11/6、天王洲銀河劇場で、人の頭の中を視覚化したような不可思議な舞台を見た。
『この熱き私の激情~それは誰も触れることができないほど激しく燃える。あるいは失われた七つの歌~』は、6人の女優(松雪泰子、小島聖、初音映莉子、宮本裕子、芦那すみれ、霧矢大夢)と1人のダンサー(奥野美和)によって演じられるこの舞台には、何か1つのまとまったストーリーがあるわけではない。パルコ・プロデュースによる9,10、11月の3ヶ月にまたがる「DNA Discover Nelly Arcan──ネリーを探して──」という企画の掉尾を飾るこの舞台は、6人+1人の演者が上下2段でそれぞれ5つに区切られた小さな部屋の中で、ネリー・アルカンが生前、出版物の形で残した言葉をセリフとして、言葉のコラージュの中から1人の人間の思い、悲しみ、怒り、孤独、絶望、…を浮かび上がらせるものである。
6人の女優たちはそれぞれ1つの部屋の中にいて、互いの姿が全く見えない状態で、ある時は1つの言葉を全員で語り、ある時は一人ひとりがそれぞれ与えられた言葉を語る。その6人は全てネリー・アルカンであるが、衣装も(当然ことながら)容姿も全く異なっている。そしてダンサーだけは(時には男の姿で)さまざまな部屋に出入りし、また部屋の外に出ることもできる。まるで群像劇と一人芝居が同居したような舞台。
なかなか言葉では説明できない作品なので、今回の日本版の元になったカナダ公演のプロモーションmovieをご覧いただこう。1分程度のごく短いものだが、この作品の持つ雰囲気がわずかでも感じられると思う。
ネリー・アルカンについて私は何も知らない。パンフレットに書かれたものを引用すると
1973年生まれ。たった8年の間で、心の内側に秘めた思いのたけを爆発させ、強烈で目をそらしてしまいそうな作品を書き、大胆かつ悲劇的に去って行った。
2001年、小説「Putain」で作家デビュー。フランスの老舗出版社Edutions du Seuilに原稿を送ったところ、2週間で出版で(原文ママ)決まり、一躍有名作家の仲間入りを果たした。このパワフルで精神を混乱させる作品の中で作者自身がコールガールだった時代のことを語っている。その後、2004年に「Folle(「狂った女性」という意味)」と2007年に「À ciel ouvert(「野外」という意味)」の2冊を出版している。2009年9月24日に自宅アパートで自殺。(後略)
ともかくも、この作品は上に述べたようなものなので、見た感想は百人百様だと思うが、「どう受け取っていいか分からず戸惑った」というのが、まずは正直なところなのではないだろうか(実際、終演後の拍手もかなり引いた感じだった)。
その点は私も同じだが、同時に見ていてとても興味深かった。1人の人の中で取り止めのないモノローグを語る、いくつもの人格の断片たちと、それを聞きながら時にチャチャを入れるもう1人の自分──頭の中で果てしなく繰り返される無限ループのような、こうした言葉と思考のゲームが見事に表現されていたから。そう、これは自分の中で今この瞬間にも行われていることなのだ。『この熱き私の激情』は、その深淵を覗き見る舞台である(そしてニーチェは「深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いている」と書いた)。
ついでに言えば、こういうのを見てしまうと、一部のセラピストが言う「人格の統合」とか「思考の統合」などといったものが単なる言葉の上のレトリックにすぎないことが分かる(セッションによって上辺だけの「何だか自分が統合されたような気分」を与えることはできるとは思うが)。
決して感動的などではない不可思議で得体の知れない舞台だったが、それだけにこれを書かずにはいられなかった。
なお、日本での制作発表会見の中で演出家が各部屋の意味について述べているので、ご参考までに(10分ほどの動画で、3分頃からその話になる)。
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