このブログは「中年おじさんの散策」の継続版です
20150428 甘楽・名勝・ツツジ
群馬県甘楽郡甘楽町小幡
甘楽町小幡
山田家(食い違い郭)
戦国の世が終ったとはいえ、人々の心の中には警戒心があり、戦の場合の防衛上のために造られたとみられる。また、下級武士が上級武士に出合うのを避けるために隠れたとも言われています。
室町時代の小幡氏にはじまり、織田氏、松平氏の支配下に栄えてきた小幡藩の城下町。織田信長の次男・信雄[のぶかつ]が小幡織田藩の藩祖で元名元年(1615)から明和4年(1767)にかけて8代152年にわたって統治した。現在も幅14mの中小路に武家屋敷の白壁が続く。なかには下級武士が上級武士から身を隠すためのものともいわれる、道が2回直角に折れた喰い違い郭[くるわ]などが残る。
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小幡藩(おばたはん)は、上野甘楽郡小幡に存在した藩。藩庁は小幡陣屋(のち小幡城、現在の群馬県甘楽郡甘楽町小幡)に営まれた。