お早うございます、信です。
雨台風11号が熱帯低気圧になって、北へ行ったと思ったら、また次の台風が来ています。
同じように沖縄で停滞しそうな感じです。
週末は天気が良さそうな感じなので、山やはどっと押し掛けそうな感じです。
なかなか絶景が期待しにくい予報ですが、でも行動を起こさないと何も始まらないのも道理。
重い腰を上げて、朝の一瞬の絶景を求めて歩き出すしかなさそうです。
さて先日、うちのクマさんの実家、福島二本松へ4日ほど行っていました。
その時に歩いてきた二本松・霞ヶ城です。
かなり前に菊人形展で来たことはありましたが、大手門から本丸まで歩いたのは初めてでした。
9月2日朝の阿武隈川上流です
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二本松から、東の浪江町へ向かう高田橋です
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今回の斎場が川の袂に見えています。
北側 下流側です
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北側が下流であることが不思議な感じがしました。
関東では殆どの川は北が上流、南が下流です。
晴れていれば目の前に、安達太良山が望めるところですが
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滞在中、一度だけ朝の安達太良山を拝めました。
今回、一眼カメラはありません。全てiPhone12での撮影です。
さてこの日の午後、時間を持て余してウォーキングに出ました。
国道4号を渡って、二本松の街中に出ます。
二本松は坂が多い。4号バイパスの坂を登って、下って東北線を跨ぎ、再度久保丁坂を登って下り降りたところです。
うちのクマさんの母校、二本松市立北小学校です
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坂を下った先が、二本松城報館。
今年4月オープンの立派な建物でした
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入っていきなり目についたのが、提灯祭りの山車
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子供たちが小さい時に、一度見た記憶があります。
でもコンセプトがハッキリしない観光施設でした。
城報館の北側に出ると、旧藩校「敬学館」跡
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そのまま進むと箕輪門正面です。
千人溜に二本松少年隊の像
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一番手前の少年像は、駅前にも設置されています
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右手は母親の像です
勇壮な構えです
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箕輪門案内です
大手門跡は来る途中の久保丁坂にありました。
旧奥州街道仙台道の「久保丁坂」信号からすぐの場所です。
城跡概要図です。非常に懐深い城郭です
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下には安達太良山のイメージ図が描かれています。
こちらが詳細図です。
それではイザ
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この「✕」はどういう意味かと思ったら
江戸時代の寛永20年に入った丹羽氏の家紋「筋違」です
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二本松少年隊の母親たちは、この紋を肩印で縫い付けていたのですね。
豪壮華麗な箕輪門です
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それではイザ「頼もう」
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明日は三の丸広場から。
撮影日: 9月2日
撮影場所:二本松市郭内 二本松霞ヶ城址
撮影機材:iPhone12
それでは皆様、ご機嫌よう。
こんにちは。初めまして。
桜の霞ヶ城ですか、私もその季節に一度行ってみたいと思っています。
今年はもう一度行かねばならないので、菊人形ひ見て来ようと思っています。
その時には、一眼で撮り直して来ようと思います。
二本松も不器用で、処世をうまく出来なかった生真面目な藩だったのだろうと思います。
それは戒石銘を見ても良く分かります。
コメント有難うございます。
お早うございます。
17年ぶりに、うちのクマさんの実家に行きました。
安達太良山登山などで、すぐ近くまでは行っていたのですが(笑)
本丸天守や、館などは戊辰戦争で殆ど焼失したようです。
それでも時間をかけて、調査発掘を行い、復元作業を地道に行ってきたようです。
石垣はやはり穴太衆が手掛けたものであり、本丸の石垣は見事なものでした。
東北震災の被害も甚大だったようですが、石垣は堅固に耐え抜いたようでした。
いつも有難うございます。
奥さんの実家に里帰りされていたのですね。
明治の廃城令により取り壊されるまでは勇壮な姿だったのでしょうね。
立派な石積みが、二本松霞ヶ城の歴史を物語っているようです。
iPhone12の写りも良いですね。
iPhone14が発表されましたが、値段を見てびっくりです。