『DEATH NOTE』とは、そこに名前を書き込むだけで人を殺せる死神のノートを手に、法が裁けない犯罪者を抹殺し新世界の神にならんとする夜神月(やがみ ライト)(通称キラ)と、それを阻止しようとする謎の名探偵L(エル)との戦いを描いた物語である。
そのクライマックスで、月はデス・ノートにLの本名を書き込み、Lを殺すことに成功した…と思った、その刹那、デス・ノートに確かに名前が書かれたはずのLが、生きて再び姿を現す。実は、Lは月がデス・ノートを使って自分を殺すと読み、その前に自分で自分の名前をノートに書き込んでいたのだ。「(デス・ノートで指定することのできる最長の期間である)23日後、眠りの中で安らかに死亡」という指定とともに。そして月は死に、Lもまた自分の手足とも言うべきワタリを失い、自らも残り20日の命、という形で「キラ事件」は終わりを迎えた──というのが、映画版『DEATH NOTE』。
この映画版『DEATH NOTE』からのスピンオフ企画『L change the world』は、「キラ事件」の後の、Lが死ぬまでの20日間の物語である。原作のマンガ版『DEATH NOTE』は、物語のなかばでLが死ぬので、これは原作を離れた、純粋に映画版の続編である。
『DEATH NOTE』が、夜神月とLという2人の天才の知力の限りを尽くした頭脳戦だったのに対し、『L change the world』はLがバイオ・テロを阻止する、という話なので、ストーリーは非常にシンプルで、物語がどんな方向に進んでいくのかわからない『DEATH NOTE』のようなワクワク感はない。恐らく「キラ事件」の前のLなら、自分は本部の端末の前で推理だけして、あとの細々した指示はワタリを通じて行うだけで、ほぼすんだ事件だったはずだ。だから、この『L change the world』は、本来、安楽椅子探偵だったはずのLが、自らの体を使って事件解決に動かざるを得なくなった、というところがミソ。本来なら、本部で立て膝座りしてお菓子を食べているはずのLが、事件の鍵を握る子供と一緒にママチャリで街を走っているシーンが、そのことを象徴的に表している。
その部分を除けば、ストーリーそのものは、よくあるパニックもののバリエーションでしかなく、魅力を感じなかったが、1つだけこの映画で非常に感心したことがある。死の時が日一日と近づく中でも、Lはそれまでと少しも変わることなく、今、自分がやるべきことを淡々と、そして着々と、行っていたことだ。こんな、死期が迫っている、という作品を日本で撮ると、どうしてもウェットになってしまって、迫り来る死の影に怯えて七転八倒する、みたいな部分がどうしても出てきてしまうが、この『L change the world』には、それが全くなくて、そのドライな感じが観ていて心地よかった。
それは、Lが既にデス・ノートで自分自身の安らかな死を約束されているためもあるだろうし、L自身があまり自分の感情を外に出すキャラではないせいもあるだろう。しかし、死を目の前にしながら淡々として何も変わることのないLの姿が、私にはとてもまぶしかった。自分もそうありたいと、本気で思った。そして、事件を解決して去っていくLが最後に語る言葉がいい。格好つけでなく本心から、そんな言葉が死を前にした自分から出てくるなら、それは間違いなく幸せな生だったと言えるだろう。
『L change the world』は、映画としての出来は特に評価しないが、そんな「生き方」と「死に方」を教えてもらった、という意味で、私にはいい映画だった。
…というわけで、あまり褒めてないけど、興味のある方は公式HPを見て下さい。あぁそれから、書き忘れていたけど、この映画には最後にマンガ版の原作を知っている人のために、あるお遊びが仕掛けられていることも付け加えておこう。
そのクライマックスで、月はデス・ノートにLの本名を書き込み、Lを殺すことに成功した…と思った、その刹那、デス・ノートに確かに名前が書かれたはずのLが、生きて再び姿を現す。実は、Lは月がデス・ノートを使って自分を殺すと読み、その前に自分で自分の名前をノートに書き込んでいたのだ。「(デス・ノートで指定することのできる最長の期間である)23日後、眠りの中で安らかに死亡」という指定とともに。そして月は死に、Lもまた自分の手足とも言うべきワタリを失い、自らも残り20日の命、という形で「キラ事件」は終わりを迎えた──というのが、映画版『DEATH NOTE』。
この映画版『DEATH NOTE』からのスピンオフ企画『L change the world』は、「キラ事件」の後の、Lが死ぬまでの20日間の物語である。原作のマンガ版『DEATH NOTE』は、物語のなかばでLが死ぬので、これは原作を離れた、純粋に映画版の続編である。
『DEATH NOTE』が、夜神月とLという2人の天才の知力の限りを尽くした頭脳戦だったのに対し、『L change the world』はLがバイオ・テロを阻止する、という話なので、ストーリーは非常にシンプルで、物語がどんな方向に進んでいくのかわからない『DEATH NOTE』のようなワクワク感はない。恐らく「キラ事件」の前のLなら、自分は本部の端末の前で推理だけして、あとの細々した指示はワタリを通じて行うだけで、ほぼすんだ事件だったはずだ。だから、この『L change the world』は、本来、安楽椅子探偵だったはずのLが、自らの体を使って事件解決に動かざるを得なくなった、というところがミソ。本来なら、本部で立て膝座りしてお菓子を食べているはずのLが、事件の鍵を握る子供と一緒にママチャリで街を走っているシーンが、そのことを象徴的に表している。
その部分を除けば、ストーリーそのものは、よくあるパニックもののバリエーションでしかなく、魅力を感じなかったが、1つだけこの映画で非常に感心したことがある。死の時が日一日と近づく中でも、Lはそれまでと少しも変わることなく、今、自分がやるべきことを淡々と、そして着々と、行っていたことだ。こんな、死期が迫っている、という作品を日本で撮ると、どうしてもウェットになってしまって、迫り来る死の影に怯えて七転八倒する、みたいな部分がどうしても出てきてしまうが、この『L change the world』には、それが全くなくて、そのドライな感じが観ていて心地よかった。
それは、Lが既にデス・ノートで自分自身の安らかな死を約束されているためもあるだろうし、L自身があまり自分の感情を外に出すキャラではないせいもあるだろう。しかし、死を目の前にしながら淡々として何も変わることのないLの姿が、私にはとてもまぶしかった。自分もそうありたいと、本気で思った。そして、事件を解決して去っていくLが最後に語る言葉がいい。格好つけでなく本心から、そんな言葉が死を前にした自分から出てくるなら、それは間違いなく幸せな生だったと言えるだろう。
『L change the world』は、映画としての出来は特に評価しないが、そんな「生き方」と「死に方」を教えてもらった、という意味で、私にはいい映画だった。
…というわけで、あまり褒めてないけど、興味のある方は公式HPを見て下さい。あぁそれから、書き忘れていたけど、この映画には最後にマンガ版の原作を知っている人のために、あるお遊びが仕掛けられていることも付け加えておこう。
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