私は10年前に会社員を辞めて治療業界に入った。もといた会社は大手電機メーカの100%出資の子会社で、当初はファームウェア開発の専門会社として設立され、後にハードウェアやライブラリなども手掛けるようになった。私はそこで12年、開発の仕事を担当したが、メーカなのに自分の作りたいもの──つまり、メークしたいもの──が何もない、ということに気づき、また自身が鬱病になったこともあったりして、全然畑違いの治療業界に入ってきた。
治療は好きだし、やっていて楽しい。だが、じゃあ治療家が自分の100%やりたかったことなのか、一生をかけて悔いのないものか、と問われると、よくわからない。そして今、「ライフワークを生きよう」と主張する本田健の通信コースを受講したり、そこから派生した教えに接して、何が自分にとってのライフワークなのか、ということを考える中で、NHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』に出てきた鮨職人、小野二郎を見て、天職というものについて改めて思ったことがある。
小野二郎は鮨職人として、先頃ミシュラン・ガイドで三つ星を獲得した、その道の名人と言える人だが、本人は望んでその道に入ったわけではなかった。7歳の時、家が傾き、半ば口減らしのために料亭に奉公に行かされることになったのだという。小学校に行きながら奉公し、戦後は割烹で板前をしていた。そこで客から、ある有名な鮨屋を紹介されて、そこに修行に入り、その後、40代で銀座数寄屋橋に自分の店を開いて、今に至る。現在、82歳で現役の鮨職人である。
小野二郎はとにかく不器用で、修行に入った鮨屋で教えられた握り方がいつまでたってもできず、皆が休んでいる時も、シャリの代わりに買ってきたおからで握りの練習をしなければならないほどだったという。その不器用さが現在の「二郎握り」を作り出したというのも面白いが、とにかく今でも折り詰めの包装が自分ではできないのだと話していた。
その不器用な男が、いつの間にか鮨職人の頂点を極めていた。多分、現在の小野二郎にとって鮨職人は天職でありライフワークなのだろうが、彼は別に自ら望んで料理人になったのではない、ということが妙に頭に残っている。彼は、たまたま奉公先が料亭だったため、やむなく料理界で生きることになってしまった、というだけのことだ。ただ、常にその先を目指して努力するという彼の仕事に対する姿勢を見ていると、彼の奉公先が料亭ではなく仕立屋だったとしても、やはりひとかどの者になっていただろう、とも思う。
天職とかライフワークというと、まず、数多くの職業がある中で何を選ぶか、というところに目がいくが、もしかしたら全く違うのではないか。天職とかライフワークというのは「ある」のではなく、自分でそう「して」いくものなのかもしれない。もちろん、選ぶことが重要でないとは言わない。しかし仕事には、長く続けていて初めてわかることは多い。そして我々は所詮、有限の時間しか持たないのだから、その仕事の本質を知った上で選択することなど、始めからできはしないのだ。
多分、天職とかライフワークに必要なのは、長く続ける「覚悟」と、そこでどう生きるかという「生き方」だけなのだ。その「覚悟」と「生き方」が揃った時、それが自分にとっての天職になりライフワークになる──そんなことを、小野二郎を見ていて思った。
というわけで、私の今年のテーマは、「覚悟」を決め、「生き方」を決めることである。
治療は好きだし、やっていて楽しい。だが、じゃあ治療家が自分の100%やりたかったことなのか、一生をかけて悔いのないものか、と問われると、よくわからない。そして今、「ライフワークを生きよう」と主張する本田健の通信コースを受講したり、そこから派生した教えに接して、何が自分にとってのライフワークなのか、ということを考える中で、NHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』に出てきた鮨職人、小野二郎を見て、天職というものについて改めて思ったことがある。
小野二郎は鮨職人として、先頃ミシュラン・ガイドで三つ星を獲得した、その道の名人と言える人だが、本人は望んでその道に入ったわけではなかった。7歳の時、家が傾き、半ば口減らしのために料亭に奉公に行かされることになったのだという。小学校に行きながら奉公し、戦後は割烹で板前をしていた。そこで客から、ある有名な鮨屋を紹介されて、そこに修行に入り、その後、40代で銀座数寄屋橋に自分の店を開いて、今に至る。現在、82歳で現役の鮨職人である。
小野二郎はとにかく不器用で、修行に入った鮨屋で教えられた握り方がいつまでたってもできず、皆が休んでいる時も、シャリの代わりに買ってきたおからで握りの練習をしなければならないほどだったという。その不器用さが現在の「二郎握り」を作り出したというのも面白いが、とにかく今でも折り詰めの包装が自分ではできないのだと話していた。
その不器用な男が、いつの間にか鮨職人の頂点を極めていた。多分、現在の小野二郎にとって鮨職人は天職でありライフワークなのだろうが、彼は別に自ら望んで料理人になったのではない、ということが妙に頭に残っている。彼は、たまたま奉公先が料亭だったため、やむなく料理界で生きることになってしまった、というだけのことだ。ただ、常にその先を目指して努力するという彼の仕事に対する姿勢を見ていると、彼の奉公先が料亭ではなく仕立屋だったとしても、やはりひとかどの者になっていただろう、とも思う。
天職とかライフワークというと、まず、数多くの職業がある中で何を選ぶか、というところに目がいくが、もしかしたら全く違うのではないか。天職とかライフワークというのは「ある」のではなく、自分でそう「して」いくものなのかもしれない。もちろん、選ぶことが重要でないとは言わない。しかし仕事には、長く続けていて初めてわかることは多い。そして我々は所詮、有限の時間しか持たないのだから、その仕事の本質を知った上で選択することなど、始めからできはしないのだ。
多分、天職とかライフワークに必要なのは、長く続ける「覚悟」と、そこでどう生きるかという「生き方」だけなのだ。その「覚悟」と「生き方」が揃った時、それが自分にとっての天職になりライフワークになる──そんなことを、小野二郎を見ていて思った。
というわけで、私の今年のテーマは、「覚悟」を決め、「生き方」を決めることである。
私も帰省中にたまたま見たこの番組と「天職」と言う言葉が気になっていて、検索でここにたどりつきました。この番組を偶然見ることができてほんとに良かったなと思います。
自分にも迷いがすごくあって(今ももちろんありますが・笑)、でも小野さんの話を聞いてはっとさせられました。
そうなんですよね。。。目の前のことをやるだけでいいとはいえないですが、まず目の前のことをきちんとやってから次を考えなきゃいけないんだよ、自分!とか思いました。
>多分、天職とかライフワークに必要なのは、長く続ける「覚悟」と、そこでどう生きるかという「生き方」だけなのだ。
この言葉、いいですね。私もかっこ良く強く、仕事にプライドをもってがんばりたいと思います。
このブログ記事を見て、似たようなことを感じた方がいるんだ!と思い、突然語ってしまってすみませんでした(笑)
どうもありがとうございます。
『プロフェッショナル』にはさまざまな職業人が登場してきましたが、その多くが、自分でコレと決めてやっている人たちです。だから、小野さんのように「自分の意思とは無関係に、やる羽目になってしまった」ことを天職にしてしまった人、というのは、また別の輝きを感じますね。