三連休の最終日、俳人一茶の足跡を北信州に訪ねた。
先ずは、生家がある信濃町にある一茶記念館とその近
くにあるお墓と俳諧寺を訪ねた。ボランテイアガイドさん
の説明を興味深く聴いた。ところで、信濃町と言えば
昔から“信州打刃物”で有名なので、昔行ったことが
町の物産館に行ってみたが、時代の趨勢か見る影もな
く、廃館となっていたので、道の駅“しなの”に行って
みると、連休のせいかかなりの盛況であった。
お目当ての刃物類は見当たらず、草取り鎌があったの
で、これを買い求めた。今度、ゆっくりと鍛冶屋さんを
訪ね、気に入った鎌を探してみたい。
その後、一茶とゆかりが深い高山村にある“一茶ゆかり
の里 一茶館”を訪ねた。一茶が高山村に長逗留した際
に使用したという豪農の離れ、“水石亭”も移築されて
おり、当時、彼は、多くの門人達に慕われていたことを
伺い知ることができた。

屋根のギザギザは、一茶の波瀾万丈の人生を現しているらしい
次に、有名観光地の小布施に寄り、名物の栗おこわで昼食
をとり、「痩せがへるまけるな一茶是に有」で有名な岩松
院に行き、一茶が詠む時に眺めたと言われる池を見た。
このお寺は、何と言っても葛飾北斎の天井の八方睨み図が
有名で、この日も多くの観光客が熱心に観覧していた。
その後、一茶にゆかりのあると言う、須坂にある“豪商の
館 田中総本家”を訪ねた。広大で贅を尽くした造りに圧
倒され、ここまで成功するには、相当な運と智恵と財力が
必要だったのだろう等と不純な思いで往時を偲んだ。
しかし、生憎と一茶ゆかりの物は不明であった。

屋根が一定勾配ではなく曲線が施されている
さすがに、1日に4箇所も巡ると疲れたので、畑仕事でも
して疲れを癒やそうと畑に直行して、早速購入した草取り
鎌を試したが、用途が限られそうであった。
このプチ一茶ツアーは、一茶の没後180余年も経過して
も、未だ、多くの人に影響を与えている彼の功績と壮絶な
生き様をあらためて、確認することができた。
まだ、信州にはゆかりの地が数多くあるので、今度は少し
涼しくなったら、吟行を兼ねて訪ねてみたいと思う。
先ずは、生家がある信濃町にある一茶記念館とその近
くにあるお墓と俳諧寺を訪ねた。ボランテイアガイドさん
の説明を興味深く聴いた。ところで、信濃町と言えば
昔から“信州打刃物”で有名なので、昔行ったことが
町の物産館に行ってみたが、時代の趨勢か見る影もな
く、廃館となっていたので、道の駅“しなの”に行って
みると、連休のせいかかなりの盛況であった。
お目当ての刃物類は見当たらず、草取り鎌があったの
で、これを買い求めた。今度、ゆっくりと鍛冶屋さんを
訪ね、気に入った鎌を探してみたい。
その後、一茶とゆかりが深い高山村にある“一茶ゆかり
の里 一茶館”を訪ねた。一茶が高山村に長逗留した際
に使用したという豪農の離れ、“水石亭”も移築されて
おり、当時、彼は、多くの門人達に慕われていたことを
伺い知ることができた。

屋根のギザギザは、一茶の波瀾万丈の人生を現しているらしい
次に、有名観光地の小布施に寄り、名物の栗おこわで昼食
をとり、「痩せがへるまけるな一茶是に有」で有名な岩松
院に行き、一茶が詠む時に眺めたと言われる池を見た。
このお寺は、何と言っても葛飾北斎の天井の八方睨み図が
有名で、この日も多くの観光客が熱心に観覧していた。
その後、一茶にゆかりのあると言う、須坂にある“豪商の
館 田中総本家”を訪ねた。広大で贅を尽くした造りに圧
倒され、ここまで成功するには、相当な運と智恵と財力が
必要だったのだろう等と不純な思いで往時を偲んだ。
しかし、生憎と一茶ゆかりの物は不明であった。


屋根が一定勾配ではなく曲線が施されている
さすがに、1日に4箇所も巡ると疲れたので、畑仕事でも
して疲れを癒やそうと畑に直行して、早速購入した草取り
鎌を試したが、用途が限られそうであった。
このプチ一茶ツアーは、一茶の没後180余年も経過して
も、未だ、多くの人に影響を与えている彼の功績と壮絶な
生き様をあらためて、確認することができた。
まだ、信州にはゆかりの地が数多くあるので、今度は少し
涼しくなったら、吟行を兼ねて訪ねてみたいと思う。