※超陰鬱なので回避回避!※
種類的には鋼鉄の自己肯定感に包まれた自己愛型エナジーバンパイア。
自己肯定感が高いことは否定しない。
ポジティブさで周りの人を明るくさせるものならば。
この俺のためにおまえらが気を遣えが害悪。偉かろうと立派であろうと人間関係は嫌われても永遠に大人の対応をしてもらえる保証はない。
自分が発する言葉が他人を貶める言葉だってよくそこまで気づかないのだね、と悪い意味で感心する。
『間違いなしにsololo君が1番の信頼出来る存在です。
(あの時、指がちぎれそうだったが耐えた甲斐がありました❗)』
一見普通に感謝しているように見えるでしょう?
あの時というのは、私が自殺をして家族に助けられて未遂に終わったとき。
普通の人であれば「あの時本当に助けられて良かった、一生恩に着ます」と思ったり言ったりするシーンだとは思うのだけど、そう思ったことは多分一度もないし思ってないからといって社交辞令で言うこともない。
1番の信頼できる、というのは前フリがあって他のたくさんいる子供に相手にされていない中、親のためにささやかな時間や行為やお金を一番割いているのが私、という話。完全に無視して連絡もスルーする兄弟が一番フリーライドできているが、その兄弟は継親に身体的に虐待され併せて親に経済的に虐待を受けていた(親本人は知らなかったと言っている。藪の中)らしいので、仕方ないかなと思っている。
大変気の毒だけれど虐待によって欠けてしまった人間性の一部は戻らないし、虐待した相手に優しくしろだなんて土台無理な話。
そうして欠けてしまった子供に対しても延々と自分の論調を繰り広げるのが我が親。しつこいから嫌われるのにねぇ。
これ何度も言ってるのだけれど
感情が理屈を上回ることっていくらでもある。
理屈を述べても嫌われていれば商品が買われないことなんて腐る程あるし、色々な理屈で世の中は動いているけど結局のところ人が動くのは自らの嗜好でしかない。
感情は理由になる。
少なくとも一体一の対等であるならば。
ところが万事
自分の理屈と感情≫相手の理屈と感情
なんだな。
自分のプライドと同じようなものが周りにあっても、彼にとっては対等の存在ではないからなんにも意味をなさない。
私には理解できないのだけど、上記の理屈を説明しても全く分かってもらえない。
我々家族内では『多分脳のどこかの領域が未発達なのだ』ということになってる。
かくして親は私に対しては「一番金をかけたから当然」という認識でいるし、事実そうである場合、社会通念上どうやら正しいとされているらしいから、兄弟比で言えば私のコスト返報が一番大きくないと兄弟が気の毒なので、そのこと自体にはなんとも思わない。
それにしてもねぇ…
甲斐とは…?
『耐えた甲斐がありました、という言葉は、いやぁ、あのとき助けたから今の俺の命が繋がった、あぁ「自分の役に立った、子供を作った甲斐があった」ですよ。
余計な一言が多いです、本当に。そのような一言をかけられるたび、毎回死にたくなります。
貴方には一生理解できないでしょうけれど。』
私の気持ちとしては、貴方の役に立つために今生きているわけじゃないよ、ということです。
あ〜助けて良かった
俺の役に立つ存在になったなぁ
とかね。
無理無理、私言えない。
考えは運命になっちゃうから、あまり憎悪という感情に飲まれないようにしたいと願っているけど、相手から積極的に関与されてくる分にはもうどうしようもない。
いつも陰鬱な毎日の愚痴愚痴愚痴愚痴したブログだなぁと思うかもしれませんが、ごめんなさいね。
私も老人になったらそうなるのかなぁ
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