ここ数日、「そらいろ」から距離を置いてしまいました。
少しでもいいから毎日書き続けようと始めたことなので、今日は、少し前に訪れた場所をご紹介します。
学生の頃から、芭蕉が「奥の細道」に記した「白河の関」を一度訪れてみたいと思っていました。その冒頭にあるように、「白川の関こえんと、そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて、取もの手につかず」と芭蕉の気持ちを駆り立てた奥州への入り口です。
残暑の頃でしたが、福島の会津地方に出かけた帰路にそのことを思い出し立ち寄りました。東北自動車道を白河中央インター(ETC専用)で降り、市内を横切り、南湖公園を抜けてからは15分ぐらいだったでしょうか。駐車場が整備されていましたが、他に車は停まっていませんでした。(帰る頃には歴史を訪ねる会的な団体さんがいらしゃっていました↓)
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苔むした古木や石段に歴史を感じました。
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実は、「白河の関」は歴史には何度も登場してくるのですが、源頼朝が平泉の藤原氏を滅ぼした時に廃止されて(または移されて)以降、その正確な位置はわからなくなっていたようです。徳川時代、寛政の改革で有名な松平定信公が白河藩主の時に時代考証を経て、「白河神社の場所をもって“関”の場所」と論じたとのことですが、昭和30年代に発掘調査が行われ、古代の空掘や土塁、木柵の跡が確認され、昭和41年にようやく「白河関跡」として国の史跡に指定されました。
この一角は「旗宿」(はたじゅく)と呼ばれます。曽良の日記には、「古関~白坂~旗宿…」との記述(「古関ヲ尋テ白坂ノ町ノ入口ヨリ右ヘ切レテ籏(旗)宿ヘ行。」)があり、旅発つ前に「白河の関」について学習した様子がうかがえるそうです。
歴史を思う時は、「そうだったんだ」と信じて時の風景を想像することも必要ですよね。
鳥居をくぐり、石段を一歩一歩踏みしめながら、芭蕉も300年前に同じようにここに立ち、句を詠んだのかと想像するだけでわくわくしました。奥の細道には曽良の句ですが、きっと芭蕉も詠んでいたはず…
『卯の花をかざしに関の晴着かな』 曽良
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