毎年、正月に神田昌典さんから届けられる「カンダラダムスの大予言」。今回は、去年の「カンダラダムスの大予言・2011」に続く2012年版である。そして、1/2に神田さんから届いた「カンダラダムスの大予言」は、これまでとはかなり違う内容だった。
この「カンダラダムスの大予言」は内容が内容だけに広く一般に公開されたものではなく、神田さんが自身の発したものの意図を十分汲み取れるであろう一部の人たちに向けて限定公開しているものであることを、始めにお断りしておく(だから私も、この記事をアップしたことはどこにもアナウンスしない)。
この中で、神田さんが「(この文章を読んで)どのような反応を持つかは、自分自身を映し出す鏡のようなもので、その反応によって映し出された未来への扉が開かれていく。」と述べている、その言葉をくれぐれも読み流すことなきよう。
ではパチンコ『エヴァ 最後のシ者』から「集結の園へ」でも聴きながら、「カンダラダムスの大予言」の本文をどうぞ。
あけまして、おめでとうござます。神田昌典です。
このところ、毎年恒例になっている『カンダラダムスの大予言(笑)』。
今年は予言という予言はないのだけど(その理由は後ほど…)、
元旦に、突然、書きなぐった文章がありますので、そのままアップいたします。
★★★
夢を見た。はっきりした夢だった。
ことさらに覚えようとするわけでもないのに、
脳に鮮明に焼きついて離れない。
こんな体験が、昨年1月から始まった。
鐘が打ち鳴らされたかのように、
夢の中で突然、四字熟語が現れた。
そこで夜中2時頃にベッドから飛び起きて、
忘れる前にノートに書き取った。
こんなことは初めての体験だった。
誰もが知っている四字熟語だと思ったが、朝起きて、再びノートを見ると、
意味不明の言葉 ― 阿土碑礼 ― と書かれている。
なんどみても、いったい、それが何のメッセージかが分からない。
それから1週間程経って、
会社の経営計画を「全脳思考」で練っている最中に、
社員から「それは、稗田阿礼ですよ」と教えられた。
稗田阿礼? ― そう、古事記の編纂者である。
稗田阿礼が突然、夢にでてきた理由が分かったのは、震災の後のことだ。
計画停電により信号すらも点灯しない暗闇の帰宅路で、
ふと古事記に描かれていた神話の世界を思い出した。
天照大神が天岩戸に閉じこもった、あの光景である。
そこで私の中では、どう扉を開くのかが、年間テーマになった。
昨年末12月のはじめに、二度目のはっきりとした夢を見た。
病院でとても美しい子が生まれた夢だった。
ベッドの上では、私の妻が横たわっている。
赤ん坊をみると、まつげが長く、目が大きく輝いている。
「女の子ですか?」と、そばにいた医師に尋ねると、
男の子だという。フランス人とのクォーターだというのだ。
この夢についても、その後の、マーケッターを集めた会議で話題になった。
偶然にも、会議の参加者の中には、
この2月に出産を控えている女性メンバーがいる。
話しているうちに、おそらくその子は、
江戸末期に出島にいたオランダ人ではないかという想像が飛び出した。
連想を広げるうちに、2018年には、現在の通貨体制が崩れ去って、
ブツブツ交換を主軸とする地域通貨の社会になっていくという
プロセスがはっきりと浮かび上がった。
なぜこんな話をしているかというと、おそらく今年あたりから、
このように夢からインスピレーションを得る人や、
見えないものが見えはじめるという人が急増するからである。
しかし、それに振り回される必要はない。こんなことは特別なことではない。
重要なことは、いままで見えなかったものが見えるようになることではなく、
そこから何を創り上げるかである。
毎年、カンダラダムスの大予言などと冗談めかしながら、
私の気づきを勝手に発信してきたのだが、今年は予言らしい予言はしない。
なぜなら、今年は、もはやあなたが感じ取っているように、
プリズムが光を分けていくように、ひとりひとりが属すべき世界に向かって、
いよいよ道が分かれていく。
例えば、ここまでの文章を読んで、
「扇動者のようにふるまいやがって」と腹を立てる人もいるだろうし、
「裏にはどんなマーケティングテクニックがあるのか」と勘繰る人もいるだろうし、
「未来に向かう勇気が得られる」と応援してくれる人もいるだろう。
どのような反応を持つかは、自分自身を映し出す鏡のようなもので、
その反応によって映し出された未来への扉が開かれていく。
新しい世界に入る前は、
さまざまな価値観の雑踏のなかを、僕らは進むことになる。
雑踏の中では、声高に理屈を並べて奪いとっていくものと、
表面的には善人ぶりながら、相手に罪の意識を感じさせ奪い取っていくものもいる。
それがあたかも世の中の賢者の論理であるかのように。
こうした輩と遭遇する結果、
多くの人は自分の生き方は間違っているのだろうかと、悩むことになろうが、
悩むことがまともな人であることの証左であり、
一心不乱に自らが正しいと思っている彼らの大地は、すでに崩れ始めている。
そんなことを年末、考えていたら、3日前 ― ふたたび明晰な夢をみた。
それは怖い夢だった。映画館に私は妻といたのであるが、
表に出してはならない歴史上の事実が、アメリカ映画によって公開されてしまう。
太平洋戦争中の日本で起きたことであり、その日付は8月8日だった。
8月8日という日付が画面に大きくクローズアップされたときに、
「そんなこと、表に出すことないのに・・・」と妻が叫ぶ。
私は戦慄を身体に感じながら、目を覚ました。
その日の晩に「8月8日は、何が起こったっけ?」と妻に尋ねると、
8月8日は「私たちの婚約の日だ」という。
なるほど。それで随分、気が楽になった。
封印を解除するのは、過去のことではなく、未来の封印を解除するのだろう。
おそらく8月8日 ― その日に、僕らは何かを約束するということだ。
8月8日に向けて、いったい僕たちは、いったい誰と、何を約束するのか。
この問いを、頭の隅に置いたとき、
僕らは、どんな喜びや悲しみが訪れようとも、
すべては新しい世界に向かうための道しるべとして受け入れることができるだろう。
だから僕は、【約束の日】に向けて 準備しはじめることを、元旦に決めた。
健やかなるときも、病めるときも 喜びのときも 悲しみのときも
富めるときも 貧しきときも
愛し 敬い 慰め 助け
命ある限り 真心を尽した、と云えるように。
混乱は続きますが、この歴史的な転換期に、
あなたと一緒に生まれ来たこと、心より感謝しております。
2012年1月1日 ― 『2022』 に向けての、はじめの一歩。
神田昌典
稗田阿礼(ひえだのあれ)は、神田さんも書いているように『古事記』の編纂者といわれる人だが、並外れた記憶力の持ち主で、膨大な神話、伝説を諳(そら)んじていたことから、太安万侶(おおのやすまろ)がそれを稗田阿礼に語らせ、書き記したものが『古事記』であるとされる。
神田さんのこの文章には、稗田阿礼、美しい赤ん坊の話、そして映画の話という3つのエピソードが出てきて、そのエピソードに対する神田さん自身の解釈が述べられているが、私は違う解釈をしている。
この3つのエピソードに共通するのは「形を持たなかったもの/隠されていたものが、何らかの形を取って外に出てくる」ということであり、(稗田阿礼に関してはよくわからないが、赤ん坊と映画のエピソードからは)それが大きな痛みを伴うものであることが暗示されている(もっと言えば、それが一方は美しい赤ん坊、もう一方は封印されてきた歴史であることから、その「隠れていたものが外に出てくる」ことが、悪い面ばかりでもない代わりに良い面ばかりでもない、ということを示唆している)。そして、その「外に出す」役割(の一部)を神田さんが担うことになる、ということではないだろうか。
実際、2011年に起こった大きな事件、例えばアラブの民主化革命(アラブの春)も、福間第一原発事故も、ユーロ危機も「それまで表に出ていなかったものが顕在化したもの」と見ることができる。
すると、2012年はより一層、それまで隠されてきた、あるいは少なくとも明確な形では示されることのなかったもの/ことが表へと現れ、それによって我々はそれぞれが何らかの選択を迫られるのかもしれない。その時、何を拠りどころにして何を選択するか──それが厳しく問われることになるだろう。占星学的には水瓶座の時代から魚座の時代──情報に基づく理性的な時代から共感に基づいた情緒的な時代──へのシフトが起こる。そこで必要なのは、まさに己の拠って立つ「軸」である。
──と書いてきて、突然思い出した。「オカルト」とは「隠されたもの」の意だったことに。
もちろん、これはそのビジョンを受け取った当の本人ではない私の勝手な解釈なので、あまり真に受けないようにしてくださいね。
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