脳波放送この言葉を使うのは10年ぶりくらいになります。その当時は日記というものがはやっていて私も脳波放送日記というのをやっていました。
どんな事を書いていたのかは忘れましたがこれは拘束ではなく放送に近いものと考えていたのです。今もそうでうすがずっと声が聞こえてくるのです。
もちろん日本語です。だから最初の頃は日本人がこの拘束を行っていると思っていたのです。心の中ではありえないことだと思っていました。
彼らの存在を確信していたのです。
どんな事を書いていたのかは忘れましたがこれは拘束ではなく放送に近いものと考えていたのです。今もそうでうすがずっと声が聞こえてくるのです。
もちろん日本語です。だから最初の頃は日本人がこの拘束を行っていると思っていたのです。心の中ではありえないことだと思っていました。
彼らの存在を確信していたのです。