昨日は平成の次の元号が発表されました。思い出すのは平成元年の1月7日に新元号の発表があったと記憶しております。もう記憶は確かなものか調べてはおりませんがその翌日の平成元年の1月8日のことは覚えております。確かその日は日曜日だったと思われますがこの地区の自警消防団の総会があり私が自警消防隊長に指名されたと記憶しております。
拘束されてはいたのですがまだ33歳~34歳のころはまだまだ元気な頃でしたね!この自警消防団は戦前から続く若い人がやる役職でした。火事の時に出動すると同時に災害の時には中心になって活動しなければならなかったのです。戦前にはこの地域の治安を守る仕事もしていたと先輩から聞いておりました。
一種の名誉職みたいなものでこの役職を経験すれば次は青年団の会長になるのです。この地域では若連と呼ばれ何事にも中心となって動く組織でした。16歳に入会し36歳ごろまでに引退することになっておりました。その後はOBとして50歳ごろまで後見をするという約束になっておりました。若連の代表は司幹と呼ばれそれも経験しました。
もちろんOB会長もやり47~48歳ごろに全て卒業しました。若いころは回復が早く拘束されていてもなんとかまともな生活はできました。拘束には苦しみましたがそのころまでは地域の活動をしていたので周りからはそんなに変には思われませんでした。今となっては懐かしい思い出になっております。
入院も2回ほどしましたが何とか乗り切りました。何しろそのころはもう拘束も終わるだろうと思っておりましたがそれが60代になっても続くとは予想もできませんでした。明日は4月3日ですね!特別な日ですが誰も祝ってはくれません!その若いころの信用も今はないのに等しいのです。時がたてばみな忘れ去られてしまいます。
まわりの目は最近一段と厳しいものとなっております。何しろ独身で無職の現実は変わりません。