならず、それはあまりにも不自然だとして偽物と判断し、学校の協力を得て密かに誰が書いたのかを探り出そうとする。そんな中、テレビ局に破り捨てられた告発状が、それが入っていた封筒とともに届く。その告発状は2年A組のクラス担任、森内恵美子に送られたものだった。

テレビ局は、告発状を送られた担任の森内がそれを隠すために破り捨てたと考え、番組の中で警察と学校、そして担任の責任を追求し始める。森内はそんな告発状は見ていないし、ましてや破ってなどいないと主張するが、誰も彼女の話に耳を貸そうとせず、失意の中、学校を去った。そして雨の日、やはり2年A組の浅井松子が自動車にはねられて死亡。松井の両親に事件のことを責められた津崎校長も学校を辞めた。

そして3通目の告発状が送られていたのが藤野だった。それは、藤野の父親が刑事だったから。送り主は藤野を通じて、警察が柏木の事件の再捜査に動くようにさせたかったのだが、警察は動かず学校は沈黙したままで事件の真相は一向にわからず、加熱するマスコミ報道が生徒や父兄を疑心暗鬼に陥らせていた。

そのまま3年になった藤野たちだったが、柏木と同じ小学校に通っていたという東都大付属中学3年の神原和彦と出会い、藤野は事件のことは自分たちで決着をつけなければならないと決意し、旧2年A組の生徒たちで裁判を開くことを提案して仲間を集め始める。だが教師や親たちがそれを許すはずもなく、彼らの試みは暗礁に乗り上げたに見えたが…。



原作は「第1部 事件」「第2部 決意」「第3部 法廷」の3部構成だが、映画は「前篇 事件」「後篇 裁判」の2部構成になっている。文庫本6冊だから、テレビドラマなら優に1クール持たせられるだけの分量のものを映画2本にまとめるのは相当な力技だっただろうと推察するが(ちなみに私は原作は読んでいない)、非常にスピード感のあるいい作品になった。


この『ソロモンの偽証』には、作品を貫く1つのキーワードがある。それは「偽善者」という言葉だ。

藤野涼子は学級委員を務める、いわゆる模範的な生徒だが、ある時、2年A組の三宅樹里と浅井松子が大出俊次たちからひどいいじめを受けているのを目撃してしまう。そして何もせず、その場から黙って立ち去ろうとする彼女は、それを柏木卓也に見られ、彼から「偽善者」という言葉を浴びせかけられる。「(クラスの中では「いじめを見たら立ち向かいましょう」なんて言っておきながら実際には何もしない)お前みたいな偽善者が一番たちが悪いんだ」と。

そしてもう1人、他校からこの城東三中の学校内裁判に加わることになった神原和彦も柏木から「偽善者」と言われた1人で、「彼に試されている気がするんだ。お前に俺のこの死の謎が解けるか、と」と語る。

藤野と神原は、この柏木の「偽善者」という言葉に突き動かされるように学校内裁判へと向かって突き進んでいく。それは『ソロモンの偽証』というタイトルが示すように一筋縄ではいかないものだったのだが、それでも「偽善者」という言葉に真っ直ぐに真っ正直に向き合い、それに抗う中学生の姿は、本当に清々しい。特に私など、「偽善者」ですらないからね。


中学生を演じるのは、オーディションで選ばれた33名。中でも藤野涼子を演じた子は、役名そのものを自分の芸名にした(三国連太郎みたいだ)。彼らの演技は決してこなれているとは言えないが、それが逆に昔のNHK少年ドラマシリーズを見てるみたいで、つい見入ってしまった。そう、これは今はなき少年ドラマシリーズが取り上げるべき作品なのだ。

と同時に、この映画の新聞広告の中で、木村健太郎という弁護士はこう書いている。

これは裁判劇ではない。
リアルな裁判そのものだ。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 東京三菱UFJ銀行からの本人確... | トップ | 潜在意識は否定形を理解でき... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

趣味人的レビュー」カテゴリの最新記事