蘇州大学「酔話会」

不問過去的事、在中国生活快楽、交換消息

中国江蘇省蘇州市蘇州大学
高嶺者留学生の談話室

君は、幸せかい?(さわ)

2011年12月06日 | つぶやき
もうひとつ投稿します。
そんな顔ししないで、チョットつきあってよ。
例によって、先ず最近のニュースから。 そして、おしまいに私見。

 12月5日時事通信配信ニュース;「幸福度指標」で最終案=130項目、有効性検討へ―内閣府
 内閣府の有識者会議は5日、国内総生産(GDP)で測れない豊かさを表す新たな「幸福度指標」に関する最終報告をまとめた。
経済社会状況、心身の健康、家族や地域社会との関係性などの観点から、8月に公表した原案より多い約130の評価項目を提案した。
来年から試験的にデータを集め、評価の有効性を検討する。

自分を幸せだと感じる度合いに関する意識調査のほか、経済社会状況については仕事や住宅の満足度など、心身の健康では自殺者数などの評価項目を設定。
自然環境の持続可能性に関する項目も挙げた。
全項目を統合した指標は算出せず、各項目の良しあしから社会状況を診断、政策運営に生かす考えだ。
政府は昨年閣議決定した新成長戦略で、幸福度指標を作成する方針を掲げた。

 先に国王夫妻が来日したブータンは「国民総幸福量(GNH)」というユニークな指標に沿って政策を行う国として知られており、国際機関や各国政府も指標開発を進めている。
来年秋にはインドで経済協力開発機構(OECD)などの主催により、各地の研究報告や意見交換を行う会合が予定されている。

(チョット私見)
ブータンは僕も3週間住んだが、現代文明にドップリ漬かったぼくには、住み続けるのは無理。
知らぬが華で、文明の味を知ってしまったら、かの地の幸福を捨てても、キャバクラにもどりたくなる。
これぞ、俗人のさが。

10月12日パリ時事;日本の幸せは中ぐらい?=幸福度指標で報告書-OECD
 経済協力開発機構(OECD)は11月12日、国内総生産(GDP)などマクロ経済指標だけでは測定できない「幸福度」に関する報告書を公表した。
日本は寿命や治安などで高評価だったものの、多くの項目で中程度の順位に位置付けられ、平均値ではOECD加盟34カ国中19位だった。

報告書では、所得や雇用など「物的生活条件」と健康や安全など「生活の質」の両分野で計22指標を選定。
測定に当たっては施策の成果を重視し、客観指標だけでなく生活への満足度など主観的な側面も考慮に入れた。

10月31日;豊かさの指標に「幸福度」=来年の「リオ+20」へ提案-政府
 政府は10月31日、来年6月にブラジル・リオデジャネイロで開かれる「国連持続可能な開発会議(リオ+20)」で採択される成果文書に向けた提案を発表した。
環境保全と両立した経済成長を目指し、先進国だけでなく、中国やインドといった新興国や、民間企業などもそれぞれ能力に応じた責任を果たす必要があると指摘。
国内総生産(GDP)とは異なる豊かさの指標として、心身の健康などに視点を当てた「幸福度」を挙げた。

 1992年に当地であった「地球サミット」から20年となるのを機に開かれる同会議では、世界の首脳級らが集まり今後10年の経済や社会、環境の在り方を話し合う。

ここから私見;
 幸せ? かなり主観的な概念。
でも、セッティングのしかた次第。ひとりで幸せ、家庭単位で幸せ、地域社会で幸せ、国規模で幸せ、グローバルに幸せ。
昔、渋沢龍彦の「幸福の哲学」という小冊子を読んで共感したことがあるが、やつは肉体的満足を徹底追及するスタンスで幸福論を書いていた。
旨いものを食って、いい酒を呑んで、いい女を抱いて、贅沢して、それしかないって。早死にしたが、長生きしてるぼくは、幸せの見方が少し変わってきた。
そう脱俗したわけではないが、いい仲間がいて、いい話ができて、そして、話をさかなに、やっぱりうまい酒か。

 いい話ができるには、好奇心の持続と情報の脳へのインプットが要る。次の呑み会をターゲットに話題を収集し、周辺情報をインプットするのは楽しみ。
それで、毎日たいくつしない。
かわいい子がいても、話題がつづかないのでは興ざめ。やはり、人は知的動物、いつも自分の脳をクリエイティブにしておきたい。

実は、小生いま、毎日午後、蘇大外語学院留学準備班に上班している。
同学はみな18~19歳。無理もないが、会話練習で自分のまともな考えがしゃべれない。
英語の語彙は勉強しているのだが、自分の考えをまとめきれない。

そこで、老同学のぼくは、みんなに言う。
「目の前のことに好奇心をもって、自分の考えを整理しておきなさい」。
英語で話すか、中国語で話すか、どっちでもいい。今19歳の君たちが、あと50年ひととかかわって生きる時、自分の考えを持って、それを話すことができる人とできない人では、生きてる価値がえらい違うよ、と。

老子は、「犬の声が聞こえても隣の村へ行かず」と、ひとは近隣社会からはみださず、身のほどをわきまえて、おだやかにくらすことを、理想とした。
「吾唯足知(*2)」の境地で禅に通じる。
しかし、現代の情報化社会では、「見ざる、聞かざる、言わざる」は、逆にストレスを増産する。
やはり、「見て、聞いて、言う」ほうが、スッキリするだろう。

さて、「幸せ」、心身壮健、言いたいことを言い合える仲間、つきぬ好奇心、つきぬ話題、そしてうまい酒。
渋沢龍彦の世界にほぼもどってしまった感あり。

諸兄、また、呑みましょう。

<事務局追記>
(*1)澁澤 龍彦(しぶさわ たつひこ 1928年(昭和3年)5月8日 - 1987年(昭和62年)8月5日)は、日本の小説家、仏文学者、評論家。
別名のペンネームに澁川龍兒、蘭京太郎、Tasso S.などがある。
(*2)吾唯足知;京都・竜安寺にある蹲(つくばい)に刻まれている言葉。際限ない欲望に溺れることなく、現在の状況を善しとして生きる大切さを説いたもの。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
池波 (さわ)
2011-12-12 22:58:05
池上正太郎じゃあなくて、池波正太郎だったよ。また、やちゃった。ゴメン。さわ
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酔って候 (さわ)
2011-12-12 22:43:17
酔って候
誰のエッセイだっけ?司馬遼太郎?池上正太郎?まじめな陳瞬臣はないよね。
白状すると、ぼくはいつも呑みながら酒の勢いでものを書く。そのままブログに
投稿すると、かなりヤバイ。今後は、管理者にスクリーニングをたのんだ。その矢先
呑みながら書いているので、これがぼくの酔って候のラストコメントになるはず。
「やまのあなたのそらとおく、しあわせすむとひとのいう、ああわれひとととめゆきて、なみださしぐみかえりきぬ、やまのあなたのなおとおく、しあわせすむと、ひとのいう」
島崎藤村だっけ?誰だっけ?
青い鳥を探しに行ったチルチルとミチルは、結局じじばばの待つ我が家に帰って、そこに幸せを見つけたんだっけ?
君は幸せかい?を読み直してみて思う。よけいなおせっかいだよなあ!犬も猫もしあわせという概念をしらなくても、ときにはけっこうしあわせそうじゃん。しあわせとかそうゆうことをぬきに、呑んで食って、やりたいことをやって、幸せ点数は先生みたいなひとがつけてくれる。それになんのいみを感じるかは本人次第。
みんな、しあわせなんか気にしないで呑もう。  さわ
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