このブログは「中年おじさんの散策」2の継続版です
20140808 古河
茨城県古河市長谷町
一向寺
戦国の名医、田代三喜の木像(昭和8年復元)を所蔵。捨聖、證誠大師智真(一遍上人、1239年~1289年)によって開創され、遊行宗といわれた。一遍は、全国を遊行して念佛勧進を命とした。
総本山は、清浄光寺(遊行寺)。御本尊は、阿弥陀如来わ維持している。 称名の当体は、往生即無生を証し、臨終即平生、平生即臨終の境界に安住し、不惜身命の念佛に随順する。
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20140808 古河
茨城県古河市長谷町
一向寺
戦国の名医、田代三喜の木像(昭和8年復元)を所蔵。捨聖、證誠大師智真(一遍上人、1239年~1289年)によって開創され、遊行宗といわれた。一遍は、全国を遊行して念佛勧進を命とした。
総本山は、清浄光寺(遊行寺)。御本尊は、阿弥陀如来わ維持している。 称名の当体は、往生即無生を証し、臨終即平生、平生即臨終の境界に安住し、不惜身命の念佛に随順する。
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20140808 古河・睡蓮
茨城県古河市中田
顕正寺
開基は、茨城県小川町の幡谷信勝で、十六代、善了の時、古河市中田の阿弥陀堂に移し、顕正寺と改めた。慶長年間、幕府の命により栗橋宿を開発した、池田鴨之助の招請により1614年、善了は、寺基を当地に移した。
浄土真宗本願寺派と同じく宗祖を親鸞とし、教如が慶長七年烏丸に寺地を得て本願寺を創建、その第十二世となり、それから次第相承し、現在にいたっているのが真宗大谷派である。本山は、本願寺(東本願寺)。
御本尊は、寺院に阿弥陀如来立像(東立阿弥陀)。
在家として、阿弥陀如来絵像がある。真宗大谷派は、正法弘通の恩を謝するため、聖徳太子、七高僧、宗師及び伝灯歴代の師主を奉安している。
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20140808 古河・百日紅
茨城県古河市中田
本願寺
和順大師法然が唐の善導大師の観経疏によって、弥陀の本願を信じ、専修念佛の旗印を掲げて開創した浄土門の宗派で(立教開宗1175年)わが国で浄土門が独立して一宗派となったのはこれがはじめてである。
総本山は、知恩院。大本山は、増上寺(東京)、知恩寺(京都)、清浄華院(京都)、光明寺(神奈川)、善導寺(福岡)、善光寺大本願(長野)となるらしい。 御本尊は、阿弥陀如来。 阿弥陀如来に帰命し、その本願を信じ、称名念佛をもって浄土往生を期す。
このあたりは寺町。多くの立派なお寺山が散在しています
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20140808 古河・百日紅
茨城県古河市中田
円光寺
浄土真宗本願寺派と同じく宗祖を親鸞とし、教如が慶長七年烏丸に寺地を得て本願寺を創建、その第十二世となり、それから次第相承し、現在にいたっているのが真宗大谷派である。
本山は、本願寺(東本願寺)。本尊として、 寺院に、阿弥陀如来立像(東立阿弥陀)。在家として、阿弥陀如来絵像がある。 真宗大谷派は、正法弘通の恩を謝するため、聖徳太子、七高僧、宗師及び伝灯歴代の師主を奉安している。
宗祖見真大師親鸞が、浄土の数旨を顕彰し累代の師主が相承している。阿弥陀如来の本願を信楽して平生業成の安心にし正定聚の身となり、浄土の往生滅度を期す。常に如来の照護をこうむり佛名称念して懺悔と知恩を忘れない。正見に住して禍福に惑わず、人生の福祉と文化の向上を図ってるらしい。
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20140808 古河・百日紅
茨城県古河市中田
光了寺
茨城県古河市中田にある浄土真宗大谷派の寺院。静御前は奥州・平泉に逃れた源義経を追って、侍女の琴柱とともに古河の下辺見村まで来たが、ここで義経の死を知り、橋の上で奥州に行くか京に戻るか思案したのちに戻ることとした。しかし悲しみのあまり、伊坂(現久喜市栗橋)で病に伏し、亡くなったため、琴柱は静御前を当寺に葬り、墓の印として一本の杉を植えたという。この伝承は寺蔵の『静女蛙蟆龍御衣略縁起』によるが実物は現存していない。近世の地誌『古河志』や『利根川図志』の引用、あるいは古河市仁連の個人所蔵板本『静女蛙蟆龍御衣略縁起』(文政9年)が残されている。 静御前が思案した橋は「思案橋」と呼ばれ、今でも下辺見の国道354号・向堀川上の道路橋が「思案橋」と名付けられている
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