今日は書道と関係の無い内容となります。
私(萬鶴)は、仕事も含めて、被災地の岩手県などには7回行っています。
被災されたところの復興はまだまだですね。
今回はある団体に同行して、宮城県の松島地区と南三陸地区へ行ってきました。
7月11日と12日です。
宿(ホテル観洋)の前海は穏やかな眺めです。
写真を撮った場所は4階ですが、ここまで津波は押し寄せたと、支配人の説明がありました。
売店のコーナーには、以前の宮城県が紹介された記録写真集が置かれています。
また、隣には今回の巨震と津波(激流)が紹介されています。
ロビーには何処かの企業研修でしょうか、若者がボランティア仕度しています。
まだまだです。
武蔵野市からも被災地の4か所に、職員を長期派遣しています。
ホテルの支配人に、南三陸町を案内していただきました。
その日の恐怖や状況が、語り部として伝わります。
言葉も、ゆっくりと選んでいるかのようです。
遠く離れた海まで、何もありません。
見えるのは建物の土台だけです。
ある場所では、重機がコンクリートを砕いていました。
鉄道の橋台だけが残っています。
あたりはまだ水を被ったままです。
もう、まだ、1年4カ月です。
この建物で、社会福祉協議会の催しものがあったそうです。
350名近くが地震と津波に遭遇しました。
館長の機転で、“外には出るな!屋上に逃げろ!”と大きな声が飛んだと・・・。
しかし、何人かは外へ・・・。
振り切って外に出た方は、皆 流されたとのこと。
屋上にまで津波が来た。
寒さで亡くなった方も・・・。
南三陸町の町民を誘導した、防災対策庁舎。
最後まで、放送し続けた若き女子職員。
屋上に避難した人も手摺りにしがみついたが、半数が流されたと・・・。
普通に暮らせることの有り難さ。
普通に暮らすことの難しさ。
南三陸町では、津波の被害を受けたほとんどの場所を緑(公園)にするそうです。
そして、支配人が言っていました。
自然の力に抵抗するのはやめたと・・・。
防波堤も津波対策をした建物も全て壊された。
私たちは、退く方向性を選んだ。
自然に抵抗するのではなく、住むところは高台に移ります。
利便性の追求で、今の技術を持ってすれば何でもできると思っていました・・・と。
自然の回復力は凄いですね。
ちょっと離れたところでは、青々した木々が、雨に打たれていました。
(萬鶴)