今回は秋元康とAKBがネタなので、BGMはAKB48の『風は吹いている』(AKB48公式チャンネルのPVね)。
AKBを立ち上げてから特に、秋元康はキレていると言われている。もうキレキレだと。「キレてる」といっても、鞄の中に武器を隠し持ってるとか、いきなりスタッフに殴りかかる、ということじゃなくて、その発想や手法が神懸かったように凄みを帯びている、という意味で。
秋元康といえば「AKB48を成功させた人」として、ここ2~3年、ビジネスシーンで「時の人」となっている。私はAKBのファンではないが、たまたまドラマ『マジすか学園』を視ていたのと、しばらく前に『週刊プレイボーイ』で連載されていた「AKBヒストリー」という記事をずっと立ち読みしていたことがあって、それ以来、別にファンでもないのだが秋元康とAKBの動向には非常に興味を持っている。
例えば、AKBが始めた「総選挙」という試みは、秋元康やスタッフが最初からそれを意図していたわけではなかったようだが、結果として、それまで暗黙の了解とされてきた「アイドルグループのメンバはみんな平等」という「お約束」を壊してしまった。そしてそれは、社会における「平等神話」すら揺るがしかねない破壊力を持っている、と私には感じられる(もちろんそれは、その「総選挙」が回を重ねるごとに単なる形だけのイベントに堕してしまわなければ、だが)。
「総選挙」だけではない。マーケティングを積み重ねるのではなく「面白いと思ったからやる」という発想、そして(「AKBヒストリー」を読んでいて気づいたのだが)「総選挙」など全て含めて「AKBそれ自体がドラマ」というあり方──そういったものが、私にはとてもvisonaryなものとして感じられる。だから今、一番気になることがあるとすれば、それは「秋元康はAKBでどんな次の一手を打つのか」だと言ってもいい。
さて、そんな折り、朝日新聞の2011年12/15のオピニオン面に載った記事が面白かったので紹介したい。秋元康の言葉である。
「僕はね、若い人にこう言うんです。『目の前の壁を乗り越えようとするな。乗り越えられないから壁なんだ』とね。むしろ右へ左へと動いて、壁の切れ目を探せ、と。──」
他の人のことはわからないけれども、私はこれを読んで目を覚まさせられた気がした。だって、自分の中にこんな発想はなかったから。「目の前の壁をいかに乗り越えるか」について述べた本や話なら、いくらでもある。でも、秋元康は問題そのものを変えてしまう。「目の前の壁を乗り越えようとするな。乗り越えられないから壁なんだ」という発想の前には、「目の前の壁をいかに乗り越えるか」という問題はもう問題として成立しない。まさに発想のコペルニクス的転回
これを読むと、「AKBが成功したのは、たまたまだったかもしれないが、仮にAKBが失敗していても秋元康は別の何かを間違いなく成功させていただろう」と思う。
そして秋元康は今後のAKBについて、こんなふうに語っている。
「10月に発売したAKBの『風は吹いている』にも、少しずつでも何かをやろうというメッセージを込めました。そして来年のAKBは、これまでと違う方向性を打ち出します。僕の中では、AKBの再生です。批判を受けるかもしれないが怖がってやめたら動かなくなる。継続と再生。AKBも日本と同じテーマで2012年をスタートします。」
まったく異質なところに異質なものを放りこんだような印象があるんんですよね
とにかく歌や踊りと違うところで勝負する場外乱闘的な要素を感じずに入られません
意識敵にこういう発想ができる秋元康さんはエライ!
>とにかく歌や踊りと違うところで勝負する場外乱闘的な要素を感じずに入られません
例えばAKBが海外公演をすると、ほぼ例外なく見に来たお客が最初はドン引きするんだそうです。歌も踊りもあまりにも下手くそだから。ところが、しばらくすると、そんな少女たちが、それでも一生懸命に舞台を作っているのを観て、今度はみんなが心から応援するようになり、ファンになって帰るのだとか。
普通、アーティストの公演というのは「そのプロの芸を堪能する」ものですが、未完成のものをそのまま見せて、客にその成長を見守る応援団になってもらう、という秋元康の逆転の発想はまさに「神」だと思います。