蘇州大学「酔話会」

不問過去的事、在中国生活快楽、交換消息

中国江蘇省蘇州市蘇州大学
高嶺者留学生の談話室

うその科学

2012年03月26日 | つぶやき

こんなんは、ショートショートで書けるわけがない。でも、呑んでふと思ったことを羅列しておけば、あとは仲間がフォローしてくれるだろう。正岡子規も高浜虚子、河東碧梧堂に託したではないか。

うそはおそらくひとだけが言う。“かわうそ”もうそは言わない。なぜ、言うか?他を思いやるゆえに、、、自己弁護のために、、、ひとを乗せるために、、、いろいろある。「折れたたばこのすいがらで、あなたのうそがわかるのよ、、、」ひところ流行った細川?某のヒット曲。「男と女、あやつりつられ、、、」夢舞台。衝突をカバーする潤滑油にはちがいない。

昔、ぼくも、うそをついた。しかし、うそをつかない、いやつけない種類にひとがいたのを知っている。かりに、ぼくが、戦国の武将になったとしよう。うそをつけない側近は貴重。戦略を組み立てるのに、不動のレンガとなる。うそをつくかも知れないスタッフは、かりに才能があっても、重用のしかたがむつかしい。しかし、もともと、動機はともあれ、うそをつくのがひとのさが。そうゆうひとを使い切るには、うそを見抜くのではなく、うそをつかなくてもはげんでくれる状況をたえず維持するほうに、力を注ぐにしかず。

退職十数年、ぼくのまわりには、うそをつかなくてもすむひとたちばかり。やはり、落ち着く。でも、今でも、やさしさゆえにうそをついているひとを否定しない。ひとは、やさしさがいちばん。じゅうなんがいちばん。もっと話を展開したいんだが、アドレナリン切れ。z


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6 コメント

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巧詐不如拙誠 (y)
2012-03-26 18:15:51
読んでいて、《韓非子》に出てくる「巧詐(こうさ)は拙誠(せっせい)に如かず」という言葉を思い出しました。

トップの信頼を得んがため、敵に殺害された息子の肉が入ったスープを平気で飲み干した魏の将軍“楽羊”(巧詐の例)。

狩りでつかまえた小鹿を、かわいそうに思い、トップの命令に逆らって、逃がしてやった魯の“秦西巴”(拙誠の例)。

極端な例なので、どちらかが完全に正しいとは言えないが、自分としては、バカと言われても「拙誠」を基本にして生きてゆきたい。人に信頼されないことほど辛いことはないと思うから。

「うそ」に関して言えば、人を騙すための「うそ」はいけないし、戒めるべきだと思うが、思いやりから出てくる「うそ」なら大いに結構、肯定的に受け入れることができるのではないだろうか。要は自分の私利私欲のためか、相手のためかの違い。
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馬子にも衣装 (z)
2012-03-26 20:54:38
出藍の誉れ、青は藍より出でて、藍よりも青し。極上の挿絵、ナイスコメント多謝。雑草の藍まで、輝かせてくれる。酔いがさめて見直したらもとは、藍ともいえないしろものだったが。馬子にも衣装。多謝。
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イラスト入れちゃいました! (y)
2012-03-26 21:11:01
執筆者の意向とマッチしているかどうかわかりませんが、賑やかしにイラストを入れてみました。

zさん、済南へ行かれるときに、パソコンは携帯されないのですか?一か月も投稿お休みなんて・・・考えられません。
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若干の訂正と補足 (y)
2012-03-27 14:17:06
「うそ」 (♪折れたたばこのすいがらで・・・)
 歌  中条きよし
 作詞 山口洋子
 作曲 平尾昌章

「夢芝居」 (♪男と女、あやつりつられ・・・)
 歌  梅沢富美男
 作詞・作曲 小椋佳
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無策 ()
2012-03-27 19:33:37
われにも虚子あり。訂正してくれる朋ありて、安心。毛沢東が華国鋒に似たようなことを言っていたが、国の大事を託するも、一字一句を託するも、信頼あればこそ。
それにしても、酔筆、色あせた記憶細胞から出てきたやつをそのままカンバスへじか塗り。もの書きにあるまじき、粗忽。ごめん。今後ともよろしく。
なお、うそとミステイクは似て非なるものなり。前者は有意、後者は無為。無策か?
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もうひとつの世界 ()
2012-05-23 13:05:33
  オスカーワイルドとアンドレジイドの会話。「きのうから何をしていたか?」きまじめなジイドはめずらしくもない日常の出来事を話した。ワイルド曰く「ほんとうのことを繰り返ししゃべったってしかたがない。だいいち、ちっともおもしろくない。二つの世界があることを知らねばならない。話さないでも存在している現実の世界。もうひとつは芸術の世界。これは話さなくては存在しない。あなたにうそをつくことを教えてあげたい。芸術家はうそをつかなくてはならない」。
  ねた本、文春文庫澁澤龍彦著「快楽主義の哲学」174頁。
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