すい丸の自由研究

アリを中心として、小学生の自由研究レベルの発見を日々楽しんでる オタク母さんです。
管理人の すい丸 です。

サクラ お別れ 2

2019-04-03 06:46:17 | サクラとさくら
前の続きです。

その前にサクラのコト と お願い
こちらをご覧になっていない方は こちらからお願いします。


ご確認された方は 次は
サクラ お別れ 1←こっちが先ね。(←誘導)


穏やかな顔をしていたサクラ

今思えば、あの時にサクラは 我が家に連れてきてくれたサンタっぽい人に『この家に連れてきてくれてありがとう』と言っていたのかな。と思ったりもした。

この後 病院に行った。
先生に ずっと立ったままで 苦しがっているコト。
オシッコが黄色くて 出る量が少なくなってるコト。
お腹が痛いコト。
まだ吐いているコト。

を伝えた。
もうダメだろーな、と思ってしまってるので『先生!助けてください』とは思わなかった。
とにかく サクラから痛みの苦しみを取ってあげたかった。

血液検査をして、予想通りビリルビンとBUNの数値が高かった。
皮膚も黄色い。
ものすごい速さで黄疸が進んでいる。

エコーを撮ったら 胆嚢が7㎝にも腫れていた。
普通の状態の画像がないから わからないが、私が見ても 腹部の所に大きく腫れ上がっていた。
レントゲンでも確認できた。
腹膜炎を起こしてる。
多分、腫れ上がった胆嚢が破裂してしまったんだと思った。

先生も私を気遣いながら説明してくれて、開腹手術は勧めなかった。

もし、『今から手術をする』と言われても、私はサクラを入院させるつもりは無かった。
この状態を見て もう助からないと思ったし、入院したまま 一人で死んでしまうのは可哀想過ぎる。

サクラは ウチが大好きだし、一度仙台から連れて来られた時の 寂しさを二度と思い出して欲しく無い。

先生もサクラの生い立ちと性格を知っているので 無理を言ってこなかった。

先生に今サクラはどの位辛いのか聞いたら 『おそらく、生きているのがツライ腹痛だと思う』と。
そして、治療は点滴しかないが静脈に留置をしないのなら 皮下に点滴をするけど、この痛さを消してあげないと可哀想だと言った。
私もそう思った。
『鎮痛剤を打ってください』とお願いした。
多分 意識が朦朧として サクラはもう私の事もみんなの事も分からなくなってしまうと思ったけど、家に連れて帰ってあげたいのでこの痛さをなんとかしてあげたかった。
とにかく 少しでも寝かせてあげたかった。

先生から 『とりあえず夕方まで朦朧とする注射を使うから、病院が終わる直前にまた様子を見せにきて欲しい』と言われ 皮下に注射をした。

痛みで力が入っていたサクラの体が少し柔らかくなり でも シッカリ寝るほどの強いクスリではないので サクラはシッカリしなくちゃと思う気持ちと脱力の感覚でフラフラしてて危なかった。

帰りの車でキャリアケースに入れずに椅子に寝かせたら いきなり頭を振ったので シートベルトの金具に顔をぶつけてしまった。
可哀想なことをした。多分 すごく痛かったと思う。
ゴメンね、サクラ。お腹が痛いのに 他でも痛い思いをさせてしまって。暫くさすってた。

家について メルカリ用のダンボールで 寝やすくて看病しやすい入れ物を作った。

鎮静剤が効いて 寝るかと思ったけど、なかなか寝てくれない。でも 瞳孔が開いてるから 薬は効いてると思う。


この状態が暫く続いた。
サクラの体を撫で 『大丈夫だよー、お母さん ずっといるからねぇ』と声を掛けて続けた。

11:40、やっと寝られたかな。

こんなにスヤスヤ

サクラ 良かったね。やっと寝られたね。
お腹 痛くないから寝られたんだよね。

寝息まで聞こえる。
ずっと このまま寝てせてあげて欲しい。

今寝てる間に 用事を済まそうと 家を空けた。
1時間程して戻ったら、まだサクラは寝ていた。

13:16

少し寝息が荒くなってきた。

鎮静剤が覚めてきた様な感じ。

この状態は 動物病院でも手術後の鎮静剤が切れる時になる状態なので 見慣れていているけど、やっぱり我が子だと心配になり アジュママさんに動画を送ろうと撮影しようとしても、私の嗚咽が入ってしまって動画が撮れない。
とにかく 今は体温調節も出来ないから お湯を入れたペットボトルを火傷をしない様にサクラの側に置いた。

『サクラ、大丈夫よー。お母さん ココにいるからねぇ』と、声を掛けると 聞こえているのか大人しくなる。(様な気がする)
14:56


この後、段々と呼吸と共に 無意識に声が出るようになる。
『わん、わん、わん‥』と、いつものサクラの声では無い。

17:00頃にオットが帰宅して随分変わってしまったサクラに会った。

18:00頃サクラを仙台から連れてきてくれたサンタっぽい人にLINEを送った。

そしたら、すぐにご夫婦でサクラに会いに来てくれました。

『サクちゃん、すい丸さんちに来れて良かったね。』と言ってくれた。

仙台の本当のサクラのお父さんとお母さんに 折を見て伝えて下さいと頼みました。

お二人が帰った後 病院に行く前に 『記念写真を撮ろう!』と私が言った。
多分もう時間がないと思ったら 家族で写真を撮りたいと思った。
18:13

泣きながら 笑顔(笑)

この後、次女にサクラの箱を抱っこして貰って病院へ。
長女は19:30から受験直前の塾だから置いていった。

病院へ着いた時 サクラは穏やかに呼吸をしてと横になっていた。
もう声が出る力もないようだった。

先生が 鎮静剤が覚めたらまた痛いのは可哀想だからと、鎮静剤を追加した。

私も 痛い思いは絶対にさせたくなかったから 了承した。
(今思えば、この時 冷静になって もう打たなくていいといえば良かった)
すぐに車に乗って 家に帰る1.5キロは長かった。

次女が助手席でサクラに話しかけている。

ふっと見ると サクラが首を上にクーっと伸ばした。
『最後の呼吸だ‥サクラ 死んじゃう!家まで間に合って!まだお父さんもお姉ちゃんも家にいるよー!サクラー頑張れー!』と、私は左手でサクラの心拍が段々弱く少なくなっていくのを確認しながら運転していた。

でも、後少しの所で間に合わず 18:46 サクラは死んでしまった。
3分ほどで家に着いて、みんなでサクラを触ったら まだ温かくて、柔らかくて 痛みから解放されたサクラの顔は穏やかだった。
悲しかったけど、それが何よりも一番嬉しかった。

次女は泣いていたけど、長女はコレから直ぐに塾なので 自転車だと動揺して事故を起こすと怖いので 私が車で送って行ったけど、号泣しているのは私の方だった。

家に戻って サクラの体をブラッシングした。
いつもは噛み付いて絶対にやらせなかったけど、おとなしくて 泣けた。
18日がトリミング予約していたので伸びきっていた絶対にやらせない足先のバリカンも 爪切りもやってあげた。

おとなしければ私だってこんなにキレイに出来るんだぞ。

暫くして 火葬しなくてはならない事に気付いて 専門業者に電話した。
今の時代は ペットは自宅に火葬車が来て その場で火葬すると聞いて驚いた。

翌日13日の子供達もオットも帰宅している16:30にお願いした。

この日の夜は 寒い部屋でサクラの横で添い寝しながら 泣いたなぁ。

翌朝、子供が起きてきて サクラはいつもの場所にいて、次女は毎度のソファで二度寝、長女はいつものサクラの近くで勉強をしていた。

(⚠️この下小さくサクラの写真が出ます)





当たり前の光景に サクラが生きていると錯覚してしまって 嬉しかった。

夕方 火葬車が来て 次女が連れて行った。

偶然にもその時 ご近所のhirogonさんが クーちゃん(プードル)を連れて珍しく散歩してた。いつもは通らないのに今日に限ってクーちゃんがこの道を通りたがってくれたのだと。
一緒に手を合わせてくれ、暫しスッピンで泣きまくる私とサクラの話をしてくれた。

後日、hirogonさんはサクラに花とおいもちゃんを届けてくれた。
アジュママさんからも、足型の可愛いマドレーヌが届いた。

おいもちゃんもマドレーヌも美味しかった。
ありがとー。


1時間程してサクラは小さくなって帰ってきた。

あー、もーサクラは居ない。

翌朝(受験の日当日)サクラのいた場所は 跡形もなくキレイに片付けた。

今まではウンチやオシッコをしちゃうから絶対に敷けなかったカーペットも敷いた。

でも、どうしてもツライ。

死んだら星になるとか、こうしたらサクラも喜ぶとか、そんなキレイ事では穏やかにはなれなかった。ただただ いない事がツラかった。

サクラの爪の音がしない床は静かで寂しい。
骨壷を見ると泣けてくる。
サクラの存在を無しにするのは 家族全員が苦しかった。


置いてみた。
ちょっと 心が温かくなった。

でも足らない。
保護センターに行って新しく犬か猫を連れてきてしまいそうになる。


こっそりと置いてみた。





みんなの心が落ち着いた。
みんな いつもみたいにサクラに話しかけた。
モノを落とすと 『ほら!サクラが来るから落とさないで!』と私も次女に怒れる。
次女も 慌てて拾う(笑)

長女も


次女も


私が好きだったサクラの触り方


ついやってしまう


こうしながら すい丸家は段々とサクラのコトをみんなが受け入れて行こうと思っている。


まだまだ急に泣けてくるけど、こうして 誰かに自分から言えるようになれたから 多分大丈夫だと思う。



『おいもちゃん、ちょうだい(^^) 』

サクラには 感謝しかない。

でもやっぱり サクラに会いたいよー🌸




サクラ お別れ 1

2019-04-03 06:46:04 | サクラとさくら
昨日の記事で予告しましたが、
サクラは死んでしまいました。

サクラのコト とお願い


本当に突然の事で、色々と考える時間もなく 呆気なく でも その時間は私にとって、家族にとって苦しく長い時間でした。

この記事は 私の覚え書きとして、サクラの最期を記録に残しておきたいので、かなり赤裸々に実際にあったコトを綴らせてください。


昨日もお伝えした通り、気分を害する内容があるかも知れません。

どんなコトが書いてあっても読める!と思える方のみの閲覧をお願い致します。



いきますよ、書きますよ。


2月10日(日)

長女の私立の受験日でした。
朝は長女が面接の練習をする横で サクラは自分の布団の中に寝ていた。

この時はまだいつものサクラ。

私立の受験が終わり帰宅した長女に色々と話を聞いたりして、その日の夜は少し遅くなった。
サクラも私が寝るのをずっと待っていた。
私が寝るのがわかった時に 喜んでいつもの『お芋ちゃん』を催促してきた。
もう遅かったけど、私は『サクラが欲しがったらいつでもあげる』と決めていたので、蒸したサツマイモを 残ってるフードにまぶして あげた。
サクラも喜んで 半分くらい食べて 私の布団に入って寝た。


2月11日(月 祝)

その夜 3時位かな、サクラの姿が見えないので暗い中 見回したら、次女の寝袋の足元でジッと私を見ていた。

その目が何か訴えてるようで、電気をつけたら サクラの目の前に嘔吐したあとがあった。

『サク、どーしたの?気持ち悪いの?』
と、周りを見渡したら 嘔吐は7ヶ所もあった。

これは普通じゃないと思いったけど、まだ早朝だし、掛かりつけの病院は月曜日が休診日。

サクラは口を開けてハァーハァーしている。

悩む‥とりあえず 6時まで待って 救急用の電話番号に掛けたら 先生が眠そうな声で出たので 様子を話すと とりあえず 絶食してみて明日診察に来て‥と。

確かに胃腸炎の時の対応はそれだけど、やっぱり病院に連れて行きたい。
でも休み‥、なんてついてないんだろう‥と どうにもならない状況に途方にくれ アジュママさんにLINEを送った。


すぐに電話んかけてきてくれて、色々と様子を話した。お互い動物病院で働いていたから、色んな可能性を知りすぎていて こうゆう時って安心する事が出来ないのよね。

そのうち9時ごろ 病院から電話がきて『様子はどう?心配なら連れてきても良いですよ。』と言ってもらえて、即 次女に抱っこしてもらって連れて行った。

とりあえず 吐き気どめと皮下に点滴をしてもらった。


何度も吐いているので 点滴は有り難かった。
胃腸炎ならこれで絶食すれば落ち着くだろうと思って安堵した。

でも、帰ってきてもあまり変わらなかった。

とにかく 吐く。

座ることも出来ないで アチコチ歩き回っている。
きっとお腹がすごく痛いんだな、と思ったけど どうしてあげることも出来ない。
息も荒く ハァーハァーが止まらない


その後も 立ったり 座ったり ウロウロしては吐く。




夕方 仕事のミーティングで2時間ほど家を空けた時に 次女から『お母さん!サクラが吐き続けてる』とLINEが来た。

急いで帰ると、仙台から来た時に入ってきたケースに入っていた。


顔色がだんだん悪くなる。
全然 よくなる気配がない。

その夜、サクラは一晩中苦しんでいた。
部屋が寒いのに 窓際に行ってしまったり、扉の隙間風の入る所に行ってしまったり、その度に毛布を持ってサクラを追いかけた。

私がウトウトしてて ふと目を開けたら

サクラがジーーーッと私を見ていた。

その目は『お母さん‥ ツライよ‥助けて‥』
と、言ってるようだった。

『サクラ ゴメンね、どうすることもしてあげれない‥早く朝になったら病院行こうね。こっちにおいで』
と言ったら トコトコ歩いてきて いつもみたいに私の布団の中に入ってきた。
少し段差があるのに登れたので まだ上がれる力があるのかな‥?と少し期待もした。

少ししてまた部屋をウロウロ。
近くで聞くと 小さな声で ウーン、ウーン と唸っていた。やっぱり相当痛いんだ。
可哀想に‥、サクラのこの小さなお腹の中で なにか凄いコトが起きているんだ‥と思った。


朝方 出たオシッコが やたら黄色かった。
黄疸だ‥、一昨日までは元気だったのに こんなに急に容態が悪くなってる。

多分、サクラは ダメなもしれない‥と、その時思った。

2月12日(火)
朝になって みんなが起きてきて サクラの様子を説明した。
オットがいつも仕事に行く前にサクラを撫でる。
この日もサクラはフラフラになりながらもオットに近づいて甘えた。

サクラはお腹が痛いのに オットが仕事に行く時に いつもの様に玄関までフラフラと歩いて行った。
倒れそうだったので、私が抱えたら 私の右手を噛み付いた。
足を触って噛むことはあっても抱えた時に噛むことは今までなったので、多分 お腹が相当痛いんだと思った。

その後 ソファに乗りたがったので 乗せてあげた。
14日が公立受験の長女がいつものように その側で勉強をしていた。

子供たちが学校に行き、私はどうしても朝8:00〜9:30迄の仕事があったので 『帰ったら病院行こうね』と伝えて家を空けた。

玄関を開けたら サクラがソファからヒョイと顔を上げた。
とても穏やかな顔で 私を見ている。

インターフォンがなり 外に出たら、サクラを仙台から連れてきてくれた あのサンタっぽい人が用事があってウチに寄った。

サクラの様子を説明して、玄関からソファの上のサクラを見てもらった。
いつもなら ものすごく吠えるのに、やっぱり吠えないで 穏やかな顔でジッと見てる。

『サクちゃん、早く元気にならないと お母さん心配してるよ』と、言われて、いつもなら話しかけられると けたたましく吠えるのに ただただ何も言わずにジーーーッと穏やかな顔で サンタッぽい人をジッと見ていたサクラ。

この時 何で写真を撮らなかったんだろ‥と とても後悔してる。
でもあの時の サクラの顔は 一番覚えてる。

サクラのコト と お願い

2019-04-03 00:11:20 | サクラとさくら


実は 2月12日にサクラは急死しました。

おそらく 胆嚢破裂 で腹膜炎を起こして あっという間でした。


こうなるまで サクラの病気に気づきませんでした。

今思えば、次女だけにお腹をさすると 本気で噛み付いてきたのは 実はかなり痛くても私にはガマンをしていたんだな‥と思いました。

でも もしわかったとしても、それからは食事療法メインでの治療になる為、大好きなおいもちゃんを食べられなくなるのも 可哀想だな。と思いました。



長女の私立の受験が10日に終わり その深夜に急に具合が悪くなり、一日苦しんで、12日の夜 死んでしまいました。

サクラはとても苦しんでいたので、私は 『死なせない』コトより『苦痛を無くしてどう生きてもらうか』を選びました。

とてもツラかったけど、長女の受験の為に 私が仕事をほとんど休んでいたので、全部サクラの時間に使えたコト、サクラが容態急変して死んでしまい火葬するまでが、長女の公立の受験日の前の日までに終わったコト。

居なくなってしまったのは物凄くツライけど、お腹に時限爆弾を抱えていたのに、このタイミングでこんなにも 誰にも迷惑を掛けないでくれたサクラは 本当にいい子だと思いました。

仙台の老夫婦の家で4年5ヶ月飼われていたサクラ、飼い主さんの体調不良で飼えなくなってしまって保健所に処分に出される直前で こっちに連れてこられて、ヒョンなコトから我が家に突然来たサクラ。
最初は

こんな 寂しげな子だったけど

いつしか

こんな堂々とする様になりました。

我が家でもちょうど4年5ヶ月。

長女のメンタルを助けてくれて


次女の良きライバルだった


サクラの行動には 本当に笑わせてもらった。

そして、死んでしまった2月12日は 私の50歳の誕生日。子供の誕生日すら忘れる私に こんなにも強烈な記憶を残すサクラは やっぱりスゴイな。

まだツラ過ぎて サクラのカテゴリを読み返すことは出来ないけど、いつか全部読み返してみたい。

ブログをやっていて 本当に良かったと思う。


明日 サクラの最後の数日を
記録としてブログにアップします。

私の記憶の記録の為なので、赤裸々に書いてしまってますので 不快になる方もいると思います。

大変申し訳ありませんが、多分読めないな、と思う方は スルーして下さい。

忘れっぽいすい丸のわがままを お許しください。