6/14は午後から治療院を閉めて映画を2本見に行ってきた。1本目は日比谷で『怪物はささやく』を、そして2本目は西新井で『22年目の告白―私が殺人犯です―』を。今回は2本とも当たりで、そういう意味では満足して映画館を出たのだが、『怪物はささやく』を見ている途中から頭痛が起こり、『22年目の告白』は頭痛を抱えながら見る羽目になってしまった。
私は頭痛持ちなので、こういうことがある。いくつか頭痛が起こりやすいシチュエーションというのがあって、その1つが狭い場所に長時間いることだ(といっても別に閉所恐怖症というわけではなく、またそういう状況で必ず頭痛になるわけでもない)。
そして一度頭痛になると、なかなか治らない。下手すると数日~1週間くらい続くこともある。セルフでクラニオなどもやってみているが、いい結果が出ないことが多い。以前はセミナーを受けに行って何度か頭痛になったことがあり、そこで何人かの先生の治療を受けたこともあるが、余計ひどくなることはあっても治してくれた人は皆無だった(もちろんセミナーの場でのことであり、本気の治療ではなかったかもしれないが)。
今回も頭蓋のアステリオン(ラムダ状縫合、頭頂乳突縫合、後頭乳突縫合の交わるポイント)付近の圧縮などがありセルフ・クラニオを使ってみたが上手くいかず、ちょっと方針を変えてフォーカシングを使ってみたら、そこで分かったことがある。今回の頭痛は私の中のささやかな「罪と罰」だった、ということだ。
現在、治療院の経営は上手くいってない。ハッキリ言って危機的状況というか、それを越えてしまっている。だから、本当なら必死こいてテコ入れを図らなきゃならないはずだが、そういうことに全然モチベーションが湧かず、心のどこかでは「マズいな~」と思いながら、ノホホンと映画なんか見に行ってたわけだ。
その「本当なら必死こいてテコ入れを図らなきゃならないはずだが、ノホホンと映画なんか見に行ってた」ことを私の中の何かが「罪」だと感じ、それに対する「罰」として頭痛を起こしたようなのだ。
それは逆に言うと、私は「頭痛になる」という「罰」を受けたことで、形の上では「危機的な状況にある治療院を放って映画を見に行った」という「罪」を贖った、ということでもある。時々ドラマなどで、「刑務所でお勤めを済ませてきたから、罪は償った」みたいな話がある。服役することと犯した罪が消えることとの間には実質的な関係は何もないはずだが、社会生活上は「罰」を受けたことで形の上では「罪」が帳消しになったことになる。私の場合も、頭痛になることと引き替えに治療院を放って映画を見に行ったことを、形式的に帳消しにしようとしたのだ。
フォーカシングでそうしたことが分かったら、そこでフェルト・シフトが起こり、今回の頭痛は消えた。その間、ほんの30分くらい。アステリオンの圧縮も頭痛の原因というよりは、上に述べたようなことの結果として生じたものだろう。
実は臨床でも似たような事例があった。それについては「臨床の現場から 7」を参照されたい。
なお、関係ないがせっかくなので『怪物はささやく』と『22年目の告白―私が殺人犯です―』の予告編もついでにつけておこう。どちらもオススメだ(少なくとも「カネ返せ」と言いたくなるような映画ではない)。
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