蘇州大学「酔話会」

不問過去的事、在中国生活快楽、交換消息

中国江蘇省蘇州市蘇州大学
高嶺者留学生の談話室

済南記

2012年04月24日 | 旅行

一週間済南へ行ってきました。故郷山口県と山東省の友好三十周年記念行事取材というか、山東電視台との打ち合わせというか。忙しかったけど、よく呑み、よく唄い?第2?第3か?(5年も学んだ?蘇州がある)のふるさとを満喫して、、、、、、きました。先ずは「済南記」孔子さまから。

孔子さま

山口県山東省友好提携30周年の記念活動を見るべく、30年ぶりに済南へ来た。蘇州北駅9:34発北京行き高鉄に乗車3時間20分、車内で上海から済南へ行く老夫婦と娘二人の4人と同席した。老人は86歳、済南の生まれ、従軍して、老後上海の娘のところで世話になっている。1926年生まれだから1928年の済南事件の時は二歳。終戦が45年だからまだ19歳。老人が戦ったのは、国民党との戦い。山東省には王震、白如冰など有名な革命軍の将軍がいた。ためしに聞いてみたら二人とも知っていた。実は、ぼくも王震には北京の中日友好協会で、白如冰には山東省代表団団長とした来日の際、会っている。白如冰には大谷山荘の温泉で肩を貸して一緒に風呂にも入った。実は白如冰は開放戦争で右足に銃弾を受け、風呂はすべるのであぶない。上海の老人は革命烈士の墓を詣で、かっての戦友を慰霊するのだという。抗日戦争の方でなくてよかったと、ホッと胸をなでおろした。

娘二人が普通料金で列車の切符を手配したのを知ると、老人は退役軍人の赤い手帳を出して、これを見せれば半額なのにと、言っていた。まだかくしゃくとしている。

12:53済南西駅着。バスで市内へ向かう。高鉄は去年開通したばかりなので、済南西駅前はまだ開発中。157路バスに乗って市内へ。途中営市西街で117路バスに乗り換え。混んでいた。乗るとすぐ、若い人が席を譲ってくれる。見ていると、若い人はほかの老人にもみなそうしている。となりの中年の人に「ここではみなあんなにするの?」と聞いたら「孔子の里ですからねえ。孝順はあたりまえですよ」。「これはいい土地に来た」と言ったら、「楽しんでいってください」と名詞をくれた。中国古籍発掘管理委員会主任趙立兵とある。孔子の教えがすぐ出てくるはずだ。兵役に行ったんですか?と冗談を言うと。名前だけですと笑っていた。

30年前は自転車だらけだった街も今は車で渋滞。バスが市内に入ると高層ビルの群れ。国体をやった体育館、博物館など最近建ったビルは中国各省の施設のうち、規模最大。山東大漢といって、山東人はたけが大きいことを言うが、とにかく大きいことは好き、建物の規模も全国一が自慢。

バスを降りると山東師範大学直営のホテルにチェックイン。フロントの対応が感じがいい。サービス業だから当然と言えば当然だが、それを言うと、「孔子の里ですから」という答えが返ってきた。ここでもか。孔子は二千五百年経っても住む人の心に伝わっている。孔子廟は何度も立て替えられたし、形のあるものは、うつろっても、こころは確実に伝承される。形而上は形而下よりも強し。

翌日夕方、泉城公園に行った。この公園は周囲4kmもある。「中に日本庭園雅あるはずだが」と庭掃除の老人に尋ねると「案内しよう」と箒を置いて先にたって歩き始めた。20分も歩いたころ、前方に錦帯橋の模型がかかった池が見えた。これは、案内してもらわないとたどりつけない。孔子は親切を教えていたのかな?そう言うと老人は笑って、帰って行った。

翌翌日山東電子台交流室長に招待された。その席の話題。「日本ではサラリーマンが仕事帰りに仲間で呑む時の話題ナンバーワンは上司の悪口でしょう」。室長曰く「ここでは、本人が居ないところで陰口は言いませんよ。孔子の教えに、、、、、」まいったまいった!山東省にはでかい建物がたくさんあるが、いちばんでかいのは、やはり孔子さま。 z