私は治療家を名乗っているが、人の体とか解剖・生理に特別の思い入れや関心があるわけではないし、「困ってる人を救いたくて」とか「世のため人のため」なんてことのためにやっているわけでもない。では、そんな自分が治療家なんてことをしているのは何のためか──そんなことをよく考える。
辿り着いた現時点での答は、「この世界の核心に触れたい」ということ。私にとって治療というのは、そこに至るための手段の1つという位置づけだ。そんなことをある人に言ったら、ちょっと引かれたが、私の中ではそれが今のところ自分の中で一番しっくり来る答だ。
それは「目標」なんて大それたものではなく、自分の進んでいる方向をチェックするためのただの「指標」のようなものだが、そういうものがあると、少なくともやっていることが(世間的な規範に照らして、ではなく、自分の望んでいることに対して)正しいか間違っているかを判断することができる。逆に言えば、方向さえズレていなければ何をやってもいいと私は思うのだ。
その方向に進んだ果てに何があるのかはわからないが、そこを目指して進むことは少なくとも自分にとって不幸であるとは思わない。
水野浩志さんのメルマガ「1回3分でレベルアップ! 相手の心を掴むトーク術」からの引用を、さだまさしの『しあわせについて』とともに。
ネットで非常に興味部会記事を見つけました。
【異色座談会 年収3億円×年収300万円
開成→東大 同じ学歴でもこんなに違う生活と考え方】
というタイトル。
実に興味をそそられますね。
この対談に登場する人物は3人。
上のタイトルにあるように、3人とも、開成高校から
東京大学に進んで社会人となる、という、日本では
トップクラスの学歴街道を歩んだ人たち。
しかし、アラフォーとなった今、この3人の人生は
大きく別れていきました。
1人目のAは、工学部を卒業後、外資系証券会社に入社。
トレーダーとして腕を鳴らし、年収はピーク時は3億円。
都心に億ション、軽井沢に別荘を持つ、という、典型的な
お金持ち気質。
もう1人のBは、法学部を卒業してメーカーに勤めるも、
1年で辞め、JT違法の政令指定都市の職員として勤務。
基本的には残業もせず定時で帰る、年収700万円の
生活を送っています。
そして最後の1人のCは、文学部を卒業後、ロースクールに
特待生として入り、弁護士を目指しました。
しかし、なかなか司法試験に合格することが出来ず、
30歳を過ぎてようやく資格取得。
現在は、首都圏の弁護士事務所に勤務という、いわゆる
「イソ弁」状態で、年収は300万円。
と、こんな3人が、お互いの今の生き方を見て意見を述べつつ、
自分の人生をどう考えているかを語り合う、という記事なのです。
ね? 面白そうでしょ?!
そして、実際にその記事を読んでみると、これまた予想以上に
面白い記事でありました。
ということで、ちょっと長めの記事になりますが、まずはこちらの
サイトで、この3人のそれぞれの人生観と、他の人間がどう見えて
いるのか、是非ご覧下さい。
→ http://www.mizunohiroshi.net/milky/cs.cgi?m=mag_biz&c=4345&u=2492
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● 幸せに生きる、という事
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さて、この3人の生き方や考え方に、皆さんはどのような
印象を持ったでしょうか。
圧倒的にお金にこだわりながら、資本主義の権化のように
生きているAさん。
創造的、生産的生き方には目もくれず、自分も含めた
身の回りの人々の幸せと安定を追求するBさん。
そして、権威に執着し、Aさんの生き方も、Bさんの生き方も
否定し、かといって、自分自身の生き方にも疑問を感じながら
次の生き方を模索するCさん。
どれもこれも、世間ではよく見る典型的な生き方の
3タイプですよね。
もちろん、どの生き方が正しくて、どの生き方が間違っている、
というつもりは、私は全くありません。
しかし、
■ この3人のうち、誰が一番不幸な生き方をしているか?
という点を問うとするならば、私は、Cさんのように思えてならない
んですよね。
それは、記事中にある次の一言に象徴されています。
> C 思ったんだけど、AもBさんも、自分の人生こそが幸せで
> 正しいと思っているでしょう。
この質問に対して、間髪入れず、二人はこう答えています。
> A・B うん。
おそらくは、AさんBさんの生き方に、異論のある方は
たくさんいらっしゃることでしょう。
それでもなお、彼らは自らの生き方が正しく、そして幸せだと
考えて、その道をひたすら歩んでいるんですよね。
だから、記事中では、AさんとBさんが、互いの生き方を
否定しあうシーンもあるのですが、どうやらお互い、
これっぽっちも傷ついたり、考えを改めたりなどする
気配がありません。
どれだけ否定されようと、自分の生き方や自分の仕事について
信念を持って取り組んでいるようです。
しかし、Cさんは、「権威」という、人から評価されることに
こだわるせいか、弁護士という仕事に思い入れは無く、ただ評価が
欲しかったからだ、言い切り、信念も何も無いようです。
さらに、AさんやBさんからちょっと現状を否定的に突っ込まれると
「お前にそんなこと言われたくない」
とか、
「いや、路頭に迷ったは言い過ぎでは……」
と、過敏に反応したり、言い訳めいた否定をする。
しかし、なぜそうなってしまうのか。
それは、先ほどの会話の続きに現れています。
AさんとBさんが、自分の事を正しく幸せだと言い切った後、
3人の会話はこう続きます。
> C 年収300万円の俺に言わせてもらえば、どっちも別に
> 幸せじゃないよ。
> 債券が売れた売れないで震える生活も、ローカルな
> 無敵感を味わう生活も。
>
> A じゃあ、お前が思う幸せな生活は何なんだ。
>
> C それがわからないから困っている。
結局、Cさんは、人を否定することは出来ても、自分自身の
揺るぎない幸せを定義出来ていないがゆえに、幸せではない、
少なくとも、自分の望み通りの人生を歩んでいない状態に
なってしまっているんですよね。
しかし、メルマガをお読みの方たちの中には、
「だからといって、AさんやBさんの生き方は、認められない!」
と、強く思う人もいらっしゃるでしょうね。
私自身も、以前はそういう気持ちが強く湧いて出てきて、
イライラしたものでした。
もちろん、今でも、Cさん含め、この人たちの生き方というのは
嫌いであり、自分がやれと言われたら、絶対にやらないでしょうね。
でも、最近は、以前ほどそういう人が現れても腹は立たなくなり、
ふーん、そういう考えなんだ、と思えるようになりました。
それはなぜか。理由は色々ありますが、一番大きいのは、やはり
★ 自分の生き方や考え方が決まってきたから
なんですよね。
ただ、私の場合、AさんやBさんのように、
「幸せとはこうである」
という、具体的な定義があるわけでは無いんです。
むしろ、状況的には、Cさんに近い状態であると言えましょう。
しかし、Cさんと違う点が1つあります。それは、
★ 悩み続けることを、不幸と捉えず、その状態を受け入れる
という事を決めたから。
だから、Cさんのように、生き方が定まらず、悩んでいたとしても、
その状況を決して否定せず、思う存分、悩むことを受け入れ、むしろ
それを楽しむくらいの気持ちでいるんですよね。
そう考えれば、決して自分は不幸じゃありませんし、むしろ
AさんやBさんが、すでに幸せの定義を確定してしまった
底の浅いものでは無く、死ぬまで自分の真の幸せとはなんぞや、
という事を深めていける分、彼らより良い人生が送れるんじゃ
無いか、とすら思えるわけです。
そう思えれば、別にCさんのように、AさんやBさんの生き方に
腹を立てることも無くなり、
「お互いそれぞれの幸せを求めていきましょう」
という、にこやかな気持ちになれるというものです。
世の中には、Cさんのような、自分の幸せが解らず、
かといって、わかりやすい幸せを手に入れて、
割り切って生きることは出来ない、という人も
たくさんいることでしょう。
それでも、今の状況を肯定的に受け入れることが出来たら、
少なくとも今まで以上に幸せに、そして楽な気持ちで生きる
ことが出来る様になるでしょうね。
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