映画と自然主義 労働者は奴隷ではない.生産者でない者は、全て泥棒と思え

自身の、先入観に囚われてはならない
社会の、既成概念に囚われてはならない
周りの言うことに、惑わされてはならない

『フランスへの挨拶』 -A Salute to France- (ジャン・ルノワール 1944年 36分 アメリカ)

2018年04月02日 16時05分12秒 | ジャン・ルノワール
『フランスへの挨拶』 -A Salute to France- (1944年 36分 アメリカ)

製作 アメリカ戦争情報局
監督 ジャン・ルノワール


https://www.youtube.com/watch?v=LdhHJM5hDL4&t=183s
字幕にジャン・ルノワールノ名前が出てきませんが、多分、これではないでしょうか?

ヨーロッパ戦線へ向かうアメリカ兵向けの教育映画のようです.






のらくら兵 (ジャン・ルノワール)

2016年09月21日 05時33分47秒 | ジャン・ルノワール
『のらくら兵』 1928年 83分

監督 ジャン・ルノワール
脚本 ジャン・ルノワール
   アンドレ・セルフ
   アルベルト・カヴァルカンティ
   クロード・エイマン
撮影 ジャン・バシェーレ

出演 ミシェル・シモン
   フェリックス・ウダール
   ジョルジュ・ポミエ
   ジャンヌ・エルブラン
   フリデット・ファトン
   ポール・ヴェルサ
   カトリーヌ・ヘスリング

いじめ.強い者が弱い者を困らせること.
小間使いと召使の恋人同士の二人は、お客の接待の仕事でヘマをしたために、おまえたちは出て行けと、首になってしまった.
家柄を鼻にかける詩人の男.ひ弱な彼は、兵営でいじめられる.
夜の公園でデートの鉢合わせ.相手を間違えて大佐ラブレターを手に入れたのだけど、そのラブレターを大佐との取引に使うのは、相手の弱みに付け込む行為であり、強いものが弱いものを困らせる行為と変わらない.
大佐は全てのいざこざを大目に見ると言った.大佐の権力によって兵を処罰することは、強い者が弱い者をいじめることと同じことであり、私はいじめは許さない、と、大佐は態度で示した.

十字路の夜 (ジャン・ルノワール)

2016年09月18日 22時54分16秒 | ジャン・ルノワール
十字路の夜 1931年 70分
監督 ジャン・ルノワール
助監督 ジャック・ベッケル
原作 ジョルジュ・シムノン
脚本 ジャン・ルノワール
出演 ピエール・ルノワール
   ジョルジュ・テロフ
   ヴィンナ・ヴィニフリート
   ジョルジュ・クードリア

『メグレと深夜の十字路』の映画化.メグレ警視ものの最初に映画化された作品.

あまりよい映画とは思えない.映画全体に渡って何か少しずつ足りないように思えるが.

悪女(悪党)
エルス
『カールが出かけるとき自分から軟禁されることを望んだ』と言って、貞女の振りをしているが、合鍵を作って男を引き込んでいた.夫を睡眠薬で眠らせて、やはり男を引き込んでいた、どうしようもない悪女.であったのだが.....

色気で警視に迫って、捜査の邪魔を試みたが、それは通用しなかった.
『フランスの刑事が皆あなたみたいなら、悪人も悪くないわ』
この言葉、どう受け取ったらよいのか.....

『兄さんはそう思ってない.高飛びした』
『私を置いて?』
.....
『逃亡は自白と同じだ』
『兄は逃げていない.頭が変になったのよ』
『妙なことを』
エルスは不貞な女ではあったが、カールを信頼していた.

最初の夫が金庫破りをしているとき見張りをしていて撃たれた、左の乳房の上に弾傷が.この傷は夫をかばって負ったではないのか?.
金庫破りの夫が、窓ガラスの割れ目からメグレ警視を狙っていた.それに気づいたエルスは警視の近くへ行って邪魔をしたのだった.彼女は悪党、色気で誰にでも言い寄る悪女ではあったが、惚れた相手を体を張ってかばう、けなげな、純真な一面も持ち合わせていた、と言えるのであろう.

体を張って相手をかばう、命をかけて相手に尽くす、それだけの気心を持ち合わせているのなら、自分が誰を大切にしなければならないのか、それを考えれば、おのずとそこに、正しい生き方が見つかるのではないか.....




河 -破壊なくして創造なし-(ジャン・ルノワール 1951年 105分 アメリカ)

2016年04月03日 02時11分33秒 | ジャン・ルノワール
『河』 1950年 105分
監督 ジャン・ルノワール
製作 ケネス・マッケルダウニー
原作 ルーマー・ゴッデン
脚本 ルーマー・ゴッデン
   ジャン・ルノワール
撮影 クロード・ルノワール
音楽 M・A・パーサ・サラティ
助監督 サタジット・レイ

出演
パトリシア・ウォルターズ
エイドリアン・コリラーダ
トーマス・ブリーン
アーサー・シールズ

- やがて すべてをもたらす河は 若い男性を連れてきた -


バレリー (気まぐれで、不真面目、不誠実が特技)


この子は、積極果敢に大尉にアタックして心を射止めることにはなったけれど.でも、何も悩みが無さそうな彼女は、大尉の悩みを慰めることは出来ず、反対に悩みを深めることになってしまった.
彼女は花を持って、嫌われてしまった大尉に会いに行った.そして、抱き締めあって、彼女にとって初めての大人の口づけをした.でも、彼女はこう言った.
『キッスはしたくなかった.いつまでも夢のままでいたかった』
今更、不満を言うことはないはず.贅沢な悩みの女の子.

メラニー (恋愛は一生に一度、何事にも冷静、誠実で、真剣)

- 片足の人の国でも探す気 -

この子は、自分がインド人なのかイギリス人なのか悩んでいた.そして彼女には許婚がいて、結婚、恋愛を真剣に考えていたであろう、彼女は、大尉を遠くから眺めるだけで、同じ家にいながら、二人だけで顔を合わせるのを避けていたようだ.
自分の悩みは自分で解決するしかない、決して大尉の悩みを解消することは出来ない、そう知りつつも、バレリーの酷い仕打ちに苦しむ大尉を観るに観かねて、彼女は自分の方から近づいていった.

『帰る.自分はよそ者だ』と言う大尉、それに対してメラニーは.....
『どこへ行くの?』
『解らない』
『片足だけの国へ行くつもり?』
残酷な言葉であったが、メラニーははっきりと言った.片足の国へ行けば、よそ者ではないかも知れないが、けれども、だからと言って、あなたの満足は得られることはない、悩みが解消することはないのだと.

『僕を嫌いじゃないかと.そうなの?』
『あなたじゃないわ』
『誰』
『私自身よ』、大尉は自分を好きだったのか、嫌いだったのか?

ハリエット (魔法使いで、映画の進行役)

- 私は自分を 醜いアヒルの子と思っていた -

この子は魔法使い.インドに人々に伝わる魔法の力で大尉を元気づけようとしたけれど、けれども大尉はバレリーに夢中で、彼女の言葉は上の空、真剣に聞いてくれず、残念ながら彼女の魔法は大尉には伝わらなかったようだ.

ハリエットは自分を、醜いアヒルの子と思っていた.つまり彼女は白鳥だった.
ルネ・クレールの『奥様は魔女』の魔女は、俗世の世の汚れた心の魔法使い.それに対してハリエットは、清らかな美の世界の魔法使い.
彼女は、河のほとりで暮す人々の姿、河と共に暮らす人々の姿、二つの祭り、そして彼女の恋心を語りながら、幾度も自身が魔法にかかって観せた.

詩が好きな女の子.
『河は流れ、地球は回る.朝も昼も、そして真夜中も.....』
『太陽と月と星が空を巡り.....一日が終わり、そして終わりが始まる』
『大尉のために書いた詩だ.気に入ってもらえるかどうか心配だったけど.....』

『もっともっと川の全てを書きたい、そう思った』
『川は物理的にも精神的にも人々を支えているということ.....』
『思索や瞑想にふけるインドの人々のことを大尉に伝えたかった』
.....
-----船の生活の話、それから河に降りる階段の話へと続く
.....
『魔法の階段のことも教えたかった』
『騒がしい俗世から、清らかな河の流れへと続く階段が』
『私は階段が好きだった』
.....
『階段は土手に区切りを付け、日々の生活を区切るのは祭りだった』
『サラスヴァティーの祭りが近づいていた』
『学問と芸術の女神に、私は大尉を魅了する言葉を与えてと願った』
.....
そして、彼女はインドの物語を書くことにした.

『不満』 ある夫婦が子供が欲しいと願った.女の子だと持参金がいるので男の子を望んだが、けれども生まれたのは女の子だった.
『満足』 女の子はとても良い子で、家の手伝いをしてお金を稼いだ.女の子は美しい娘に育った.
『不満』 娘は素敵な男に巡り会い恋をした.けれども親の勧める相手と結婚しなければならず、娘は悲しかった.
『満足』 悲しみの内に結婚式を迎えた娘.その結婚相手は娘の恋する男だった.
メラニー扮する女の子、清らかな美の化身の女神に授かった魔法によって、愛を語る踊りを舞う.彼女は誠実な内に秘めた熱い想いを語った.
(この書き方は映画ではなく、プーシキンの詩かもしれない)

インドで暮らす人々の物語は、この話が、永遠に続くのだった.
人々の暮らしには喜びもあれば悲しみもある.その繰り返しである.

さて、魔法使いのハリエットちゃん、彼女の魔法の力をもう一つ.
『河は物理的にも精神的にも、人々を支えている』
『魔法の階段のことも教えたかった』
『騒がしい俗世から、清らかな河の流れへと続く階段が.....』

物理的に支えているとは、例えば漁をして魚を取り生活の糧を得ること.
精神的に支えているとは、騒がしい俗世で疲れた心に、河は安らぎを与え元気にして、心に満足を与えていると言うこと.

ボギー

- つづりより カメがいい -

自然が大好きな少年だった.この子は自然と共にあるがままに生き、そして死んでいった.短い人生、ボギーにとって満足が行く人生であったかどうか、それは解らないけれど.けれどもコブラが好きで夢中になり、そして噛まれて死んでいった.好きなことに夢中になって死んでいった、その人生に決して不満はないはずだ.

千年も、二千年も変わることのない生活を続ける、ガンジス川の辺で暮す人々.もし不満があれば、同じ生活が続くことはないはずだ.
運んだ印に貝殻を貰いながら船から荷物を担いで運びあげる労働、黄麻工場の労働、彼らの様子はどう見ても裕福な生活からは程遠い.辛い仕事だと思えるけれど、けれども彼らの姿から不平不満を言う様子は感じられない.ハリエットの魔法の教えでは、彼らは河との触れ合いで心に満足を得て、現実の境遇に不平不満を抱かずに生きているらしい.

片足の生活に満足を求めるのは無理で、満足を求めるから不満が生まれる.ありのままの自分を受け入れて不満を言わなければ、少なくとも自分で自分が嫌いになることは無いはずだ.
自分で自分を好きになれる、そうした生き方が理想ではあるけれど、そんな生き方が出来るのは一握りの人々にすぎず、皆、ありがままの自分を受け入れて、不満を言わずに生きているに過ぎないのではないのか.

一時は英雄ともてはやされはしたが、社会から見捨てられてしまった大尉.
バレリーのように贅沢な不満を口にする子もいたけれど、メラニーもハリエットも、思い返せば皆、自分を励ましてくれたのだ.ボギーのように好きなことを見つけて不満を抱かず生きて行けば、何時かは満足の行く自分を見つけ出せるかもしれない.彼は自分で自分の幸せを見つけ出す元気を取り戻して帰っていった.

インド人にとって恋愛は一生に一度、許婚のあるメラニーは大尉に好意は抱いていても、恋愛に発展させるのは躊躇があったであろう.
バレリーとハリエット、二人の恋愛、二人の魔法は大尉と共に去っていった.
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こちらは、愛の女神(誠実と静かな情熱)

では、こちらの神様は?


偶像、辞書を引いても信仰の対象物、こんな程度しか書いてない.これでは何も分からない.

太古の時代、権力者が死ぬと、墓に一緒に生け贄を生めた.生きた人間を生めました.
時代が変わって、これではいけないという考えになって、身代わりに埴輪を生めるようになった.
埴輪は偶像、偶像とは身代わりなのです.

破壊なくして創造なし.
河の泥から創った偶像を、祭りが済んだら河に戻す.
つまり、自分の身代わりが死んで、自分自身は新しく生まれ変わる.

『階段は土手に区切りを付け、日々の生活を区切るのは祭りだった』
日本は季節の移り変わりがはっきりしているので、例えば季節によって着るものが変わり、生活の区切りになる.
インドは季節の移り変わりがはっきりしないので、祭りを生活の区切りにする.
気分を新たにする区切りにする、と言うことなのでしょう.

河の泥から創った偶像が、怖い顔をしていたのはなぜなのか?、
『悪を破壊することにより善が生まれるからだ』、解りやすくハリエットは教えてくれている.
生きている人は、自分の間違いを正すことにより、生まれ変わることが出来る.
自分の過ちを反省し、その心で悪い心の神様にお祈りする.
自分の悪い心を悪い心の神様にあげて、その神様は祭りが済むと河に戻す.そして自身は清らかな心に生まれ変わる.

灯明祭

- 遠い昔 善と悪の間で起こった 戦いをしのぶ祭りで- -

かつて戦争で沢山の犠牲者が出た.その犠牲者の数だけ明かりを灯す祭り.
自分達は戦争をする悪い人間だった.悪い心の神様にお祈りすることにより、その反省をいつまでも持ち続けるからこそ、千年、二千年と平和な世の中を続けることが出来る.

日中戦争、太平洋戦争で東南アジアで二千万人の犠牲者を出した.その事実すら、もう忘れ去られようとしている.何かにつけて戦争を正当化しようとする日本人とは大違いの考えを、ガンジス河の畔に暮す人々は持ち続けて暮している.

『善と悪の間に起こった戦いをしのぶ祭り』
なにか変か?、何も変ではない.戦いは必ず善と悪の間に起こる.
東洋長久平和のため、米英の鬼畜生を懲らしめてやる.こうして太平洋戦争は始まった.
必ず自分が善で、相手は悪である.
戦いは必ず善と悪の間に起こる.


カーリー
戦争の神様.手が4本有って、2本で武器を、2本で生首を持つ.つまり悪魔、あるいは悪い心の神様と言えます.


2016/04/03
河と共に暮らす人々、河に触れ合いながら暮らす人々の生活、悪い心と愛の心の二つの祭り、そして大尉との恋愛、ハリエットはそれらを語りながら、自身が何度も魔法にかかって観せる.
この様子を、情熱的に書き加えること.


『大いなる幻影』 1937年
ユダヤ人との友情と、ドイツ人との恋愛を描いた.
戦争は封建制度の時代は(特権を持った)貴族の役目であったが、民主主義の時代になったからと言って(普通の)人々の役目にしてはならない.
平和を守るのが、人々の役目である.

『ラ・マルセイエーズ』 1938年
戦争が避けられないであろう、逼迫した状況になってしまったが.....
もう一度、なんのために戦うのか考えろ.
(民衆カンパによる製作)

『自由への闘い(この土地は私のもの)』 1943年
戦争が始まってしまった.
基本的人権を武力で脅かすものは、全て侵略者である.
基本的人権を守るために戦うのだ.
(自費製作)

『河』 1950年
戦争を繰り返してはならない.
戦争を起こさず幾千年も変わらない暮らしをしている、インドの人々の暮らしを描いた.


下の左手に持っているのは、どう見ても人間の首です.

人々






















バレリー












灯明祭

























メラニー


























ジャン・ルノワールとルネ・クレール (悲劇と喜劇)

2016年01月01日 10時49分07秒 | ジャン・ルノワール
ルネ・クレールとジャン・ルノワール
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『巴里祭』(1932)
『どん底』(1936)
どちらも、悪い女と別れなければ幸せにはなれない.
『巴里祭』は後にチャップリンともめ事を起こしかけた作品.『どん底』の主役の二人は小説には全く描かれないが、ジャン・ルノワールはゴーリキーに許諾を求めた.

『ゲームの規則』(1939)
悲劇を喜劇に描く.人々が喜劇ととらえる悲劇を描いた.
『沈黙は金』(1946)
悲劇を喜劇に変える話し.

『夜ごとの美女』(1952)
この作品は日本人には分からない.フランス軍のアフリカ出兵は、アフリカの人々にとって悪夢だった.
音楽家になる夢が現実になったとき、もう一つ同時に隣の家の娘と結婚できる夢が適った.それはフランス革命の時抱いた夢、誰もが身分の違いがなく自由に恋愛し結婚できる世界への夢であった.
封建制度の時代に作られた植民地の人々が独立運動をしている.民主主義の時代になり、封建制度の時代に適わなかった夢が現実のものとなった現在において、アフリカの人々の夢を実現するのは当然のことではないのか.
『黄金の馬車』(1953)
貴族の権力の象徴である、黄金の馬車=植民地を、庶民が欲しがるのは、欲張りに過ぎない.

『恋多き女』(1956)
秘密にすれば悲劇になり、公にすれば喜劇になる.
沈黙は金に対する作品.
『夜の騎士道』(1955)
このような出来事は、相手の女性にとって悲劇に過ぎなかった.
ゲームの規則に対する作品.
ルネ・クレールは喜劇ばかりを、ジャン・ルノワールは悲劇ばかりを撮ってきたので、互いに逆の作品を撮った.

『沈黙は金』(1946)
ルネ・クレールがフランスに戻った最初の作品.
ジャン・ルノワールがフランスを追われることになった『ゲームの規則』で描き損ねた、悲劇と喜劇を描いた.
『フレンチ・カンカン』(1954)
ジャン・ルノワールがフランスに戻った最初の作品.
ルネ・クレールがフランスを追われることになった作品『最後の億万長者』で描き損ねた、愚劣を描き込んだ.
この作品、ラストシーンは『沈黙は金』と同じ.


ルキノ・ヴィスコンティとジャン・ルノワール
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『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(1942)
『浜辺の女』(1946)
どちらも妄執を描いた作品.ゾラ原作の『獣人』も妄執が描かれていたのだけど、おそらくこの作品によって妄執に興味を抱いたジャン・ルノワールは、『郵便配達は二度ベルを鳴らす』を映画化しようと考えたのでしょう.
イタリアでヴィスコンティを助監督に『トスカ』を撮っていたとき、二人で構想を話し合ったとはずで、やがて、イタリアが参戦したため、ジャン・ルノワールは『トスカ』の撮影を中断しフランスへ戻る事になり、この時『郵便配達は二度ベルを鳴らす』の映画化を譲ったのだと思われます.
『大いなる幻影』は、ヒットラーのもっとも嫌いな映画.周りの人間に勧められジャン・ルノワールはアメリカに渡ることになりました.数年の後、アメリカで『郵便配達は二度ベルを鳴らす』が映画化されることになった、同じ年にジャン・ルノワールは『浜辺の女』を撮っています.彼にとって、妄執はどうしても描きたい課題であったと言うことなのでしょう.

『夏の嵐』(1954)
『黄金の馬車』(1953)
ジャン・ルノワールはテクニカラーの技術者と一緒にイタリアへやって来て、チネチッタでカラー作品を撮ることになった.
旋律は勇敢と卑怯.で、どちらがくだらない映画を撮るか競い合った.
欲張りと言う、人間のくだらない一面を描いたジャン・ルノワールが勝で、面白くないヴィスコンティは、後に『白夜』と言う、これ以上はあり得ないくだらない作品を撮った.


キング・ヴィダーとジャン・ルノワール
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『麦秋(麦の秋)』(1934)
自然災害など、さりげなく不幸が訪れ、それに対してわざと助け合う人々が描かれているのではないか.
『南部の人』(1945)
ジャン・ルノワールは意地悪を描いた.意地悪とはわざと人を困らせること、その逆、さりげなく助け合うことの大切さを描いたのだけど.


チャップリンとジャン・ルノワール
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『ライムライト』(1952)
チャップリンは自分一人で映画を作ってきたと思っているのだろうか.なんとも言いようのない陰気な作品.
『フレンチ・カンカン』(1954)
名優もへぼな役者も、皆、芸人が好きで、映画の世界、役者の世界で生きてきた.皆、好きなことを一所懸命やって来たのであり、それは映画監督のジャン・ルノワールも同じであった.


作品リスト (2016/09/22修正)
1924年 『カトリーヌ』 脚本/製作
      『水の娘』 監督(27年発表)
1926年 『女優ナナ』 監督 DVD
      『チャールストン』 監督
1927年 『マルキッタ』 (消失)
1928年 『マッチ売りの少女』 監督
      『のらくら兵』 監督/脚本 DVD
      『騎馬試合』
1929年 『荒れ地』
1931年 『坊やに下剤を』 監督/脚本 DVD
      『十字路の夜』 監督/脚本 DVD (最初のトーキー)
      『牝犬』 監督/脚本 DVD
1932年 『素晴らしき放浪者』 監督/脚本 DVD
      『ショタール商会』 監督 DVD
1933年 『ボヴァリー夫人』 監督/脚本 DVD
1934年 『トニ』 監督/脚本 DVD
1935年 『ランジュ氏の犯罪』 監督/脚本 DVD
1936年 『人生はわれらのもの』
      『ピクニック』 監督/脚本 DVD
      『どん底』 監督/脚本 DVD
1937年 『大いなる幻影』 監督/脚本 DVD
      『ラ・マルセイエーズ』 監督/脚本 DVD
1938年 『獣人』 監督/脚本/出演 DVD
1939年 『ゲームの規則』 監督/脚本/出演 DVD
1040年 (トスカ)
1941年 『スワンプウォータ』 監督 DVD
1943年 『自由への闘い(この土地は私のもの)』 監督/製作 DVD
1944年 『フランスへの挨拶』
1945年 『南部の人』 監督 DVD
1946年 『小間使いの日記』 監督 DVD
      『浜辺の女』 監督/脚本 DVD
1950年 『河』 監督/脚本 DVD
1952年 『黄金の馬車』 監督/脚本 DVD
1954年 『フレンチカンカン』 監督/脚本 DVD
1956年 『恋多き女』 監督/脚本 DVD
1959年 『コルドリエ博士の遺言』 監督/脚本/製作
      『草の上の昼食』 監督/脚本 DVD
1962年 『捕えられた伍長』 監督/脚本
1969年 『ジャン・ルノワールの小劇場』 監督/脚本 DVD