白河の関から北へ…奥の細道を先へ進めようと思います。
昨年夏に松島を訪れました。仙台市から多賀城市の海岸線を回りましたが、どの家も1階部分が流され、あちこちに廃車が山のように積まれており、今回の津波の大きさを垣間見ました。
松島は湾内の多くの島が自然の堤防となったため、瑞巌寺周辺の地域には1mぐらいの波が届くに留まったと聞きました。美しいだけではなく、人を守ってくれる自然の力に敬服します。
さて、芭蕉は「いづれの人か筆をふるひことばを尽くさむ」とここでは句を残しませんでした。有名な「松島や ああ松島や …… 」の句は後世の人の創作らしいのですが、私の古い記憶では、これは曽良の句と思い込んでいました。
その後、東北自動車道で平泉へ(あちこちで復旧工事が見られました)
奥州藤原氏が約100年にわたって王朝風の文化を築いた平泉。現存するのは「中尊寺金色堂」「毛越寺庭園」など数少ないのですが、昨年6月(2011年)に世界遺産に指定され、今まで以上に訪れる人が増えました。
藤原清衡が平泉に中尊寺の創築を開始したのは、1105年と伝えられます
『夏草や つはものどもが 夢のあと 』
つわもの弁慶堂…
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「金色堂」は棟木の銘から1124年に作られたと判明しています。この堂は清衡が自らの廟堂として建立したもので、内部の須弥壇内には清衡と子の基衡、孫の秀衡の3代のミイラが安置されています。
『五月雨の 降り残してや 光堂』
よく目にするこの写真は覆堂(おおいどう)といい、光堂を風雨から保護するために建造物です。
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光堂から、もう少し奥に進むと「白山神社能舞台」があります。近世の能舞台遺構として芸能史上貴重な遺構として、2003年に重要文化財に指定されています。
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2日間限定「奥の細道」(今学校では、「おくのほそ道」と書くらしい)の気まぐれ観光ガイドでした。山寺(立石寺)や最上川、佐渡へも訪れたことがありますが、遠い昔のことなので割愛させていただきます。
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