決闘を前にして阿良々木暦(あららぎ こよみ)は相手に語りかける。
「お前は特別で、選ばれた人間なのかもしれない。僕は特別じゃないし、選ばれてないかもしれない。お前の代わりは誰にもできなくて、僕の代わりは誰にでもできるのかもしれない。
だけどな、お前は僕にはなれないよ。僕の代わりはいくらでもいるけれど、僕は僕しかいないから。
お前は僕じゃないし、僕はお前じゃない。そういうことだろう?」
一応そのシーンも引用しておこう。上のセリフは1:00~2:00くらいにある。
阿良々木暦が誰となぜ決闘する羽目になったのか、については、この文章の目的と何の関係もないので、ここでは省略する。興味がある人は西尾維新〈物語〉シリーズの『終(オワリ)物語 中』を見て/読んでほしい。いや、それを読むためには、その前に『傾(カブキ)物語』と『鬼物語』を見て/読んでおく必要があるな。それを言えば、まずは『化(バケ)物語』からか…。まあいいや、そんなことは。
「あなたがこの世に生を受けたことには意味がある」
とスピ系の講師は言う。
「あなたは1億匹の精子の中のたった1匹が卵子と受精して奇跡のように生まれてきた。だから、あなたはかけがえのない存在だ」
と。
確かに講師の言っていることは間違っていない。あの時、あの卵子と受精したのが別の精子だったとしたら、私は今ここにはいないのだから。しかし、そのスピ系講師は、あの卵子と別の精子が受精してできた、私じゃない誰かに対しても、やっぱり同じことを言っていただろう。
「あなたがこの世に生を受けたことには意味がある。あなたは1億匹の精子の中のたった1匹が卵子と受精して奇跡のように生まれてきた。だから、あなたはかけがえのない存在だ」
と。
スピ系のセミナーなんかを受ける人はセルフイメージが低く、自分で自分が認められない分、強烈な他者からの承認欲求を抱えていたりするから、
「あなたはかけがえのない存在。あなたが生きていることには意味がある」
なんて、それなりに名の売れた講師に言われると、「自分のことをわかってくれるのはあなただけ。あぁ、もうあなたに一生ついていきます」みたいにコロッといっちゃう人が少なくないんだろうけど、そもそも、この世にかけがえのない存在なんてあるんだろうか──それがずっと疑問だった。
その問いに1つの答えを与えてくれたのが、冒頭の阿良々木暦のセリフだった。
「僕の代わりはいくらでもいるけれど、僕は僕しかいないから。
お前は僕じゃないし、僕はお前じゃない。そういうことだろう?」
そう、そういうことだ。「私」という存在がこの世に生を受け、そして生きているというのは、そういうことなのだ。私が存在することに価値があるかどうかなんて、私以外の誰が語れるというのか?
「あなたはかけがえのない存在で、あなたが生きていることには意味がある」だって? ふざけるな! そんなこと、お前が語っていいことじゃない。だって、お前にとって私はいくらでも交換可能な誰かに過ぎないのだから。
私の存在価値について語ることを許される唯一の存在は、私だけだ。「僕の代わりはいくらでもいるけれど、僕は僕しかいない」から。
だから、あなたの存在価値など私は知らないし、語ることもできない。語ることができるのは、私にとって代わりのいない、かけがえのない私についての物語、ただそれだけだ。
さて、西尾維新プロジェクト、〈物語〉シリーズのファイナル・シーズンは『終物語 下』がまだ残っているし、『続・終物語』もある。その上、ネクスト・シーズンまで始まって一向に終わる気配がない。そう、ものがたりはまだ終わらない。
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