ブログの訪問数をみていると、報告もいいが、なにか問題提起する話題に、みんなの関心が集まるようだ。そこで、コーヒーを飲みながら閑話休題。
時間と健康と金をどう使って、残された余生を生きるか? シニアなら誰しも、考えることだろう。この際、聖人君子の生き様はおいといて、ぼくら俗人の思考で話をすすめることとする。
寿命は天からのさずかりもの。健康は自己管理のたまものだろうが、いつ病気に見舞われるかは予測しがたい。金は、これからたいしたかせぎは望めないので蓄えか年金に頼らざるを得ないが、かなりの精度で計量化できる。
となると、思考のスタートは一定の金をどう使うかから考えるのが順序だろう。つまり、何に使って、何に使わないか。時間と健康をどの程度重く見るかによって、使い方は変わるだろうが。
ぼくの場合、目下健康に恵まれてるし、寿命もたっぷりありそうなので、病魔が突然来たり、天のお迎えが来たりしたときには、じたばたせずそれをゴールとしたい。また、唯物史観が身上なので、死後の世界は無。したがって、葬式、墓のたぐいは無用。金の話に戻ると、何に使わないか?健康保険、介護保険、葬儀、墓に使わない。健康で生きてるうちに使ってしまう。
どう使うか?読書と旅行。陳瞬臣の「中国の歴史」12巻はもう一度精読したい。司馬遼太郎のものも、もう一度全部読み直したい。年1~2回ふとパックツアーに参加して、バスの中からぼんやり街をながめてまわりたい。あとは、老朋友ととりとめのない話をしながら、うまい酒を呑みたい。
コーヒーでスタートしたが、締めはやはり酒。ひとによっては、ややついていけない部分があるかも知れないが、そこはガヤガヤ話のきりだし、そうは思わない、ややそう思うなどとガヤガヤ話をつづけて! z
以前、授業中に「閑話」という言葉が出てきたので、思わず知っている四字熟語で「閑話休題」と言ってみたら、老師がポカンとしている。発音が良くなかったのかと思い、言い直したが通じない。字を書いて説明しても、中国語にそんな言い方はないと言われてしまった。どうやら中国語にはこの言い方がないか、殆ど知られていないようだ。
中国語の「閑話」には二通りの意味がある。
1、本題と無関係の話,無駄話,雑談。
2、他人の悪口,陰口,噂話,文句・不平
組み合わせる動詞は「说」や「甩(shuǎi)」。
調べてみたが、私が持っている数冊の中国の辞書には「閑話休題」は載っていなかった。
日本の中日・日中辞典には、慣用句として載せてあるものがあったが、「闲话休提」「闲话不提」となっていて、「題」ではなく「提」の字を使っている。これとて、おそらく一般の中国人には馴染みがないだろうと思われる。話を本題に戻すという意味で使うのなら、「言归正传」という成語があり、こちらがポピュラーのようだ。
日本語では一般的に「余談をやめて本題に戻る」「本題に入る」ときの接続詞的に用いられる。「それはさておき」「さて」に相当。「閑話」は「間話」とも書かれるので、間に挿入した話題の意味もあり「無駄話」とは限らず、重要な話題でも使えそうだが、中国語には「间话」という書き方・言い方はないので、「闲话」には褒義はなく貶義しかないようだ。
以上、本題のプライオリティには関係のない「閑話」でコメントしてしまいました。悪しからず・・・。
依って、かような状態になるまでは興味のあることには躊躇せず行動する、と云うところまでは結論めいたものが見えてきたが、さて何に興味があるかというと都度都度変化し定まらない。
時間は働いているときと違いたっぷりある、読書ははずせない重要な時間つぶしである、私は年取ってきたせいもあるが歴史もの、著名な文学ものに目が向く。 旅行、これも大切な時間つぶしである、特にまだ見ぬ国を肌で感じたいところはある、特に各国々の博物館、教会等々は是非見物してみたい、
昔世界四大博物館と言われるところを鑑賞する機会があったが、四大とはその国の歴史的な財力、腕力を象徴するもので有るとの結論を得た、ただ世界史が一応に見れる事は簡便では有るが、又各国の博物館の中には一生忘れえぬものにも出会う場面がある、例えばカイロの博物館ではアフロヘアーの黒色人種のミイラが陳列されていた、場所柄当然といえば当然なことであるが、大半のミイラがアラブ系の彫りの深い顔立ちのなかに数体これを見つけ、長いエジプトの歴史の中では黒人が王として君臨した時代があったのかと驚きというか、何か新鮮さを、愛着を感じたことを覚えている。
依って見知らぬ国の旅行はやはりはずせない。
もう一つの課題は友達、友人、朋友との会話である、これなしに読書、旅行は気の抜けたビールの如く面白みが半減する。幸いに酔話会OB ?の一員でいられることは有り難いことである。
一方各種保険については人生の最終章をどの様に描くかにより意見は分かれようが、現代の世の中ではある種のものは必要と考える、これはあたかも自動車を運転するのに保険をかけないたぐいと似ているように思えるが、さて皆さんは如何ですか。
バランス感覚のいいシニアライフ観、多謝。不惑の世代、こうでなくっちゃ。
大国の財力、腕力博物館、やや斜めから見るとこんな見方も。例えば、敦煌莫高窟の第何窟だったかに塗りこめられていた何万巻かの仏典。清末これを発見した王道士はこれを役所に届け出た。しかし、敦煌の文物価値は当時認識されておらず、役所は見向きもしなかった。よって、1907年、玄奖の崇拝者である英国のスタインの求めに応じてこれを譲った。文物が価値を知らないものの地から価値を知るものの地に渡ったのである。フランスのぺリオ、日本の大谷探検隊も一部譲り受けた。そして、敦煌は世界の注目するところとなった。文物は移動したが、そこでは手厚く保管展示されている。陳瞬臣のいう「大英博物館に蔵す西域の宝、秘文名画は万邦の賓なり」、つまり文物は世界の宝、全人類の英知と責任において、地球のどこ置いても大切に保管すべし、一理ある。
さて、シニアライフ、やや偏重な話をもうひとつ。
50年代ニールセダカの“ワンウェイチケット”がはやった。ぼくが唯一三番まで英語で歌える歌。かりに、あと数ヶ月の人生ワンウェイチケットを渡されたとき、残日をどう生きるか?もともと人生は帰りがないのだが、時間が明確に限られると、覚悟がいる。ただ、有人火星探査機でも、生還を前提にしなければ、コストは何十分の一。つまり、ワンウェイ覚悟なら特大のことができる。昔片道燃料を積んでズケランを飛び立った若者たちがいたが、00国万歳、00さま万歳と散る覚悟はない。9.11のように殉ずるものもない。とはいえ、数ヶ月後に散るを仮定して、体が動くうちに何をするか。チケットをもらう前に、考えておくのもわるくない。
残念ではあるが当時の欧米諸国と他の国々では文化度というか、文明と言うか、経済力といいぬきんでていた事は事実、過去の戦争でも、破壊するところ、遺産として残すところを明確に分け、勝利する作戦には一種の余裕すら感じる。
この題材には思うこと多く語りつくせぬものがあるが、個人のブログでもないゆえここいら辺で一旦筆をおき、いずれZさん含め皆さんと酒を潤滑剤として是非歓談したい。
宜しく。
順を追って見て行く。先ず自分。まだ判断力が残っているとすると、生かされているなかで、生きつづける意味はありや? 次に、生かしてくれている周りの人。生かしてくれていることに、倫理的責任感以外に別の動機ありや? 周りのひとにもその人の人生がある。その人の時間と金を特大に侵害していないか? 金はだいじょうぶか?
各人各様の思いはそれぞれをよしとする。そのなかで、ぼくは、周りの思いを振り切っても、受動態になる前にテープを切りたい。つまり、生かされているのはごめん。しかし、これには周到な準備がいる。テープはやわらかい布ではない。かなり痛い。できれば、痛くないに越したことはない。恐怖感はエイヤ!!でカバーできよう。瞬間がいい。とはいえ、迷惑を及ぼしてはならない。手榴弾、焼身などもってのはか。飲み物も眠り薬もカリもそれなりにきつい。量をまちがえてこっち側の岸にもどったときは、はためいわく。
ひとは、飛びたい願望がある。リリエンタールもライト兄弟も挑戦した。彼等は翼を用意した。ダイビングも落下傘を背負ってか、バンジーをつけてか、プールをめがけてかであるが、飛び出すときのエイヤ!!は、アスファルトをめがけても同じではないか。
特に、バンジージャンプは、ずぶの観光客でもいきなり挑戦できる。今では、かなり多くの場所で試せる。バンジーなしジャンプの日のために、練習しておくか。事前に場所、交通、時間帯のチェックも必要。
Gと体重60kgで計算すると、高度40mは必要。風の影響も要考慮。下に人やものがいないかよく確認してから。飛散を防ぐため、ゴルフバッグ包装ようの袋みたいなものにくるまってがのぞましい。第一発見者は、救急車が望ましい。救急車が横付けできない断崖などはさけること。直前に正確な場所を電話しておくこと。他を配慮して、自らの意思であることを明確にしたかきものは必要。なにがしかの清掃費用とビル管理者へのこころづけも。
サイパンにスイサイドクリフがある。敗戦の日、女たちが、飛び降りている映像が残っている。紀貫之が「女もすなるものを男もしてみんとす」といっていたが、さて、その日がくるのかどうか。でも、考えておくのはわるくない。
とお思ったりする。
No one knows what's out there, or what's NOT out there. The mental decision made in this linear perspective of time and space, may be binding self to permanence. But the reality is Annicia (impermanance).
The more I am exposed to quantum physics theory and having the account from the people who see energy, I wonder... I do not necessarily believe in the continuation of ego after death (but then who knows), the energy may conglomerate or disperse...
At any rate, the truth is nobody knows, well, in that case..., it seems more plausible to keep the door open to unknown, another words, to keep it as surprise!
For me what's important is to be able to say " thanks" to life at the threshold of my death. I care less about after, but I also don't close the door to unknown possibilities.
Thanks again for giving me(us)your idea.
(病室―点滴針を差し込んだままの病人を家族が囲んでいる)
医者:手はつくしました。
娘:パパ死んじゃあいや!
老婆:あなた逝かないで!
A:なんだかさわがしいな。ゆするなよ。いい気持ちで逝きかけてるのに、なんどもじゃまされる。
医者:ご臨終です。
一同:合掌
A:やれやれ。こんなんに付き合ってないで、めいめい楽しいことやれよ。ぼくは、静かに逝ければ、見送りなんていらないのに。
(マンションの一室)
A:もう、何週間も人に合ってないな。電話か?どうせ娘だろう。なんだか苦しいな。苦しいなんて言うと飛んでくるから、めんどうくさいな。自分の時間と空間を守るほうがだいじ。ほっとこう。トイレに行きたいが、動けそうもないな。このまま、パンツをよごすか。子供の頃の寝ぐそ、寝小便といっしょだ。
はらがへった。動けないな。枕元には水がる。酒もある。腹のたしになるかな?酔った。苦しいが、なんかほんわかする。このままお迎えが来るなら、極楽往生だな。夜が来たようだ。寒いな。酒で温まるか。
、、、、動けなくなって、もうかれこれ一週間になるか?水と酒は呑んだが、何も食ってないな。電話がしょっちゅう鳴るが、出れない。いや、出ない方がいい。ひとが来るとめんどくさい。
そろそろ、身体がひからびてきた。今日は、お迎えが来るだろう。あとのことは、前に書き残しておいたので、すんなりやってくれるだろう。来た来た、思ったほど苦しくないな。ねむい。いい気分だ。いい別れだ。
病室、マンションの一室、どちら? ぼくならマンションの一室。孤独死と問題視して報道されるが、逝くときは見送りおおぜいより一人のほうがいい。というより、一人で逝く権利を行使したい。
残るひとと逝くひとの立場が違いすぎる。逝くひとの唯一の願望は静かに逝きたい。残る人は、それぞれの立場がある。悲しんでみせなくてはならない。真実悲しい。しかし、逝く方は、悲しんでなんかちっとも欲しくない。立場がちがう以上、同席しないのが最上。
なんだかへん? だから言ったでしょう?へんな考察だって。