わが家の「古銭」を調べております。まだ、江戸時代が続きます。
一応、古い年代順にしておりますが、間違いもあると思いますが、ご容赦下さい。
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「古南鐐二朱銀」かなぁ? 明和9年~文政7年(1772~1824年) 2.5cm×1.5cm×3mm。
明和9年(1772年)に、金貨単位の計数銀貨が発行されている。
表面には「8枚をもって小判1両に替える」との文言が打刻されている。南鐐とは、良質の銀を意味し、この銀貨は純銀に近いものだとか。
なお、側面には偽造防止のための小花印が打刻されている。
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「文政南鐐一朱銀」? 文政12年~天保8年(1829~1837年)。 1.7cm×1cm×2mmほど。
上の半分の大きさだ。表には16枚で1両の文字が・・・。裏には銀座・常是の表示が。
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「天保通寶」。天保6年~幕末頃(1835~1867年) 4.9cm×3.3cm×2.5mm。銅製。
金座で百文銭として造られたもの。鋳造銭で円形でないものはおそらく天保銭だけとも言われている。技術的にも高度に成ってきた証拠だ。
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「文久永寶」(ぶんきゅうえいほう)。幕末、鉄銭が発行されるなかでの銅銭です。
官鋳で、江戸時代に「寛永」の名が付かなかった唯一の通用銭です。基本的には表面に描かれた書体は3つあり、初めて金座・銀座の双方で鋳造されたのです。
松平春嶽、板倉勝静、小笠原長行の筆とされている。楷書が松平春嶽とされているので、一番上だろうか?
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万延小判? (壱両小判)ホンモノなのかどうかワカラナイ。
でも、壱両と刻印されていて、鈍い金色に輝いていた。(少し、黒ずんでいるが・・)ホンモノは3.5cm、3.3g、に対しコレは3.3cm、重さは計量不可。
もし、本物ならば、安政7年~慶応3年(1860~1867年)の江戸期最後の小判だ。開国後の金流出を防ぐために改鋳したものとか。純金量も慶長小判の約8分の1である。
それにしても、贋物であるにしても良く出来ている。どなたか、鑑定していただけないかナァ。
一応、古い年代順にしておりますが、間違いもあると思いますが、ご容赦下さい。
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「古南鐐二朱銀」かなぁ? 明和9年~文政7年(1772~1824年) 2.5cm×1.5cm×3mm。
明和9年(1772年)に、金貨単位の計数銀貨が発行されている。
表面には「8枚をもって小判1両に替える」との文言が打刻されている。南鐐とは、良質の銀を意味し、この銀貨は純銀に近いものだとか。
なお、側面には偽造防止のための小花印が打刻されている。
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「文政南鐐一朱銀」? 文政12年~天保8年(1829~1837年)。 1.7cm×1cm×2mmほど。
上の半分の大きさだ。表には16枚で1両の文字が・・・。裏には銀座・常是の表示が。
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「天保通寶」。天保6年~幕末頃(1835~1867年) 4.9cm×3.3cm×2.5mm。銅製。
金座で百文銭として造られたもの。鋳造銭で円形でないものはおそらく天保銭だけとも言われている。技術的にも高度に成ってきた証拠だ。
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「文久永寶」(ぶんきゅうえいほう)。幕末、鉄銭が発行されるなかでの銅銭です。
官鋳で、江戸時代に「寛永」の名が付かなかった唯一の通用銭です。基本的には表面に描かれた書体は3つあり、初めて金座・銀座の双方で鋳造されたのです。
松平春嶽、板倉勝静、小笠原長行の筆とされている。楷書が松平春嶽とされているので、一番上だろうか?
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万延小判? (壱両小判)ホンモノなのかどうかワカラナイ。
でも、壱両と刻印されていて、鈍い金色に輝いていた。(少し、黒ずんでいるが・・)ホンモノは3.5cm、3.3g、に対しコレは3.3cm、重さは計量不可。
もし、本物ならば、安政7年~慶応3年(1860~1867年)の江戸期最後の小判だ。開国後の金流出を防ぐために改鋳したものとか。純金量も慶長小判の約8分の1である。
それにしても、贋物であるにしても良く出来ている。どなたか、鑑定していただけないかナァ。
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