池田 悟≪作曲家≫のArabesque

・・・深くしなやかに・・・(音源リンクしてます)

田中信昭氏は豊饒な遅さを作った

2009-02-09 | レビュー/演奏・CD・ジャズ

《唱楽Ⅲ》のアンコールで多治見とN児の合同合唱団によって演奏された、三善晃編曲の「夕焼けこやけ」は天国的に遅かった。指揮は巨匠・田中信昭氏。
拙作のリハに立ち会った初日、帰り際にN児が金田さんの指揮でその曲を歌っているのを聴いたが、本番はそれより遥かに遅かったように感じる。
マエストロの差か。それとも単に合唱団の人数が4倍に増したからか。

ゲネプロで田中氏は、「はい皆さん、ここが重要です。最後にピアノが満天の星空を奏でます」と、そんなことは熟知しているはずの子供たちに歌うのを休ませ、ピアノを聴かせた。
ゆったりと大きく腕を振りながら歌に合わせ、「きれいな夕日だ」と語りかけたりもした。僕は「さすがお年を召した方はのんびりしたことをやるなあ」と思った。
しかしピアノの細かい動きをきちんと聴かせることで、集団に著しく遅いテンポを徹底的に植え付けていたのでは無いだろうか。
アマチュアや子供たちは単に棒の言う事を聞いて歌ったりはしないから、否、プロだって。

本番のステージでも、アンコールの前に何人もの小さい子供たちと握手したり、取るに足らない冗談を言って、ステージの2、3人の子供からさえ笑いをとったりしたことも、すべて良い演奏のためだったのでは無いか。
歌は楽器では無い。あれは歌う子供たちの心のチューニングをしていたのだ!
そのどれをとっても、僕を含め「テ・ルーキス・アンテ」のスタッフは及ばなかった。
形の上での改善はあれこれ尽くし、部分的には成果があったものの、全体像を鷲づかみに浸透させるには至らなかった。

ただし「夕焼けこやけ」は小学生から高校生までの即席大合唱団だった故、その特性を良くも悪くも顕著に聴き取ることが出来た。
弱音では子供の声なのに、フォルテになればなるほど、作り上げられた大人の女声になることだ。天使の歌声から、現実に引き戻されてしまうのだ。
この欠点は、やはり入念なリハーサルで修正するしかないのだろう。大谷氏が「テ・ルーキス・アンテ」で施してくれたように。
恐るべし田中信昭氏、80歳。子どもたちは、氏がどんなに偉い人か知っちゃいない。



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