その患者は胃の疲れと、そこから来ている左の頚肩部のこり/張りと左頭頂部の痛みを訴えた。最近、身内に不幸があり、その葬儀などでバタバタしていたことで胃に疲れが出たようだ、と。
調べてみると、左季肋部、頚切痕、臍部、下腹部それぞれの部分に肉体より上位のところの弱さがある上に、それぞれの部位に「プレッシャー」の感情の波動と「膵臓癌」「膵臓腺癌」「CA19-9(膵臓癌の腫瘍マーカ)」「NSE(食道癌、胃癌、膵臓癌などの腫瘍マーカ)」の癌関係の波動での反応があった。もちろん、だからといってその人が癌だというわけではないが、膵臓にかなり大きな負荷がかかっていることは明らかだった。
クラニオ(=クラニオセイクラル;頭蓋仙骨療法)の一環として胸椎をホールドしながら、膵臓付近をフォーカシングしてもらうと、フェルト・センス(=微妙な身体感覚)としてまず、痛がゆくて疲れた感じが現れ、それが、疲れた感じは取れたものの、痛がゆくて血がにじんだような感じを経て、重い固まりのような感じへと変わっていったのだが、そこで、息子が現れて、チューリップのような形をした包みを先生に渡そうと言っている、というイメージが現れた。
私は一旦、胸椎のホールドをやめて、この時点で出ていた左の肩甲下部から側胸部の肉体より上の部分の弱さを取ってみたが、膵臓付近の重い固まりのようなフェルト・センスは変わらず、息子がチューリップのような形の包みを先生に渡すようにせっついている、とのこと。
そこで、下部胸椎をホールドした後、「じゃあ、それを私に下さい」と患者に話した。すると、さっきまでかけて取ったはずの、左の肩甲下部から側胸部の肉体より上の部分の弱さが再び現れてきた。それだけではない。その肉体より上のところの弱さは、下は左の側胸部から膝の外側まで、上は左の側頚部から頭頂部まで(これは、こり/張りと痛みを訴えていた部分とほぼ重なるものだった)現れたのだ。まるでそれは、体が今まで抱え込んでいたものを一気に手放したように感じられた。
改めてそれらの弱さを取ると、体がずいぶん楽になった、と。もちろん、その間、首や肩をもむようなことは一切やっていない。ただ頭痛だけは残っていたので、フォーカシングでどこを治療すればいいか体に教えてもらい、左の肩甲間部から後頭部と、左の下顎角から右の前頭部に、エネルギーの流れを通すテクニックを使って治療した。
治療後、膵臓が非常な負荷を受けていたこと、そしてそれは、最近あった出来事にまつわるさまざまな感情のうち、意識に昇らず意識下で密かに処理されるものが膵臓に回されてきて、膵臓がそれらを抱え込んでしまっていたのではないか、といったことを、その人に話した。すると、その人が「そういえば、最近、低血糖症のような状態になったことがある」と言っていたので、多分それも膵臓がパニックを起こした結果なのだろう、といったことを二人で話し合った。
この治療でわかったことは、その時、体に出ている反応が、その人の体の状態全てを表しているのではない、ということだ。治療ではしばしば、出ていた反応は全て解決したのに症状がほとんど、あるいは全く変わらない、といったことが起こる。その原因は、もちろんさまざまなことが考えられるが、一つには体が何らかの理由で何かを抱え込んでいる、あるいは手放せない状態になっていることで、表面化していない反応がまだ大量に残っている、といったことがあるのかもしれない。その場合、それを体が手放せるように持っていかない限り、良くなってはいかない。そしてそれは、単に脊柱のサブラクセーション/フィクセーション(俗に言う、背骨のズレ)を見つけてアジャストメント(矯正)すればいいとか、ツボに鍼を打てばいい、といったことではないと思う。
いずれにせよ、大いに学びになる治療だった。治療をやっていて何が楽しいかと言えば、こういうスリリングな発見があることだ。以前、ある治療家が出しているメルマガに「『患者さんが先生です』なんて言っている先生に、あなたは治療を受けたいですか」なんて書かれていたが、私は堂々と言う。「患者さんが私の先生です」と。
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専門的かつわかりやすいクラニオセイクラルセラピーの説明が
御自身の勉強とはいえ翻訳される過程でできたものであることをうかかがいしることができ大変参考になりました。早速バイオダイナミクスの本を注文し勉強させて頂きたいと思っております。
私はいま診療所に勤務しておりまして(専門は精神科です)
患者さんに触れるなかでクレニオを取り入れておりますが、もともとこころといった目に見えない世界を扱うため(あまり使いたくない言葉ですが)邪気といったものを感じたり受けたりするように思いますが先生のところにおいてはどのようにお受け止めになっていらっしゃるのかお聞きしたいところであります。私個人としては触れるとはメルトすることだと思っていたのですが、、、。よろしくお願い申し上げます。
> 私個人としては触れるとはメルトすることだと思っていたのですが、、、。
私もそう教わってきましたが、クラニオのバイオダイナミック・アプローチを勉強してから、考えが変わりました。
『ウィズダム~』にも出てきますが、バイオダイナミック・アプローチではクラニオを行う際、施術者支点(practitioner's fulcrum)を作れ、ということが言われます。それは施術者が患者の生体場(biospere)を侵害しないようにする(と同時に、施術者の自己防衛の)ためのもので、その境界があいまいになると思わぬ問題が発生する、と考えられています。
そのため私自身は、手を「メルトする」ことで両者の間の境界をあいまいにしはしないか、という恐れがあって、今はそういうことはやめているわけです。
邪気については、少し前に、はりきゅう.com(http://www.harikyu.com)で、治療していて邪気を感じる/感じない論争がありましたが、私は鈍いせいか、あまりそういったものは感じないできました。小泉元総理風に言えば「鈍感力が大事」ということでしょうか??
本の方で勉強させていただきます。
また宜しくお願いいたします。
山口 新太郎