気になる記事があったので、書くことにしました.
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http://bylines.news.yahoo.co.jp/furuyatsunehira/20160127-00053846/
日本を滅ぼす『道徳自警団』―芸能人不倫騒動への考察―
古谷経衡 | 評論家/著述家
2016年1月27日 9時56分配信
・『道徳自警団』とは何か
・『道徳自警団』暗躍の代表的事例
・『道徳』を基準として善悪を判断することの何がいけないのか
『我々は、あくまで「現在の法」に従って善悪の判断を形成するべきであり、それは決して曖昧な道徳的基準であってはならないのである』
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詳しくは記事を読んでいただくとして、要は人はあくまでも法律で(法律だけで)裁かれるべきであり、道徳観で裁かれるのは間違っていると主張されています.この方の主張では、SNSを含め(手段を問わず)道徳観から非難することは間違っていて、観点を変えれば法律だけが全てで正しいと主張されているのですが.
この方の書かれていることはは至極ごもっともなことばかりです.けれども、法律だけが全て、法律だけが正しいと考える、この考えた方間違ってると指摘しなければなりません.
第二次世界大戦の戦後の間もない頃、田中絹代と言う女優がアメリカの映画界から招かれて親善訪問しました.出かけるときは着物姿、帰ってきたときは銀狐のコート姿.その姿でオープンカーでパレードを行い沿道の観衆に投げキッスをして、すさまじい非難を浴びることになりました.(アメション女、アメリカでションベンをしてきた女と、汚い罵声を浴びました)
例えば、彼女のかつての夫、映画監督の清水宏は私財で伊豆に農地を手に入れて、戦災孤児を集めて農場で共同生活をしていたのですが、如何にアメリカの映画界から歓迎を受けたにせよ、日本の大衆の実生活からあまりにもかけ離れた態度は、映画俳優として批判を受けて当然の事であったと思います.
食料を含め物資の乏しい時代、皆が辛い生活に耐えて暮しているときに、一般大衆にとって、彼女の態度が明るい夢、希望を抱かせたかと言えば全く逆で、現実の辛さを、惨めな事実として明瞭に思い知ることになった結果だと思います.
伊藤博文は、当時の芸者になる女の子は10歳程度で売られて来て、数年の修行の後座敷に出る、その初めて座敷に出た芸者を金に任せて片っ端から買いあさりました.明治天皇が少しは慎むように諭したところ、『皆がこそこそ隠れてしていることを、自分は堂々とやっているだけだ』と、言い放ったそうです.
伊藤博文は鹿鳴館のダンスパーティで見初めた外交官の妻を強姦しようとして未遂に終わり、新聞沙汰の騒ぎになりました.彼は外交官を国外に飛ばして事件をうやむやにしました.伊藤博文は色きちがいの犯罪者です.
以前、週刊誌にこのような記事がありました.
『フィリピンでは、10代の若い女の子が、日本人を含め金持ちの外国人と、それもなるべく年寄りの60代、70代の男と結婚したがる.年寄りの方が早く死ぬので、財産を手に入れて第二の人生を歩むことが出来るから』
これは私が聞いた、現実の話です.
1.現地人の若い女の子と結婚した男、大手企業を退職後、若い妻とリゾート地でペンションを経営している.
2.歳の離れた若い妻、彼女は大学に通って勉強している.
3.中小企業の社長さん、若い妻と一緒に会社経営.二人で仲良く楽しくやっている.
週刊誌の記事は、若い現地人と結婚する男たちは騙されていると言いたいのでしょうが、そんなことは当人たちは承知の上のこと、自分の方が先に死ぬのは解りきった事なので、残された妻が自分の力で生きて行けるよう、そう考えて暮しているのです.
もちろん、すべての人がそうではない.むしろ、週刊誌が言いたいことの人の方が多いでしょうが.それはさておき、ここで解るのは、当人たちが互いの幸せを考えて生きているのならば、他人が口を挟むことは無いのであり、その逆は許されないこと、非難されて当然のことと言えます.法律違反でなければ何をしても良いとか言う話ではありません.
法律だけが正しいとする考え方は、何よりも神様が正しいと考えた中世の考えと何ら進歩の無い考え方です.
ネット上にあふれる誹謗中傷は、当然、誹謗中傷は他人の不幸を願う心で書かれているので、非難されるべき事なのですが、要は、他人の不幸を願うその考え方が許されない、それだけの事であり、法律違反かどうかの問題でもありません.
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『女性の勝利』 溝口健二
国が国民を管理するための法律ではない、国民の人としての権利を守る法律、法でなければならない.
『我が恋は燃えぬ』 溝口健二
新しい憲法が出来ても(どんな法律が出来たにしても)、人の心に幸せを願う心がなければ何も変わりはしない.
自由民権運動の活動家の男、新しい女が出来たら、一緒に活動してきた恋人を冷たく捨て去った.
『イノセント』 ルキノ・ヴィスコンティ
法の裁きを受けることがない、法で裁くことが出来ない悪、誰からも裁かれることがない悪、それが一番許されない悪である.
『ランジェ氏の犯罪』 ジャン・ルノワール
国境の街のレストラン兼宿屋に逃げてきた殺人者.話を聞いたら、彼は法で裁かれない悪人を撃ち殺してしまったのだった.警察に突き出すべきかどうか、居合わせた者達の判断は、法で裁かれない悪人を殺した彼を、法で裁くことはできない、国境の向こうへ逃げろ.
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http://bylines.news.yahoo.co.jp/furuyatsunehira/20160127-00053846/
日本を滅ぼす『道徳自警団』―芸能人不倫騒動への考察―
古谷経衡 | 評論家/著述家
2016年1月27日 9時56分配信
・『道徳自警団』とは何か
・『道徳自警団』暗躍の代表的事例
・『道徳』を基準として善悪を判断することの何がいけないのか
『我々は、あくまで「現在の法」に従って善悪の判断を形成するべきであり、それは決して曖昧な道徳的基準であってはならないのである』
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詳しくは記事を読んでいただくとして、要は人はあくまでも法律で(法律だけで)裁かれるべきであり、道徳観で裁かれるのは間違っていると主張されています.この方の主張では、SNSを含め(手段を問わず)道徳観から非難することは間違っていて、観点を変えれば法律だけが全てで正しいと主張されているのですが.
この方の書かれていることはは至極ごもっともなことばかりです.けれども、法律だけが全て、法律だけが正しいと考える、この考えた方間違ってると指摘しなければなりません.
第二次世界大戦の戦後の間もない頃、田中絹代と言う女優がアメリカの映画界から招かれて親善訪問しました.出かけるときは着物姿、帰ってきたときは銀狐のコート姿.その姿でオープンカーでパレードを行い沿道の観衆に投げキッスをして、すさまじい非難を浴びることになりました.(アメション女、アメリカでションベンをしてきた女と、汚い罵声を浴びました)
例えば、彼女のかつての夫、映画監督の清水宏は私財で伊豆に農地を手に入れて、戦災孤児を集めて農場で共同生活をしていたのですが、如何にアメリカの映画界から歓迎を受けたにせよ、日本の大衆の実生活からあまりにもかけ離れた態度は、映画俳優として批判を受けて当然の事であったと思います.
食料を含め物資の乏しい時代、皆が辛い生活に耐えて暮しているときに、一般大衆にとって、彼女の態度が明るい夢、希望を抱かせたかと言えば全く逆で、現実の辛さを、惨めな事実として明瞭に思い知ることになった結果だと思います.
伊藤博文は、当時の芸者になる女の子は10歳程度で売られて来て、数年の修行の後座敷に出る、その初めて座敷に出た芸者を金に任せて片っ端から買いあさりました.明治天皇が少しは慎むように諭したところ、『皆がこそこそ隠れてしていることを、自分は堂々とやっているだけだ』と、言い放ったそうです.
伊藤博文は鹿鳴館のダンスパーティで見初めた外交官の妻を強姦しようとして未遂に終わり、新聞沙汰の騒ぎになりました.彼は外交官を国外に飛ばして事件をうやむやにしました.伊藤博文は色きちがいの犯罪者です.
以前、週刊誌にこのような記事がありました.
『フィリピンでは、10代の若い女の子が、日本人を含め金持ちの外国人と、それもなるべく年寄りの60代、70代の男と結婚したがる.年寄りの方が早く死ぬので、財産を手に入れて第二の人生を歩むことが出来るから』
これは私が聞いた、現実の話です.
1.現地人の若い女の子と結婚した男、大手企業を退職後、若い妻とリゾート地でペンションを経営している.
2.歳の離れた若い妻、彼女は大学に通って勉強している.
3.中小企業の社長さん、若い妻と一緒に会社経営.二人で仲良く楽しくやっている.
週刊誌の記事は、若い現地人と結婚する男たちは騙されていると言いたいのでしょうが、そんなことは当人たちは承知の上のこと、自分の方が先に死ぬのは解りきった事なので、残された妻が自分の力で生きて行けるよう、そう考えて暮しているのです.
もちろん、すべての人がそうではない.むしろ、週刊誌が言いたいことの人の方が多いでしょうが.それはさておき、ここで解るのは、当人たちが互いの幸せを考えて生きているのならば、他人が口を挟むことは無いのであり、その逆は許されないこと、非難されて当然のことと言えます.法律違反でなければ何をしても良いとか言う話ではありません.
法律だけが正しいとする考え方は、何よりも神様が正しいと考えた中世の考えと何ら進歩の無い考え方です.
ネット上にあふれる誹謗中傷は、当然、誹謗中傷は他人の不幸を願う心で書かれているので、非難されるべき事なのですが、要は、他人の不幸を願うその考え方が許されない、それだけの事であり、法律違反かどうかの問題でもありません.
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『女性の勝利』 溝口健二
国が国民を管理するための法律ではない、国民の人としての権利を守る法律、法でなければならない.
『我が恋は燃えぬ』 溝口健二
新しい憲法が出来ても(どんな法律が出来たにしても)、人の心に幸せを願う心がなければ何も変わりはしない.
自由民権運動の活動家の男、新しい女が出来たら、一緒に活動してきた恋人を冷たく捨て去った.
『イノセント』 ルキノ・ヴィスコンティ
法の裁きを受けることがない、法で裁くことが出来ない悪、誰からも裁かれることがない悪、それが一番許されない悪である.
『ランジェ氏の犯罪』 ジャン・ルノワール
国境の街のレストラン兼宿屋に逃げてきた殺人者.話を聞いたら、彼は法で裁かれない悪人を撃ち殺してしまったのだった.警察に突き出すべきかどうか、居合わせた者達の判断は、法で裁かれない悪人を殺した彼を、法で裁くことはできない、国境の向こうへ逃げろ.