「シスターフッド……女性同士の連帯が叫ばれる昨今」という文字をメディアで見て、思わず
とんでもない!༼⁰o⁰;༽
と心の中で叫んでしまった。
シスターフッドを題する映画もあるらしい。
もともとはフェミニズム関係の言葉で、社会として権利が制限されている女性のあり方について連帯して声を挙げようみたいなところから産まれた言葉らしい。
当該記事は全然関係ない老後の推し活みたいな内容だったけど。
いやー
この間介護保険施設いったらフロアに出てる入居者全員女性だったよ。
たしかにね
ハッキリ言って
連帯と虐めは裏表で(特に女は)記事でもわかるようにだいたい裏で陰口言ってる。
こういう「もう社会は面倒見れないから」的プロパガンダ記事はお腹いっぱい。
お互いに調子の良い時気が向いたら合いましょうくらい(で結局一生会わない)のうすーい関係でいい。
私の少ない友人にも誰かと居たい欲の強い人がいる(毎週末1回は誰かと飲みたいそうだ)。
心から尊敬する。
コロナのときにはホント気が狂いそうだった!という発言を二人くらい聞いた。
きっと私と真逆の遺伝子配列なんじゃないかしらと思っている。
私はコロナで社会と断絶したときには、こんなに快適な世の中があっていいのかしらと思ってしまったし、コロナのおかげで「人に会わない」サービス形態が増加したのは純粋に嬉しさしかない。
でも裏を返してみると、「連帯が叫ばれる昨今」ということは連帯がないからこそのことなのだよね。
全てが自己責任と言われてしまう世の息苦しさは十分に理解できるので、自ら意識して繋がりを持っておくようにしないと自分達がくるしくなってしまうよ、ということなのかな?
繋がりがなかろうが
幸せそうな人は勝手に幸せそうだし
繋がりがあろうが
不幸そうな人は勝手に不幸そうだけれどね。
幸せは外部要因に依らず常に自分の中にあると思っておいた方が、自分の人生を自分がコントロールできる範囲においては、幸せそうだな。
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