スターアニスの 『大和路 里の光彩』

アーカイブ中心の風景写真、趣味の書・刻字など・・いろいろと楽しんでおります。

話題の『真弓鑵子塚古墳』⑲

2008-02-08 09:07:35 | 出来事

奈良県明日香村真弓にある「真弓鑵子塚古墳」が全国最大規模の横穴式石室であったことが発表され、今朝の新聞に掲載されている。

先日、訪れた「益田(ますだノ)岩船」のすぐ近くだ。
このあたりには乾城古墳や与楽鑵子塚古墳など穹窿式で巨石を用いた古墳が点在し、また有名なマルコ山古墳、牽牛子塚(けごしづか)古墳、岩尾山古墳など小高い丘はすべて古墳と言うところです。



昔撮った「真弓鑵子塚古墳」

この古墳は以前から両方からの入り口から石室に入れることが出来、内部の様子は分かっていたのです。


毎日新聞記事より。 

今回の発掘調査によって全貌が明らかになり、6世紀中頃の築造で全長は19m以上。
使われている石は700個。
玄室の広さは18畳(長さ6.5m、幅4.4m)高さ4.7mで、この大きさは石舞台古墳を凌ぐ全国最大規模の横穴式石室と確認されたのです。

ところで、この「鑵子」とは・・・・。気になって広辞苑で調べました。
『湯を沸かすのに用いる青銅製または真鍮(しんちゅう)の器。茶の湯に使う茶釜。』とありました。
新聞掲載の写真を見ると、ホントそんな形をしています。上手く名づけたものです。


毎日新聞掲載記事。 

出土遺物などから渡来系の技術者集団・東漢氏(やまとのあやうじ)の首長墓とみられるとか。

この地域にある与楽古墳群からはミニチュア炊飯具や簪子など渡来系要素をもつ遺物が出土していることからこの地域の古墳は渡来系氏族東漢氏の墓域ではないかと考えられていました。

東漢氏は檜隈寺を中心に活躍し、飛鳥文化の担い手として蘇我氏と共に活躍していた人なのです。


なお、現地見学会が、下記の通り行われます。
場所 : 奈良県高市郡明日香村大字真弓
(最寄駅 近鉄飛鳥駅)
平成20年2月9日(土)
午前10:00~午後3:00
※現地での説明会はありません。

明日は、孫の音楽発表会のため、残念ながら行かれないのです。 


3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ヒキノ)
2008-02-08 13:33:51
明日香からまた一つの伝説が生まれました。
今日の朝刊に詳しく出ていました。
400個余とされる石組みをドーム上に組み上げた技術は?、ただ驚嘆するのみです。
天皇陵の発掘調査が許可されればもっと発見があるでしょうね。
返信する
Unknown (よし男)
2008-02-09 01:01:15
う、う、な、奈良の人がうらやましい!実際に見学に行けるのだから。それにしても昔の写真があるのに、なぜ今頃になって墳墓の規模が確定したのでしょう? それに内部にあったという石棺はいずこに? 朝鮮半島由来の「東漢氏」をなぜ「やまとのあやうじ」と読ませたのか? 私も触ったことのある近くの『益田の酒船」との関係は? このような石組みでよくも崩れないものです。朝鮮半島には同じ規模のものがゴロゴロあるのだろうか? 古墳には埋葬者の名前がないことがほとんどだが、なぜ?当時の人には当然のことなので記さなかったのか?なぜ?なぜ?なぜ?ナゼ?ナゼ?ナゼ?ナゾ!ナゾ!
返信する
Unknown (よし男)
2008-02-09 22:20:21
歴史に詳しくはないのですが、東漢氏が崇峻天皇を暗殺したので、こんな悪人の墓など要らぬとばかり暴かれ副葬品と石棺が奪われたのではないでしょうか?石棺は加工が難しく巨石よりも利用価値があって清めてから再使用したと想像します。墳墓を構成する巨石は剥がそうとして天井からひとつが落ちて来て死人が出た。ために呪いと思われ中止された。のかな? 一方亀石遺跡上の丘にある酒船石の周囲にあったはずの構築石材は大きさが適切なので、後世になり築城に使われたのでしょう。いまのところあまり多く残っていないようです。それにしてもこの『真弓鑵子塚古墳』は、まず土盛をして、その表面に巨石を貼るようにして作り、土の沈み具合を観察し強度試験をしてから土を除去したのでしょうか? この案には責任持てないから実証試験で完成した墓の下には入りたくないです。
返信する

コメントを投稿