早朝の嵐の中、故郷へ向かった
叔母の葬儀のために。
でも、思ったほどの悪天候ではなくて、
どんどん天候は回復していった
叔母93歳。母の妹だ。
こんなお葬式は初めてだった。
心温まるお式だった。
仏式の見慣れた順番で、滞りなく式が続き、
終盤、お孫さんのお別れのことばがあった。
それは、ありがちな弔辞ではなく、
本当におばあちゃんにかわいがられ、
一つ一つのエピソードとともに、
感謝のことばで綴られ、心温まるものだった
そして親族代表の挨拶・・・
4年前倒れた叔母は、そこから闘病生活が始まった。
しかし、それは、晩年の叔母を、
とても幸福なものにしたという。
半分認知症だった叔母は、
それまでの何十年間夢に見ていたものを実現させた。
長男はプロ野球Gチーム選手となって、大活躍。
次男は、高速道路建設本部のお偉方になり、
叔母は、富士川に橋を架け、故郷に恩返しができた。
また、今は亡き私の母や伯母がお見舞いに来てくれた。
これらは、みんな現実ではない。
でも、叔母にとっては現実なのだった。
そして、いつも、おしゃべりで明るく楽しそうだったと・・・
この挨拶には参列した人たちの涙を誘ったけれど、
悲しみの涙というより、感動の涙だったように思う

叔母の葬儀のために。
でも、思ったほどの悪天候ではなくて、
どんどん天候は回復していった

叔母93歳。母の妹だ。
こんなお葬式は初めてだった。
心温まるお式だった。
仏式の見慣れた順番で、滞りなく式が続き、
終盤、お孫さんのお別れのことばがあった。
それは、ありがちな弔辞ではなく、
本当におばあちゃんにかわいがられ、
一つ一つのエピソードとともに、
感謝のことばで綴られ、心温まるものだった

そして親族代表の挨拶・・・
4年前倒れた叔母は、そこから闘病生活が始まった。
しかし、それは、晩年の叔母を、
とても幸福なものにしたという。
半分認知症だった叔母は、
それまでの何十年間夢に見ていたものを実現させた。
長男はプロ野球Gチーム選手となって、大活躍。
次男は、高速道路建設本部のお偉方になり、
叔母は、富士川に橋を架け、故郷に恩返しができた。
また、今は亡き私の母や伯母がお見舞いに来てくれた。
これらは、みんな現実ではない。
でも、叔母にとっては現実なのだった。
そして、いつも、おしゃべりで明るく楽しそうだったと・・・
この挨拶には参列した人たちの涙を誘ったけれど、
悲しみの涙というより、感動の涙だったように思う
