『光の雨』(2001年)、『突入せよ!「あさま山荘」事件』(2002年)と、連合赤軍事件を描いた映画作品が、21世紀になってポツリポツリ作られている。それはもしかしたら、当時の学生運動を主導した世代ももう60代半ばから70歳前後になり、彼らにとって、今があの時代のことをきちんとした形で残せる最後の機会だからかもしれない。そして今年、72歳の若松孝二監督による『実録・連合赤軍 あさま間山荘への道程(みち)』が公開された。ちなみにYouTubeに『実録・連合赤軍』の予告編がある。
先に公開された高橋伴明監督の『光の雨』は立松和平が連合赤軍事件に材を採った同名の小説の映画化だが、それですら映画『光の雨』は、小説『光の雨』の純粋な映画化ではなく、「小説『光の雨』を映画化しようとする人々を描いた劇映画」としてしか撮られていない(小説『光の雨』に描かれた物語は、映画『光の雨』の中では劇中劇として描かれる)。もちろん、組織の名前も登場人物の名前も全て仮名になっている。そのくらいに事件そのものが陰惨かつ衝撃的であり、また今なお政治的にも非常に微妙な問題を孕んでいる、ということなのだろう。
また、当時から現在に至るまで「連合赤軍=悪」という図式が定着しているので、その悪に敢然と立ち向かった警官たちの勇姿を描いた『突入せよ!「あさま山荘」事件』は、ヒーローものの変形として、もともと映画にはなりやい題材ではあった。
その意味では、この事件を連合赤軍の側から描いた『実録・連合赤軍』は、画期的な映画だ。登場人物は全て実名である上、(劇映画である以上、全てはフィクションなのだが)あの時、彼らに一体何が起こっていたのかを、できるだけ忠実に再現しようという、強い意図が感じられる。例えば、あさま山荘籠城戦では、あさま山荘の外で何が起きていたのかは、当時のニュース・フィルムからも知ることができるが、あさま山荘の中では何が起き、どんな状況にあったのかを映像としてここまで詳細に描いたものは、この映画以外には私は知らない。
しかし『実録・連合赤軍』は、決して連合赤軍を擁護する映画ではない。それは、「総括」の名の下に行われた同志粛正のシーンを見ればわかる。
連合赤軍は、京浜安保共闘と共産主義者同盟赤軍派(ブント)が大同団結する形で結成された組織だったが、そのため、それぞれの組織は「相手には負けられない」的な競争心があって、先鋭化しやすい素地があった。また、連合赤軍結成時には両派とも元々の指導部メンバの大半が既に逮捕されてしまっていて、ナンバー2、ナンバー3が指導的な役割を負わなければならない状況にあった。そして、共産主義革命を叫んで軍事訓練を行っていたものの、警察の包囲網は日に日に厳しさを増し、脱走者が出るたびに密告を恐れアジトを転々とするような閉塞的状況にあった。「総括」は、そんな中で行われた。
多分、本来の「総括」は会社で行われているQC運動のようなもので、日頃の業務/作業を振り返り、問題点を洗い出してそれを皆で共有し、業務/作業の改善を図る、というものだったのだろう思うが、それが形を変え、「共産主義革命を遂行する革命戦士としての、個人のあり方」みたいなことが問われ始める。そして、「立派な革命戦士となるためには、『同志の支援』(つまり、暴力によるリンチ)を受けて『総括』(つまり、自己改造)が成されなければならない」という方向へと進んでいく。しかし、「革命戦士」の定義そのものが曖昧なために、「総括」が終わることはない──死ぬことでしか。
それには、指導部が強く関わっていたようだ。十分な組織運営力を持たない指導部は、恐怖政治を敷くことで組織の結束維持を図ろうとしたように私には思える。ただそれだけでなく、指導部のメンバそれぞれが、自分の出身母体の組織員をより純化させることで、相手に対して優位に立とうという、ある種の力学も働いていたようにも思われる(この部分は、『光の雨』の方がより鮮明に描かれている)。
だが、そんな指導部に対して誰も異を唱えない。指導部は末端メンバの行状を厳しく問いただし、「立派な革命戦士となるために」と大義を振りかざして「総括」を声高に要求し続けることで、自らに批判の矢が向くのを巧みに回避している。それでも、わずかでも指導部に批判的なことを言う者には、「組織を私物化しようとしているスターリン主義者」のレッテルを貼って「処刑」することで、批判を封じるのである(なおかつ、指導部は末端メンバに対して行ったような「総括」を、自らに対して一切行っていない)。
自らを守るために内部に「敵」を作り続けなければならない指導部と、自らが「敵」とならないために指導部と共闘して進んで「敵」を攻撃する末端──、あるいは、誰も異を唱えられない「大義」を振りかざすことで、誰もその負の連鎖から降りられないようにする仕組み──、それは決して連合赤軍だけの特異的なものではない。この間視たNHKスペシャル『名ばかり管理職』では、過労のため心臓発作で倒れ、そのまま意識不明の状態が続いている元店長のリポートがあった。彼は心配する家族に「自分だけが降りるわけにはいかないんだ」と言っていたという。連合赤軍はもちろん既にないが、連合赤軍的なるものは形を変えながら、実は非常に近いところに、いつもあるのかもしれない。
指導部メンバのうち、森恒夫と永田洋子は山岳ベースを離れたところで警察に見つかり、逮捕。この2人を失った組織は山岳ベースを捨てて雪中を進んだ後、2手に分かれるが、その1つはほどなく全員逮捕され、残った1つが警察に追われて逃げ込んだ先が、あさま山荘だった。その中には、指導部メンバの坂口弘、板東国男らがいた。森恒夫は逮捕後、拘置所で「革命的跳躍のため」に自殺。森の自殺を知った永田洋子は「森さんズルイ!」と叫んだという(このエピソードは映画の中には出てこない)。その後、永田洋子と坂口弘は死刑が確定。板東国男は無期懲役の判決が出たが「超法規的措置」により国外に脱出し、現在も拘束されていない。
さて最後に、『実録・連合赤軍』を観て心の中に浮かんだ言葉を書いて、この文章を終わりにしたい。
永田洋子、坂口弘の両氏に対し、革命戦士としての総括を要求する。
先に公開された高橋伴明監督の『光の雨』は立松和平が連合赤軍事件に材を採った同名の小説の映画化だが、それですら映画『光の雨』は、小説『光の雨』の純粋な映画化ではなく、「小説『光の雨』を映画化しようとする人々を描いた劇映画」としてしか撮られていない(小説『光の雨』に描かれた物語は、映画『光の雨』の中では劇中劇として描かれる)。もちろん、組織の名前も登場人物の名前も全て仮名になっている。そのくらいに事件そのものが陰惨かつ衝撃的であり、また今なお政治的にも非常に微妙な問題を孕んでいる、ということなのだろう。
また、当時から現在に至るまで「連合赤軍=悪」という図式が定着しているので、その悪に敢然と立ち向かった警官たちの勇姿を描いた『突入せよ!「あさま山荘」事件』は、ヒーローものの変形として、もともと映画にはなりやい題材ではあった。
その意味では、この事件を連合赤軍の側から描いた『実録・連合赤軍』は、画期的な映画だ。登場人物は全て実名である上、(劇映画である以上、全てはフィクションなのだが)あの時、彼らに一体何が起こっていたのかを、できるだけ忠実に再現しようという、強い意図が感じられる。例えば、あさま山荘籠城戦では、あさま山荘の外で何が起きていたのかは、当時のニュース・フィルムからも知ることができるが、あさま山荘の中では何が起き、どんな状況にあったのかを映像としてここまで詳細に描いたものは、この映画以外には私は知らない。
しかし『実録・連合赤軍』は、決して連合赤軍を擁護する映画ではない。それは、「総括」の名の下に行われた同志粛正のシーンを見ればわかる。
連合赤軍は、京浜安保共闘と共産主義者同盟赤軍派(ブント)が大同団結する形で結成された組織だったが、そのため、それぞれの組織は「相手には負けられない」的な競争心があって、先鋭化しやすい素地があった。また、連合赤軍結成時には両派とも元々の指導部メンバの大半が既に逮捕されてしまっていて、ナンバー2、ナンバー3が指導的な役割を負わなければならない状況にあった。そして、共産主義革命を叫んで軍事訓練を行っていたものの、警察の包囲網は日に日に厳しさを増し、脱走者が出るたびに密告を恐れアジトを転々とするような閉塞的状況にあった。「総括」は、そんな中で行われた。
多分、本来の「総括」は会社で行われているQC運動のようなもので、日頃の業務/作業を振り返り、問題点を洗い出してそれを皆で共有し、業務/作業の改善を図る、というものだったのだろう思うが、それが形を変え、「共産主義革命を遂行する革命戦士としての、個人のあり方」みたいなことが問われ始める。そして、「立派な革命戦士となるためには、『同志の支援』(つまり、暴力によるリンチ)を受けて『総括』(つまり、自己改造)が成されなければならない」という方向へと進んでいく。しかし、「革命戦士」の定義そのものが曖昧なために、「総括」が終わることはない──死ぬことでしか。
それには、指導部が強く関わっていたようだ。十分な組織運営力を持たない指導部は、恐怖政治を敷くことで組織の結束維持を図ろうとしたように私には思える。ただそれだけでなく、指導部のメンバそれぞれが、自分の出身母体の組織員をより純化させることで、相手に対して優位に立とうという、ある種の力学も働いていたようにも思われる(この部分は、『光の雨』の方がより鮮明に描かれている)。
だが、そんな指導部に対して誰も異を唱えない。指導部は末端メンバの行状を厳しく問いただし、「立派な革命戦士となるために」と大義を振りかざして「総括」を声高に要求し続けることで、自らに批判の矢が向くのを巧みに回避している。それでも、わずかでも指導部に批判的なことを言う者には、「組織を私物化しようとしているスターリン主義者」のレッテルを貼って「処刑」することで、批判を封じるのである(なおかつ、指導部は末端メンバに対して行ったような「総括」を、自らに対して一切行っていない)。
自らを守るために内部に「敵」を作り続けなければならない指導部と、自らが「敵」とならないために指導部と共闘して進んで「敵」を攻撃する末端──、あるいは、誰も異を唱えられない「大義」を振りかざすことで、誰もその負の連鎖から降りられないようにする仕組み──、それは決して連合赤軍だけの特異的なものではない。この間視たNHKスペシャル『名ばかり管理職』では、過労のため心臓発作で倒れ、そのまま意識不明の状態が続いている元店長のリポートがあった。彼は心配する家族に「自分だけが降りるわけにはいかないんだ」と言っていたという。連合赤軍はもちろん既にないが、連合赤軍的なるものは形を変えながら、実は非常に近いところに、いつもあるのかもしれない。
指導部メンバのうち、森恒夫と永田洋子は山岳ベースを離れたところで警察に見つかり、逮捕。この2人を失った組織は山岳ベースを捨てて雪中を進んだ後、2手に分かれるが、その1つはほどなく全員逮捕され、残った1つが警察に追われて逃げ込んだ先が、あさま山荘だった。その中には、指導部メンバの坂口弘、板東国男らがいた。森恒夫は逮捕後、拘置所で「革命的跳躍のため」に自殺。森の自殺を知った永田洋子は「森さんズルイ!」と叫んだという(このエピソードは映画の中には出てこない)。その後、永田洋子と坂口弘は死刑が確定。板東国男は無期懲役の判決が出たが「超法規的措置」により国外に脱出し、現在も拘束されていない。
さて最後に、『実録・連合赤軍』を観て心の中に浮かんだ言葉を書いて、この文章を終わりにしたい。
永田洋子、坂口弘の両氏に対し、革命戦士としての総括を要求する。
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