年も押し迫り残すところあと僅か。
この一年を振り返えれば反省すべき点ばかりが脳裏を過ぎるが、それはさて置き、今夏中国南方へ一人旅に出た話を。
旅は8月27日から9月15日の20日間、くそ暑い時期に南方への旅行は如何なものかとも考えたが、思い立ったが吉日である。
今回の計画ルートは写真地図の様に、蘇州(江蘇省)から浙江省、江西省、湖南省、広西チワン自治区、広東省、福建省を回る旅。
旅行のテーマは「中国の隣国へ行ってみよう!」である。
・広西チワン自治区南寧市から陸路「ベトナム・ハノイ」
・広東省珠海市から陸路「マカオ」(既に中国の一部だが私は未だ行ったことがない)
・福建省アモイ市から海上を「台湾」
汽車の切符はひとつ手前の都市で購入、切符が入手できたらホテルをネットで予約すると言う按配で順次コマを進めてゆく旅である。
原則、移動は夜間寝台列車を利用しホテル代を浮かせた。
結論から言えば、日本パスポートの威力は絶大で何らトラブル事もなくスムーズな越境が可能だった。
何せ長い旅であり全行程を書き連ねるわけにも行かないので「ハノイ」への移動を写真を交えて書きます。
○広西チワン自治区から陸路「ベトナム・ハノイ」(2011/09/01~09/06)
長沙(湖南省)から16時間の長距離夜行列車で早朝の南寧(広西チワン族自治区)駅に到着。
到着早々翌日のベトナム・ハノイ行き切符を購入に切符売場へ、聞けばベトナム行きは7時から窓口販売と言う。
駅前で朝食を取り(実に不味い小龍包だ)7時前に窓口へ、既に窓口は開いており私の前にベトナム人の女性が切符を購入中。
彼女は中国語が全くダメな様で係員に携帯電話を渡し中国語が出来る誰かを仲介に切符を購入中、面倒がらずに係員も根気よく対応している。
私の番、紙に書いてハノイ行きの往復切符購入希望を伝える。
「帰りの切符はここでは買えない、ハノイで買え」と言う、ま仕方がないね、向こうで買いましょう。
1等寝台で248元、切符も何かいつもの切符らしくない。
南寧で一泊、翌日南寧18:45発の国際列車T8701次に乗った。
列車には国際列車であることの中国国家エンブレムが付いており、南寧-河内(ハノイ)と書かれている。
車両は国内で使われている一般の一等寝台の型落ちの様な車両で、永く使われている様子である。
乗客はベッド4つの部屋に私を含めて2名、一等寝台の利用客は殆ど居らず1車両に7,8名程しかいない。
同室の中国人のにーちゃん、ビルの浄水設備の仕事でハノイから更に1200km北へ仕事に行く途中らしく、ベトナムは何度も往復しておりベトナム情報を色々と教えてもらった。彼には後に大変お世話になる。
隣の部屋から日本語が聞こえてきた。
挨拶に出向くと、部屋には日本人の旦那さんベトナム人の奥さんのご夫婦と台湾人で日本のクラブで歌手をやっていたと言う元気なおばちゃんが居り、偶然とはいえ日本語が出来る人間が一車両に4名乗り合わせ、ベトナム経験豊富な中国人、日本人、ベトナム人からベトナムが初めての台湾人、日本人(私)がベトナム情報を得る事となった。
22:20中国側国境の駅ピンシャン到着、国境事務官が乗り込んで来、パスポート提出と出国カードを書かされる。
全員荷物を持って列車から下車、ピンシャン駅の待合室で手荷物検査とパスポートの出国スタンプをもらい再度乗車、この出国手続きで約1時間半停車(すごく長い)。
出国手続きに降りてきた乗客は全員で19名、これがここまでの8両の乗客全て、利用率の低さが分かる。
ピンシャンからは約同数のベトナム人が乗車してきたが、合わせても40名足らずである。
ピンシャンを出発し2時間後の0時20分、ベトナム側の入国駅ドンタンに着く。
ここでも1時間ほど停車し入国手続き、同室の中国人にーちゃんが奥の部屋へ連れて行かれ何やら押し問答。
後で聞くと彼は、パスポートを一度無くし再発行しておりそこへイチャモンを付けられたらしい、人民元10元で決着したとのこと、何処の世界も金次第である。
ベトナム時間朝6時近くに最終駅ゼーラム駅に到着。
中国国内の軌道は広軌、ベトナム国内は狭軌、広軌の軌道はこの駅が終点である。
私は帰りの切符を購入したいが出口近くには売り場が全くないし、ネット情報では両替商がやってきて中国元からベトナム・ドンへの両替が出来ると書いてあったが、寄ってくるのはハノイ市内方面への客引きタクシーばかり。
わたしゃベトナム通貨を1ドンも持ってないく銀行も無さそうな田舎駅、バスにもタクシーにも乗れない。
困った所で同室の彼がハノイまでタクシーで行くと言うので同乗を頼むとスンナリOKをくれた・・助かった。
(隣の部屋のグループは別の処へ行くと駅前で別れた)
ハノイ駅はメチャ小さい駅、これがベトナム首都駅かと目を疑うほどである。
タクシーに同乗させて貰った中国人のにーちゃんは、ハノイ駅で降りたとき人民元を渡そうとしたが受け取らず彼は自分のホテルへと向かい別れた、感謝である。
しかし、わたしゃ1ドンも無くホテルも無い。
でも慌てることは無い銀行が有るでしょ、窓口は開いていないがATMが有る。
思惑通り中国の銀聯カードが使える、早速ベトナム・ドンを確保、銀聯カードのネットワークはすごい、お金が有れば問題ない。
寄ってきたバイクのにーちゃんがしつこいので、当りを付けていたホテルまでとバイクの後ろに乗った。
ホテルへ着くと何とシャッターが下り閉まってる。
こりゃマズイな、でもホテルはやたらと多い地区の様で飛び込みで何とかなると踏み、ホアンキエム湖を散策、早朝だが散歩する高齢者が非常に多い、暑いここは早朝の散歩が最適なんだろう。
湖に面したカフェで朝食を取る、アイスコーヒーが旨い。(ベトナム珈琲は旨い)
綺麗な環境のカフェである、欧米人の客ばかりで皆バックパッカー。
アイスコーヒが50,000ドン、パンと卵焼きが45,000ドン、貨幣感覚が変になる。
ここで解った事は、100の位を切り捨て約3分の一すれば概ね人民元の感覚で考えられると言う事。
しかし早くデノミすべきだねこの国の貨幣は。
1時間ほど時間をつぶし閉まっていたホテルの近くGolden Spring Hotelへ飛び込み、宿泊費はUS$30/泊と言う、部屋を見せて貰うと小奇麗で問題なし。
このホテルに2泊することとした。
やたらと街中に国旗が目立つと思ったら、9月2日は「建国記念日」なんだそう、偶然なのかホーチミンさんのお招きなのか、とにかくおめでたい日にハノイに滞在しているようだ。
初めてのこの街の印象その1
とにかく聞きしに勝るバイクの数、半端じゃない、バイクの大群が街中を何時も大移動している、皆どこへ行くのか?
70年代北京で見た自転車の大群をバイクに置き換えたような按配で、中国とは違った活力に溢れている。
4人乗りバイクは当たり前、しかし事故現場を見たことは無く皆さん運転が上手なんだろう。
またほぼ全員、運転者も同乗者もヘルメットを着用してる、真面目な国民性なのかもしれない。
印象その2
綺麗な街と汚れた街が同居している感じ。
フランス統治が長かった性だろうかフランス風の綺麗な街並みが多く有るが、一歩外れるとアジアらしく汚れている。
投宿している旧市街地(OLD TOWN)は建物も道路もゴチャゴチャ、散歩に出てもホテルへの帰り道が解らなくなるほどに道が入り組んでいる。
印象その3
とにかく「カフェ(Cafe)」がやたらに多い街である。
おしゃれなカフェ、露店の様なカフェと至るところにカフェが有り、皆コーヒー・お茶を飲んでいる。これもフランスの影響なのかも、それとも怠け者が多いのか?
私も何度かカフェでコーヒーを飲んだがベトナムコーヒーは味が濃く美味しい。
印象その4
商店での買い物、商品を投げないし、お釣りを投げないし、外人とみると英語で金額を丁寧に伝えてくれるし、売り子さんに笑顔が有るしで、ダメ・チャイナに比べ好感度がメチャ高い、だけど言葉が通じないんだな~。
ベトナムで会った女の子(ベトナム料理店のHUEちゃん、ゼーラム駅で親切にしてくれたPhamちゃん)、おじさんには優しいのである。
印象その5
やたらに欧米人が多く、その多くがバックパッカー。
投宿している旧市街地(OLD TOWN)には、パッカー向けの安ホテルが至るところに有り、街中にはリュックを背負った白人が多く目に着く。
ハノイに来られる時は旧市街地(OLD TOWN)での宿泊をお勧めする、ホテルマンンも英語で対応してくれるし値段も安い。
印象その6
日本料理屋が自分の予想以上に多い。
日本人向けの情報誌が2冊出ており、情報誌に載っているハノイの日本料理は60店ほどもある。
何処の国でも同じだが、日本大使館近くには日本料理屋が集まっている。
昨夜も情報誌を頼りに「寛」と言う日本料理屋に出かけたが、料理長は日本人のYさん、顧客も日本人が多い。
隣り合わせたハノイ国立大学で学ぶ日本の若者二人と楽しい時間を過ごした。
年間留学費用は学費・宿泊費・生活費込みで日本円70~80万円程らしく中国留学と変わらない。
しかしアパート代が高い事と物価上昇が激しく昨年比40%の上昇と嘆いている、この国は政府のコントロールが上手く行ってないのかもしれないな。
ベトナム語は6声あるんだそう、中国語の4声より多い、店の仲居さんにベトナム語を教えてもらったが発音が難しい。
でもこの店高い、写真の料理(生ビール6杯含む)で808,500ドン、ハノイには食べ飲み放題システムは今の処無いようです、やれば当るかも。
印象その7
物価は中国とほぼ同じか少し高めの印象。
「ホーチミン博物館」界隈を散策、建国記念日の為だろうか「ホーチミン廟」には参観する客の長蛇の列が出来ていた。
美術館、展示されている絵の多くは「ベトナム戦争」をモチーフにした絵が多く、この国にとって先の戦争の意味の大きさが偲ばれる。
日中は暑い。
9月5日 最高32度(最低気温30度)晴れ 昼と夜の気温が変わらない。
こんな所で、長々と失礼。
この一年を振り返えれば反省すべき点ばかりが脳裏を過ぎるが、それはさて置き、今夏中国南方へ一人旅に出た話を。
旅は8月27日から9月15日の20日間、くそ暑い時期に南方への旅行は如何なものかとも考えたが、思い立ったが吉日である。
今回の計画ルートは写真地図の様に、蘇州(江蘇省)から浙江省、江西省、湖南省、広西チワン自治区、広東省、福建省を回る旅。
旅行のテーマは「中国の隣国へ行ってみよう!」である。
・広西チワン自治区南寧市から陸路「ベトナム・ハノイ」
・広東省珠海市から陸路「マカオ」(既に中国の一部だが私は未だ行ったことがない)
・福建省アモイ市から海上を「台湾」
汽車の切符はひとつ手前の都市で購入、切符が入手できたらホテルをネットで予約すると言う按配で順次コマを進めてゆく旅である。
原則、移動は夜間寝台列車を利用しホテル代を浮かせた。
結論から言えば、日本パスポートの威力は絶大で何らトラブル事もなくスムーズな越境が可能だった。
何せ長い旅であり全行程を書き連ねるわけにも行かないので「ハノイ」への移動を写真を交えて書きます。
○広西チワン自治区から陸路「ベトナム・ハノイ」(2011/09/01~09/06)
長沙(湖南省)から16時間の長距離夜行列車で早朝の南寧(広西チワン族自治区)駅に到着。
到着早々翌日のベトナム・ハノイ行き切符を購入に切符売場へ、聞けばベトナム行きは7時から窓口販売と言う。
駅前で朝食を取り(実に不味い小龍包だ)7時前に窓口へ、既に窓口は開いており私の前にベトナム人の女性が切符を購入中。
彼女は中国語が全くダメな様で係員に携帯電話を渡し中国語が出来る誰かを仲介に切符を購入中、面倒がらずに係員も根気よく対応している。
私の番、紙に書いてハノイ行きの往復切符購入希望を伝える。
「帰りの切符はここでは買えない、ハノイで買え」と言う、ま仕方がないね、向こうで買いましょう。
1等寝台で248元、切符も何かいつもの切符らしくない。
南寧で一泊、翌日南寧18:45発の国際列車T8701次に乗った。
列車には国際列車であることの中国国家エンブレムが付いており、南寧-河内(ハノイ)と書かれている。
車両は国内で使われている一般の一等寝台の型落ちの様な車両で、永く使われている様子である。
乗客はベッド4つの部屋に私を含めて2名、一等寝台の利用客は殆ど居らず1車両に7,8名程しかいない。
同室の中国人のにーちゃん、ビルの浄水設備の仕事でハノイから更に1200km北へ仕事に行く途中らしく、ベトナムは何度も往復しておりベトナム情報を色々と教えてもらった。彼には後に大変お世話になる。
隣の部屋から日本語が聞こえてきた。
挨拶に出向くと、部屋には日本人の旦那さんベトナム人の奥さんのご夫婦と台湾人で日本のクラブで歌手をやっていたと言う元気なおばちゃんが居り、偶然とはいえ日本語が出来る人間が一車両に4名乗り合わせ、ベトナム経験豊富な中国人、日本人、ベトナム人からベトナムが初めての台湾人、日本人(私)がベトナム情報を得る事となった。
22:20中国側国境の駅ピンシャン到着、国境事務官が乗り込んで来、パスポート提出と出国カードを書かされる。
全員荷物を持って列車から下車、ピンシャン駅の待合室で手荷物検査とパスポートの出国スタンプをもらい再度乗車、この出国手続きで約1時間半停車(すごく長い)。
出国手続きに降りてきた乗客は全員で19名、これがここまでの8両の乗客全て、利用率の低さが分かる。
ピンシャンからは約同数のベトナム人が乗車してきたが、合わせても40名足らずである。
ピンシャンを出発し2時間後の0時20分、ベトナム側の入国駅ドンタンに着く。
ここでも1時間ほど停車し入国手続き、同室の中国人にーちゃんが奥の部屋へ連れて行かれ何やら押し問答。
後で聞くと彼は、パスポートを一度無くし再発行しておりそこへイチャモンを付けられたらしい、人民元10元で決着したとのこと、何処の世界も金次第である。
ベトナム時間朝6時近くに最終駅ゼーラム駅に到着。
中国国内の軌道は広軌、ベトナム国内は狭軌、広軌の軌道はこの駅が終点である。
私は帰りの切符を購入したいが出口近くには売り場が全くないし、ネット情報では両替商がやってきて中国元からベトナム・ドンへの両替が出来ると書いてあったが、寄ってくるのはハノイ市内方面への客引きタクシーばかり。
わたしゃベトナム通貨を1ドンも持ってないく銀行も無さそうな田舎駅、バスにもタクシーにも乗れない。
困った所で同室の彼がハノイまでタクシーで行くと言うので同乗を頼むとスンナリOKをくれた・・助かった。
(隣の部屋のグループは別の処へ行くと駅前で別れた)
ハノイ駅はメチャ小さい駅、これがベトナム首都駅かと目を疑うほどである。
タクシーに同乗させて貰った中国人のにーちゃんは、ハノイ駅で降りたとき人民元を渡そうとしたが受け取らず彼は自分のホテルへと向かい別れた、感謝である。
しかし、わたしゃ1ドンも無くホテルも無い。
でも慌てることは無い銀行が有るでしょ、窓口は開いていないがATMが有る。
思惑通り中国の銀聯カードが使える、早速ベトナム・ドンを確保、銀聯カードのネットワークはすごい、お金が有れば問題ない。
寄ってきたバイクのにーちゃんがしつこいので、当りを付けていたホテルまでとバイクの後ろに乗った。
ホテルへ着くと何とシャッターが下り閉まってる。
こりゃマズイな、でもホテルはやたらと多い地区の様で飛び込みで何とかなると踏み、ホアンキエム湖を散策、早朝だが散歩する高齢者が非常に多い、暑いここは早朝の散歩が最適なんだろう。
湖に面したカフェで朝食を取る、アイスコーヒーが旨い。(ベトナム珈琲は旨い)
綺麗な環境のカフェである、欧米人の客ばかりで皆バックパッカー。
アイスコーヒが50,000ドン、パンと卵焼きが45,000ドン、貨幣感覚が変になる。
ここで解った事は、100の位を切り捨て約3分の一すれば概ね人民元の感覚で考えられると言う事。
しかし早くデノミすべきだねこの国の貨幣は。
1時間ほど時間をつぶし閉まっていたホテルの近くGolden Spring Hotelへ飛び込み、宿泊費はUS$30/泊と言う、部屋を見せて貰うと小奇麗で問題なし。
このホテルに2泊することとした。
やたらと街中に国旗が目立つと思ったら、9月2日は「建国記念日」なんだそう、偶然なのかホーチミンさんのお招きなのか、とにかくおめでたい日にハノイに滞在しているようだ。
初めてのこの街の印象その1
とにかく聞きしに勝るバイクの数、半端じゃない、バイクの大群が街中を何時も大移動している、皆どこへ行くのか?
70年代北京で見た自転車の大群をバイクに置き換えたような按配で、中国とは違った活力に溢れている。
4人乗りバイクは当たり前、しかし事故現場を見たことは無く皆さん運転が上手なんだろう。
またほぼ全員、運転者も同乗者もヘルメットを着用してる、真面目な国民性なのかもしれない。
印象その2
綺麗な街と汚れた街が同居している感じ。
フランス統治が長かった性だろうかフランス風の綺麗な街並みが多く有るが、一歩外れるとアジアらしく汚れている。
投宿している旧市街地(OLD TOWN)は建物も道路もゴチャゴチャ、散歩に出てもホテルへの帰り道が解らなくなるほどに道が入り組んでいる。
印象その3
とにかく「カフェ(Cafe)」がやたらに多い街である。
おしゃれなカフェ、露店の様なカフェと至るところにカフェが有り、皆コーヒー・お茶を飲んでいる。これもフランスの影響なのかも、それとも怠け者が多いのか?
私も何度かカフェでコーヒーを飲んだがベトナムコーヒーは味が濃く美味しい。
印象その4
商店での買い物、商品を投げないし、お釣りを投げないし、外人とみると英語で金額を丁寧に伝えてくれるし、売り子さんに笑顔が有るしで、ダメ・チャイナに比べ好感度がメチャ高い、だけど言葉が通じないんだな~。
ベトナムで会った女の子(ベトナム料理店のHUEちゃん、ゼーラム駅で親切にしてくれたPhamちゃん)、おじさんには優しいのである。
印象その5
やたらに欧米人が多く、その多くがバックパッカー。
投宿している旧市街地(OLD TOWN)には、パッカー向けの安ホテルが至るところに有り、街中にはリュックを背負った白人が多く目に着く。
ハノイに来られる時は旧市街地(OLD TOWN)での宿泊をお勧めする、ホテルマンンも英語で対応してくれるし値段も安い。
印象その6
日本料理屋が自分の予想以上に多い。
日本人向けの情報誌が2冊出ており、情報誌に載っているハノイの日本料理は60店ほどもある。
何処の国でも同じだが、日本大使館近くには日本料理屋が集まっている。
昨夜も情報誌を頼りに「寛」と言う日本料理屋に出かけたが、料理長は日本人のYさん、顧客も日本人が多い。
隣り合わせたハノイ国立大学で学ぶ日本の若者二人と楽しい時間を過ごした。
年間留学費用は学費・宿泊費・生活費込みで日本円70~80万円程らしく中国留学と変わらない。
しかしアパート代が高い事と物価上昇が激しく昨年比40%の上昇と嘆いている、この国は政府のコントロールが上手く行ってないのかもしれないな。
ベトナム語は6声あるんだそう、中国語の4声より多い、店の仲居さんにベトナム語を教えてもらったが発音が難しい。
でもこの店高い、写真の料理(生ビール6杯含む)で808,500ドン、ハノイには食べ飲み放題システムは今の処無いようです、やれば当るかも。
印象その7
物価は中国とほぼ同じか少し高めの印象。
「ホーチミン博物館」界隈を散策、建国記念日の為だろうか「ホーチミン廟」には参観する客の長蛇の列が出来ていた。
美術館、展示されている絵の多くは「ベトナム戦争」をモチーフにした絵が多く、この国にとって先の戦争の意味の大きさが偲ばれる。
日中は暑い。
9月5日 最高32度(最低気温30度)晴れ 昼と夜の気温が変わらない。
こんな所で、長々と失礼。
カンボジアからサイゴン経由シンハバスを乗り継いで、ぶらぶら1ヶ月くらいかけて、やってきた。
ダナンの地下壕都市を当時のアメリカ兵といっしょに見学したが、地下壕出口では、ベトコンのこどもたちが、われがちにコカコーラを売りに押しかけてきた。
ベトコンの誇りはみじんもない。
あの10年戦争は何だったのだろう。
それでも、ハノイに着くとサイゴン(ホーチミン市)とはずいぶん違うかたい雰囲気を感じた。
革命の聖地。ホーチミン廟に献花したせいもあるだろう。
あの日も長蛇の列だったが、袖の下を一万ドンだして前の方にもぐりこんで無事ホーおじさんの死顔をおがんだ(本人は散骨を遺言したのに見世物になって気の毒)。
尾関兄はたしかドンのゼロを4つとって3で割るとRMB相当額になると記述していたが、ゼロを3っつとって、、、、じゃあないかしら(マチガッてたらごめん)。
池のほとりに黒いかばんを持ったおっちゃん(蘇州でも中国銀行まわりをうろついている)と両替すると、銀行より5割くらいレートがよかった。
池のほとりで、例のうまいコーヒーをのんだり、ホー(ベトナム米麺)を食ったり、ハノイ名物水上人形劇を見たり2週間くらいぶらぶらして、8月末ハノイ駅で寝台列車の切符を買って、雲南省昆明へ向かった。
切符を買うのも長蛇の列、5千ドン袖の下を出して前列にいれてもらい、無事入手。
ナンニンからランソンへ入った尾関兄とは別の鉄路で、ベトナムのラオカイから雲南省のハイコウへ入った。
尾関さんと同じ三段ベッド相対のコンパートメント。
中は、カナダ人英語教師夫妻とぼくの3人だけ。ベトナム国境の駅ラオカイでずうたいのデカイ入管役人が一人乗り込んできた。
彼はコンパートメントに入ると、だまってドアをしめてロックした。脅しをかけてきたのがありあり。
カナダ夫妻はだまって、パスポートに10ドル札をはさんで渡す。
ぼくは、英語がわからないふりをして、パスポートだけをわたす。
案の定、ぐだぐだイチャモンをつけてきた。
知らん顔をしていたら、ぼくのパスポートだけ、もって行ってしまった。
こっちは、ひまも時間もあるので、どうゆう結末になるのか興味津々でコンパートメントで待っていた。
カナダ人夫妻は、ずいぶん気をもんでくれた。結局列車発車間際になって、やつがぼくのパスポートを持って飛んできた。
出国のスタンプがちゃんと押してある。
実は、当時ベトナム役人の賄賂要求がひどすぎるということで、多くの日本企業が引き上げた。
しかし、韓国企業は残ってシェアを広げた。ぼくのからいばりの大和魂みたいなものは、実は無用の長物で、韓国企業のしたたかさが国際競争を生き抜く真髄かも。
尾関さんの友人が10元袖の下をとられた話に触発されて、とんだ年寄りの長話、請原涼。
昆明側のハイコウ入管でのいやらしさの無い対応をことのほかさわやかに感じたのを今も思い出す。
ホーおじさんは、ワイロをとれなんて教えなかったはず。
ベトナム戦争はいったいなんだったんだろう?
十年一昔、尾関さん思い出させてくれて謝謝。
参照:
交通警官の全所持金370円? =汚職対策で珍規則―ベトナム
時事通信 12月29日(木)14時39分配信
【ハノイ時事】ベトナム南部のホーチミン市で「交通警察官は10万ドン(約370円)以上所持してはならない」という規則が試験導入された。賄賂防止が目的。北部の首都ハノイでも実施方針が決まり、「非現実的」「人権侵害ではないか」との声が出ている。
ベトナムの警察官は悪評が高く、交通違反者に「袖の下」を要求することが珍しくない。特にテト(旧正月)前は書き入れ時とされる。「10万ドンルール」は窮余の策だが、「所持金をどうチェックするのか」「お昼も食べられない」と導入を疑問視する見方も。これに対しハノイ警察幹部のルー・クアン・ホイ氏は、電子新聞VNエクスプレスに「交通警官の評判が悪過ぎる」と述べ、実施を貫く構えを見せた。