半農・半Xの生活

思いついたことを思いついた時に綴ります。

きけわだつみのこえ を読んで

2015年10月23日 22時19分18秒 | 日記
過日ふと手にした本が、学徒兵の遺書を集めたこの本であった。
恥ずかしながらこの歳になるまで読んでいなかった。
子どもの頃、わだつみ像がイタズラされたの、壊されたのと新聞で見たことが
あったが、その“わだつみ”なるものが何なのか調べたこともなかったし親に
聞いたこともなかった。

この本が出た当時、異論があったらしい、インテリがそんなに偉いのかとか大
学生、殊に東大に偏っているのではないか等々。たしかに、貧乏人の子どもが
真っ先に戦場に駆出されたのは間違いないだろうし、多く死んでいるのだろう。
学徒動員も、文系の学生が主であり、理系の学生は徴兵猶予だったらしい。
これも、最近話題になった、文系不要説に近いものがある。
目に見えて役に立ちそうなもの経済に直結するか否かで差が出る。
だから、この本に出てくる学生は東大、京大の法学部の人間が多い。
まあ、それはそれとして、当時の学生がどのような心境でいたのか、彼らの視
点であの忌まわしき時代をどのように見ていたのかを理解するにはよいと思う
し、それをとおして当時の状況がわかる。

いわゆるインテリ達が残した遺稿であり、若干22,23歳の若者達であるが、
見事な文章が綴られている。昨今話題になったらしい“永遠の0”なるお涙頂
戴的な戦争を美化した本や映画を礼賛するいわゆるネトウヨ連中にも一度読め
と言いたい。

これは、私の思い込みだったのかもしれない。教育勅語なるもので、誰もかれ
も洗脳されていたわけではないということだ。
死を覚悟した心境は、国の為とは言いながらもやみくもに国体(天皇)の為に
殉ずるなどとは言ってはいない。ただ、当時の状況は公然と軍部の批判などで
きる状況ではないのだが、毅然とおかしいものはおかしいと批判精神を持って
いるのだ。例えば次のようなことが書かれている。特に印象に残った部分をあ
げると。

『今の私は心中必ずしも落着きを得ません。一切が納得が行かず肯定が出来な
いからです。いやしくも一個の、しかもある人格を持った「人間」が、その意
思も意志も行為も一切が無視されて、尊重されることなく、ある一個のわけも
わからない他人のちょっとした脳細胞の気まぐれな働きの函数となって左右さ
れることほど無意味なことがあるでしょうか。自分はどんなところへ行っても
将棋の駒のようにはなりたくないと思います。』

『・・・あの大洋になぜのみこまれて死んで行かねばならないのか。日本人の
死は日本人だけが悲しむ。どうしてこうならなければならぬのであろうか。な
ぜ人間は人間で共に悲しみ喜ぶようにならないのか。平和を愛する人。・・・
・・・私のような意久地なしの物にはこんな言葉が痛切に感じられてならない。
外国人であるがゆえにその死を日本人が笑って見る。これは考えても解らない。
日本人は「御民われ、いけるしるしあり」とほこりを感じていると。彼らの人生
のほこりは?

『日本軍隊においては、人間の本性たる自由を抑えることを修行すれど、謂く、
そして自由性をある程度抑えることができると、修養ができた、軍人精神が入っ
たと思い、誇らしく思う。およそこれほど愚かなものはない。人間の本性たる自
分を抑えよう抑えようと努力する。何たるかの浪費ぞ。自由性は如何にしても抑
えることは出来ぬ。・・・』
『私は明確に云えば、自由主義に憧れていました。日本が真に永久に続くために
は自由主義が必要であると思ったからです。これは馬鹿なことに聞こえるかも知
れません。それは現在、日本が全体主義的な気分に包まれているからです。しか
し、真に大きな眼を開き、人間の本性を考えた時、自由主義こそが合理的な主義
だと思います。
 戦争において勝敗を見んとすれば、事前に於いて判明すると思います。人間の
本性に合った自然な主義を持った国の勝戦は、火を見るより明らかであると思い
ます。』

『日本はあらゆる面において、社会的、歴史的、政治的、思想的、人道的の試練
と発達が足らなかった。万事に我が他より勝れたりと考えさせた我々に指導者、
ただそれらの指導者の存在を許して来た日本國民の頭脳に責任があった。』



やはり、あの戦争は、無責任が故の放漫な国の経営と自己満足の功を焦って手の
施しようがなくなった侵略戦争だったことは明らかであり、未だにシラを切る南
京大虐殺、従軍慰安婦も事実であり、人を爆弾に置き換えて有無を言わさず自死
を迫る肉弾戦、特攻隊など、明らかに常軌を逸した所業は、知性の欠片もない軍
人どもやそれらを唆した財閥によって行われたということだろう。

動員された一兵卒の学徒が戦犯に仕立てられ死刑になり、職業軍人たる将校らは、
せいぜい懲役で済ませて戦後もおめおめと生きながらえたという理不尽と70年経
った今、エリートがしでかした不始末を国民が請け負う様は、全く同根である。