この連休に映画「NO」を観た。
80年代の南米チリで、暴政の限りを尽くしたピノチェト
軍事政権に対する信任投票おける反対派の国民に『NO』
をよび掛けるTVCM作成に命の危険にさらされながらも奮
闘する若きCMプロデユ―サーの物語である。
ピノチェトは、当時台頭してきた新自由主義を提唱する
シカゴ派の頭目、ミルトン・フリードマンの手法を教科
書どおりに導入した。
言わばショックドクトリンの実験1号みたいなものだろう。
これにより貧富の格差は劇的に増大し、圧政により無実
の多くの国民が殺され、行方不明になっている。
結果的には、NOが過半数を上回り、ピノチェトは政権の
座を降りる訳だが、劇中、未来に希望を持てるCM作りを
主張する主人公に対し、正攻法で反対を訴えるべきだと
譲らない反対派の重鎮に今の日本の野党を見た思いだ。
結局、『NO』のCMは国民の勇気と希望を与えた。これに、
学ぶべきところはあった。映画を観て、旧態依然の訴え
方を変えるべき時が来ていると気がした。
先ずは、国民の目を覚まさせるべきだろう。こんなにも
酷い政治が行われているのに、政治には無関心で、有権
者の支持が20%あるや無しやの安倍自民党が、独裁政治
を執っている。そのことにさえ気づいていない。
おそらく、今、解散総選挙をやられたら、無条件でこの
先4年間の信任を与えてしまうだろう。国民、有権者は、
お上がすることに対して、疑いの目を持つこと、そして
抗う気持ちを持つことが重要ではないだろうか。
特定秘密保全法、集団的自衛権、沖縄基地、フクシマの
コントロール、川内原発などの様々な問題は自分の問題
であることに気づき、この事案に対する政権のいい加減
さに対して、怒り、主権者は誰有ろう、自分自身である
ことを肝に銘じ、権力の不正執行者に向かう気持ちを持
たねばと意を強くした映画鑑賞だった。
80年代の南米チリで、暴政の限りを尽くしたピノチェト
軍事政権に対する信任投票おける反対派の国民に『NO』
をよび掛けるTVCM作成に命の危険にさらされながらも奮
闘する若きCMプロデユ―サーの物語である。
ピノチェトは、当時台頭してきた新自由主義を提唱する
シカゴ派の頭目、ミルトン・フリードマンの手法を教科
書どおりに導入した。
言わばショックドクトリンの実験1号みたいなものだろう。
これにより貧富の格差は劇的に増大し、圧政により無実
の多くの国民が殺され、行方不明になっている。
結果的には、NOが過半数を上回り、ピノチェトは政権の
座を降りる訳だが、劇中、未来に希望を持てるCM作りを
主張する主人公に対し、正攻法で反対を訴えるべきだと
譲らない反対派の重鎮に今の日本の野党を見た思いだ。
結局、『NO』のCMは国民の勇気と希望を与えた。これに、
学ぶべきところはあった。映画を観て、旧態依然の訴え
方を変えるべき時が来ていると気がした。
先ずは、国民の目を覚まさせるべきだろう。こんなにも
酷い政治が行われているのに、政治には無関心で、有権
者の支持が20%あるや無しやの安倍自民党が、独裁政治
を執っている。そのことにさえ気づいていない。
おそらく、今、解散総選挙をやられたら、無条件でこの
先4年間の信任を与えてしまうだろう。国民、有権者は、
お上がすることに対して、疑いの目を持つこと、そして
抗う気持ちを持つことが重要ではないだろうか。
特定秘密保全法、集団的自衛権、沖縄基地、フクシマの
コントロール、川内原発などの様々な問題は自分の問題
であることに気づき、この事案に対する政権のいい加減
さに対して、怒り、主権者は誰有ろう、自分自身である
ことを肝に銘じ、権力の不正執行者に向かう気持ちを持
たねばと意を強くした映画鑑賞だった。