映画と自然主義 労働者は奴隷ではない.生産者でない者は、全て泥棒と思え

自身の、先入観に囚われてはならない
社会の、既成概念に囚われてはならない
周りの言うことに、惑わされてはならない

『按摩と女』 (1938年 松竹 清水宏)

2020年01月18日 04時28分18秒 | 清水宏
『按摩と女』
1938年 66分 松竹

監督  清水宏
脚本  清水宏
撮影  斎藤正夫
音楽  伊藤宣二
美術  江坂実

配役
三沢三千穂.....高峰三枝子
徳市...........徳大寺伸
福市...........日守新一
研一...........爆弾小僧
大村真太郎.....佐分利信
鯨や...........坂本武
” 番頭.......二木連
” 女中.......春日英子
” 女中.......京谷智恵子
按摩金造.......油井宗信
按摩亀吉.......飯島善太郎
按摩喜多郎.....大杉恒雄
曳かれる男.....赤城正太郎
ハイキングの学生
     .....近江敏明
     .....磯野秋雄
     .....廣瀬徹
     .....水原弘志
ハイキングの女
     .....槙笑佐子(?)
     .....三浦光子
     .....中井戸雅子
     .....関かほる
     .....平野鮎子



『ねえ徳さん、一年ぶりに来てみると山の温泉場もまた良いね』
『うん、青葉の頃に限るよ』
『どうだ、よい景色じゃないか、まるで、見えるようだ』
.....
『徳さん、少しゆっくり歩こうよ.もう大分疲れた』
『でも、なるたけ、陽が有るうちに着きたいからね』
『陽が有ろうが無かろうが、めくらにゃ関係ないじゃないか.どうせ年がら年中夜道ばかりだ』
.....

目が見えなくても、散歩をし、水泳もし、そして恋いもする.
目が見えなくても、目が見える人と、なにも変わりはしない.

目が見えないかといって、差別されることがあってはならない.
現代流に言えば、目が見えない人も見える人と同じように暮らせる社会にして行かなければならない.







『有りがたうさん』 (清水宏)

2019年07月23日 22時36分49秒 | 清水宏
『有りがたうさん』
公開 1936年2月27日 78分

監督   清水宏
原作   川端康成
脚色   清水宏
撮影   青木勇
音響効果 斎藤六三郎
編曲   篠田謹治
音楽指揮 堀内敬三


出演
有りがたうさん........上原謙
黒襟の女..............桑野通子
売られゆく娘..........築地まゆみ
その母親..............二葉かほる
行商人................仲英之助
髭の紳士..............石山隆嗣
東京帰りの村人........河村黎吉
東京帰りの娘..........忍節子
行商人A..............堺一二
行商人B..............山田長正
猟帰りの男............河原侃二
田舎の老人............青野清
医者..................谷麗光
新婚の夫..............小倉繁
新婚の妻..............河井君枝
お通夜の人............県秀介
茶店の婆さん..........高松栄子
酌婦..................雲井ツル子
酌婦..................和田登志子
旅芸人................水戸光子
旅役者................爆弾小僧
旅役者................末永孝行
小学生................葉山正雄
小学生................飯島善太郎
旅役者................浪花友子
旅役者................小池政江


踊り子がでてきたりして、川端康成が『伊豆の踊り子』に書きたくて書かなかった、書けなかったエピソード、それらを纏めて作品にしたのではないでしょうか.
『伊豆の踊り子』は修善寺から下田へ、この映画は反対の方向、下田から修善寺方面へ向かうバスの話.作品の結末も反対で、『伊豆の踊り子』は悲恋に終わり、この作品は結ばれて終わる.

『伊豆の踊り子は』の映画はろくな作品がないので、原作を読んでみなければと思っています.
あの学生は、なぜ後になってから伊豆大島へ踊り子を訪ねて行かなかったのか、原作に書かれているのでしょうか?.彼は船に乗ってから慟哭してたはずで、そこに何かあったのかも知れません.

ま、それはそれとして、どんな理由があったにせよ、その後一度も会いに行かずに忘れ去ったとしたら、学生は実に不誠実な人間であったと思います.

学生が踊り子に興味を抱き=好きになり、踊り子もまた学生を好きになった.そして、学生は踊り子の気持ちを分っていたのに、その後、会いに行かなかったとしたら.....これほど無慈悲な行為はないのでは.....

この映画では、東京へ奉公に行かなければならない身の上の娘に想いを寄せた彼は、バスの購入を諦めて娘と一緒になることにしました.
『伊豆の踊り子』の学生に、学業を諦めろとは、それは誰も言わないでしょうが、けれども暇を見つけて会いに行くことは、彼に出来ることであったはず.
もちろん『伊豆の踊り子』そっくり同じではないでしょうが、若き日の川端康成によく似た出来事があって、彼一人の責任ではない、彼一人でどうにかなる出来事ではなかったのでしょうが、それでも自身に悔いを残す出来事があったのだと、思えてなりません.
人生を難しく考えることなく、『有りがたうさん』のように生きたかったのかも.....

それはさておき.
有りがたうさんは、バスを買うのを諦めて、売られて行く娘を買うことにした.酷い言い方かって、この方が分りやすい、売られて行く運命にあった娘を救ったのです.つまり彼は娘の幸せを買ったのではなく、娘を不幸な運命から救ったのです.この後、二人が幸せになるかどうかは、二人の努力、好き合った二人が互いに助け合って生きて行くことにかかっているのですから.






映画『小原正助さん』 (清水宏)

2014年10月23日 01時43分33秒 | 清水宏
小原正助さん
1949年 97分

監督  清水宏
製作  岸松雄
脚本  清水宏
    岸松雄
撮影  鈴木博
照明  石井長四郎
録音  中井喜八郎
美術  下川原友雄
編集  笠間秀敏

配役
大河内傳次郎
風見章子
宮川玲子
清川虹子
飯田蝶子
田中晴生
清川荘司
鳥羽陽之助
日守新一


戦争に負けた結果、GHQにより農地改革が行われ、庄屋で名士と呼ばれた杉本佐平太さんも、土地の多くは小作人に分けられたのであろう、今はごく普通の農家であった.かつてのような繁栄も無く、お手伝いさんもばあやが一人居るだけなのだが、けれども、地元の人達は以前と変わらず、寄付を求めに、酒を飲みに、佐平太さんの家に集まって来るのだった.妻の臍繰りも尽き、ついには借金をして地元の人達の要望に応えていた佐平太さんは、借金取りに追われる羽目に.

残された財産は骨董品の他はロバと本.ロバは子供たちに、本は村の青年たちに寄付された.骨董品は庄屋であった頃、小作人達から搾取した財産であった.佐平太さんは村人に差し上げるべきと考えていたが、かつての小作人であった村人達に差し上げるべき財産は既に寄付で上げてしまい、未だ残っている骨董品の分は借金になっているのだった.村人達が貰うべき財産はもう無く、残った骨董品は村人が買い取って、佐平太さんの借金を返すことにした.

杉本左平太さんは小原正助さんと同じように、朝寝、朝酒、朝湯が大好きだったけど、財産を無くしたのは、かつて小作人であった村人達に分け与えたからです.

選挙の応援を頼まれた庄助さん、応援の話は引き受けたけれど、けれども料亭の支払いは全部自分持ち、買収はされなかった.
村人達が、村長に立候補するよう頼みに来たが、庄助さんは断った.村人達は庄助さんの寄付を当てにし、また、酒を飲ませてもらうことを当てにして、庄助さんの家にやって来ていた.
戦争が終わり新しい法律が出来て、新しい時代になった.庄助さんが村長に立候補していれば、寄付行為の禁止、酒を飲ませる買収行為によって、選挙違反で捕まる事になる.仮に庄助さんが村長になりたいと思っても、村長になることが出来ないことを、料亭の支払いを全部自分で払ったことから、彼はよく分っていたと言える.
古い時代、地元の名士と呼ばれる者が、金と権力を握っていた時代では、村人達が名士と呼ばれる人間に頼るのも、仕方がなかったかもしれないが.
けれども時代が変わり、村人達が一人の人間の善意に頼る時代は終わり、村人達が選挙によって、村人に善意を尽くす人間を選ぶ時代に変わったのである.
その事を、村人の一人一人が理解しなければならないのだが、この映画が撮られてからおおよそ65年が経過しても、つい最近辞任した大臣(その関係者)が、未だに有権者にワインを配っていた.
(貰った人が辞めさせなければ)











蜂の巣の子供たち (清水宏)

2012年12月13日 03時34分13秒 | 清水宏

(1948/08/24 86min)

子供の人権擁護

『この映画の子供たちに、心当たりはありませんか』字幕のこの言葉で始まるこの映画、描かれた子供たちは本物の戦災孤児達.若者の男女も素人なのでしょう、この二人のへたくそな演技が、人の素朴な感情を引き立てる、子供たちの子供らしさを引き立てているように思えます.

おそらく比治山からの遠望だと思いますが、わずかながらも、当時の広島の惨状が、映像で映し出されました.GHQが広島の報道を禁じていた時代なので、結構苦労したのではないでしょうか.
その広島の廃墟の中で、若者はこう言いました.
『子供たちに、もっと親身なものを与えて欲しい』
子供たちに食料を与えることは、単なる同情に過ぎない.戦災孤児達の現状を理解し、本当に彼らの必要とするものを与えなければならない.それは、教育、勉強をする機会でした.

売春婦に身を堕とそうとしていた女の子は、四国の山で海を見たいと言って死んだ、よしぼうの手紙に励まされ泣きぐずれた.
子供たちを手先に使った闇屋の元締め、あるいは売春婦の元締めをしていた、「おじき」と呼ばれる男.彼はつれてこられたのか、勝手に付いてきたのか分らないけれど、彼もまた、感化院の手前で子供たちに励まされる.
『元気出せよ』

闇屋、タバコを吸うこと、そして博打.大人のまねをして、いけないことをする子供たちでしたが、けれども、彼らは、子供たち同士で助け合って生きていました.描かれた子供達の生き生きとした姿は、この映画を観た他の孤児達の励みになり、同時に、闇屋、売春婦など、生きる夢、希望を失って生きている大人たちに、反省を促す映画でもあったと思います.

デ・シーカの『靴みがき』、ロッセリーニの『ドイツ零年』、この二作も、戦後の時代の子供達の人権擁護を訴えた映画でしたが、どちらも大人の視点から描かれた作品でした.それに対して、清水宏は、素朴な子供の視点から描き上げました.
今一度書けば、汗水を流して働くことの喜びを学んだ子供たち、その子供達が大人たちに『元気出せよ』と励ました、この点に、イタリア映画の二作とは比較すべきでないすばらしさがあると思います.