映画『ジェルミナル』 - Germinal - (原作:エミール・ゾラ 監督:クロード・ベリ)
『ジェルミナル』 - Germinal -
1993年 フランス 158分
監督 クロード・ベリ CLAUDE BERRI
製作 ピエール・グルンステイン PIERRE GRUNSTEIN
原作 エミール・ゾラ EMILE ZORA
脚本 クロード・ベリ CLAUDE BERRI
アルレット・ラングマン ARLETTE LANGAMANN
撮影 イヴ・アンジェロ YVES ANGELO
音楽 ジャン=ルイ・ローク JEAN-LOUIS ROQUES
montage HERVE DE LUZE
decrs THANH AT HOANG
CHRISTIAN MARTI
配役
ミュウ=ミュウ MIOU-MIOU
ルノー RENAUD
ジャン・カルメ JEAN CARMET
ジュディット・アンリ JUDI HENRY
ジャン=ロジェ・ミロ JEAN-ROGER MILO
ジェラール・ドパルデュー GERARD DEPARDIEU
ローラン・テルジェフ LAURENT TERZIEFF
BERNARD PRESSON
ジャン=ピエール・ビッソン JEAN-PRERRE BISSON
JACQUES DACQMINE
アニー・デュプレー ANNY DUPEREY
敗北を喫したランチェは、日記にこう書き記す.
『古い社会が消え、新しい社会が生まれても、不平等は残る.上手く立ち回る連中が、弱者を搾取し続けるのだ.解決策は無い』
言葉の通り、解決策は無い.自分だけ得をしよう、自分だけ得すればいい、こう考える人間がいる内は、解決策はないのです.
この点では、ストを行った彼らも同じであったと言わなければならない.彼らはベルギー人を排除しようとして、暴力行為を行ったのだが、その結果、流血の惨事を引き起こすことになったのである.彼らは、ベルギー人とも団結して、戦わなければならなかったはずなのだ.
どの様な世の中になったにしても、自分だけ得すればいい、一人一人のこの考えが改まらない限り、世の中は良くならない.
アナキストは全てを破壊することによって、全てを生まれ変わらせるのだと言ったのだが、破壊行為によっては、何も生まれはしない.
アナキストの言うことに反感を持ったランチェであったはずなのだが、最初はあくまでも平和理にと言っていた彼が、ストが長引くに連れ、(資本家が)死ねばいいと、過激な考えに変わっていた.そして、更には、スト破りの労働者を襲撃する.労働者同士の暴力に依る争いを行ってしまった.
食堂の主人、『負けると思うなら、なぜ皆を説得しない』
ランチェ、『たとえ俺達が命を落としても、後に続く者の大義に役立つ.憲兵に胸を打たれて死ねたら本望だ』
ストを契機に、娘、夫、息子、そしてまた娘と、死んで行くことになった.
皆、なんのためにストを行ったのかと言えば、生きるためであったはず.その指導者が、死んでも構わないと、考えているのは間違っている.あくまで生きて戦い抜かねばならないのだ、と、ゾラはランチェを最後まで生き残らせて、訴えている.
マグナカルタに始まるイギリスの革命は、少しづつ、少しづつ、王様の権力を奪い取る形で、数百年を要して成し遂げられました.フランス革命も同じと言ってよく、ある日突然、世の中の全てが変わると同時に、世の中の全てがバラ色になることはあり得ない.
なぜなら、国民自身が、ある日から突然変わることが出来ないからであり、国民自身が、よりよい方向に、少しづつ、少しづつ変化して行くことにより、革命は成し遂げられるのである.
描かれた彼らは、字が読めない者が多かった.そして、酒を飲む以外に楽しみは無く、子供を多く産み、その子供の稼ぎに頼って自分たちの生活を成り立たせていた.もっと言えば、物貰いで食料、衣類を得、時として娘を売ったお金で、普段よりは豪勢な食事をして喜んでいた.
まず、子供に頼ることを止めなければ、悪循環から抜け出すことは出来ないのだ、と、この点もゾラが描いた通りと言わなければならない.
後先のことを何も考えず子供を生み続け、子供のことを何も考えない、その彼らの考え方が変わって行かなければ、何も解決はしないと言える.こう考えれば、死んで後に大義を残すのではなく、例え今妥協したにしても、正しい考え方を見つけ出す道筋を、後に続く者のために残さなければならないはずであり、労働者たちは、今日のパンを求めたのであったが、今日のパンだけではなく、明日へつながる何かを彼ら自身が求めるように、変わって行かなければならなかった.
こう考えれば、今だけ良ければ構わないと考えるのも、自分だけ良ければ構わないと考えるのも、同じことと言える.
彼ら労働者たちは、資本家は俺達から搾取して焼け太っている、と考え、妬み憎んでいた.長年に渡って憎しみ続けてきたのであろう.子供の頃から、50年間炭坑夫として働いてきたお爺さん、ぼけて精神力の弱まったお爺さんは、心の奥底にある憎しみから、慰問に訪れた娘を絞め殺してしまった.
描かれた労働者たちは皆同様であったであろうか.貧困から来る妬み、恨み、憎しみが騒動を契機として噴出する.屋根から落ちて死んだ雑貨屋(店屋)の主人を凌辱する女たちの姿は正視に耐えない.ストを中止すれば裏切り者として襲撃する、その姿も正気を失い狂気に満ちていた.
決して人はパンだけのために生きているのではないはず.どんなに苦しいときでも、人としての優しい心を失ってはならないはずであり、それはパンより遥かに大切な心のはず.
お金だけが全てではない.憎しみ合うよりも先、人と人とが理解し合う心を忘れてはならない.
書き添えれば、
破壊行為、暴力に訴えてはならない.憎しみから暴力に訴えても、何も得るものは無く、また新たな憎しみを生むだけである.
自分だけが得すればよい、そう考えている内は絶対に世の中は良くならない.それは資本家も労働者も同じであり、理解し合い助け合って行くように、自分達自身が変わって行かなければならないのだ、そう気付くことが、芽生えであった.
ランチェとジャバル
以前からカトリーヌに思いを寄せていたジャバル.ある日突然現れたランチェに心を引かれて行くカトリーヌを、強引に自分のものにし結婚した.しかし、結婚しても、カトリーヌとランチェ二人の心に対する嫉妬は消えず、却って深まっていったのではないか.
他方、ランチェは、カトリーヌとジャバルとの関係を薄々知るに連れ、身を引いてしまった.....
カトリーヌ
ストに失敗し追い詰められ荒んで行く心.妬み、嫉妬、憎悪の感情しか持ち合わせない者達、憎悪の感情からでしか物事を考える事が出来なくなった者達の中で、彼女は愛する心を持ち続けていた.
リボン一本のお金の為に好きでもない男に身体を許してしまうことになった.彼女自身が母親に売られたことにより、荒んだ心になっていたのかも知れないが.....
好きな相手を求める尊厳を自ら失ってしまったが、相手の方から自分を求めてくれることを、微かな望みとして抱いていたカトリーヌであった.
スト破り、裏切り者と母親に罵られても、僅かな稼ぎによってスト中の実家を助けようとする.
結婚しても、自分の妻を疑り、妬む男.
それでも、直向きに相手を愛し続けようとするカトリーヌ.
人を愛することを忘れないカトリーヌ.だからこそ憎しみしか持ち合わせなかったランチェを、止めることが出来たでのあろう.
正義は憎しみあう心には無い.....
働くことも、ストを行うことも、どちらも生きるためなのだ.
働くにしても、ストを行うにしても、
自分だけが良ければと言う考えでは、何も解決はしない.
好きな相手に好きと言えなくなってしまった、愚かな自分ではあったが、それでもカトリーヌは自分を愛し続けようとした.
- スト -
ここまで来たら後には引けない.死ぬまで戦うんだ.死ねば本望だ.....
この言葉は自分を愛してはいない.
当然ながら、人も愛せない.
全ては最悪の結果に終わったのだが.....
当たり前の話であるが、労働者にも資本家にも、どちらにも良い人間も悪い人間も居る.
時代が変わっても、全く変わろうとしない者も居る.三井三池闘争は、見かけ上は労働者の敗北に終わったかに思えるが、それまで全く変わろうとしなかった三井財閥が、嫌々ながらも変わることになった出来事だったのではないか.
互いに歩み寄って妥協点を見いだす努力をする、その意志が有るか無いかに大きな違いがある.
『ジェルミナル』 - Germinal -
1993年 フランス 158分
監督 クロード・ベリ CLAUDE BERRI
製作 ピエール・グルンステイン PIERRE GRUNSTEIN
原作 エミール・ゾラ EMILE ZORA
脚本 クロード・ベリ CLAUDE BERRI
アルレット・ラングマン ARLETTE LANGAMANN
撮影 イヴ・アンジェロ YVES ANGELO
音楽 ジャン=ルイ・ローク JEAN-LOUIS ROQUES
montage HERVE DE LUZE
decrs THANH AT HOANG
CHRISTIAN MARTI
配役
ミュウ=ミュウ MIOU-MIOU
ルノー RENAUD
ジャン・カルメ JEAN CARMET
ジュディット・アンリ JUDI HENRY
ジャン=ロジェ・ミロ JEAN-ROGER MILO
ジェラール・ドパルデュー GERARD DEPARDIEU
ローラン・テルジェフ LAURENT TERZIEFF
BERNARD PRESSON
ジャン=ピエール・ビッソン JEAN-PRERRE BISSON
JACQUES DACQMINE
アニー・デュプレー ANNY DUPEREY
敗北を喫したランチェは、日記にこう書き記す.
『古い社会が消え、新しい社会が生まれても、不平等は残る.上手く立ち回る連中が、弱者を搾取し続けるのだ.解決策は無い』
言葉の通り、解決策は無い.自分だけ得をしよう、自分だけ得すればいい、こう考える人間がいる内は、解決策はないのです.
この点では、ストを行った彼らも同じであったと言わなければならない.彼らはベルギー人を排除しようとして、暴力行為を行ったのだが、その結果、流血の惨事を引き起こすことになったのである.彼らは、ベルギー人とも団結して、戦わなければならなかったはずなのだ.
どの様な世の中になったにしても、自分だけ得すればいい、一人一人のこの考えが改まらない限り、世の中は良くならない.
アナキストは全てを破壊することによって、全てを生まれ変わらせるのだと言ったのだが、破壊行為によっては、何も生まれはしない.
アナキストの言うことに反感を持ったランチェであったはずなのだが、最初はあくまでも平和理にと言っていた彼が、ストが長引くに連れ、(資本家が)死ねばいいと、過激な考えに変わっていた.そして、更には、スト破りの労働者を襲撃する.労働者同士の暴力に依る争いを行ってしまった.
食堂の主人、『負けると思うなら、なぜ皆を説得しない』
ランチェ、『たとえ俺達が命を落としても、後に続く者の大義に役立つ.憲兵に胸を打たれて死ねたら本望だ』
ストを契機に、娘、夫、息子、そしてまた娘と、死んで行くことになった.
皆、なんのためにストを行ったのかと言えば、生きるためであったはず.その指導者が、死んでも構わないと、考えているのは間違っている.あくまで生きて戦い抜かねばならないのだ、と、ゾラはランチェを最後まで生き残らせて、訴えている.
マグナカルタに始まるイギリスの革命は、少しづつ、少しづつ、王様の権力を奪い取る形で、数百年を要して成し遂げられました.フランス革命も同じと言ってよく、ある日突然、世の中の全てが変わると同時に、世の中の全てがバラ色になることはあり得ない.
なぜなら、国民自身が、ある日から突然変わることが出来ないからであり、国民自身が、よりよい方向に、少しづつ、少しづつ変化して行くことにより、革命は成し遂げられるのである.
描かれた彼らは、字が読めない者が多かった.そして、酒を飲む以外に楽しみは無く、子供を多く産み、その子供の稼ぎに頼って自分たちの生活を成り立たせていた.もっと言えば、物貰いで食料、衣類を得、時として娘を売ったお金で、普段よりは豪勢な食事をして喜んでいた.
まず、子供に頼ることを止めなければ、悪循環から抜け出すことは出来ないのだ、と、この点もゾラが描いた通りと言わなければならない.
後先のことを何も考えず子供を生み続け、子供のことを何も考えない、その彼らの考え方が変わって行かなければ、何も解決はしないと言える.こう考えれば、死んで後に大義を残すのではなく、例え今妥協したにしても、正しい考え方を見つけ出す道筋を、後に続く者のために残さなければならないはずであり、労働者たちは、今日のパンを求めたのであったが、今日のパンだけではなく、明日へつながる何かを彼ら自身が求めるように、変わって行かなければならなかった.
こう考えれば、今だけ良ければ構わないと考えるのも、自分だけ良ければ構わないと考えるのも、同じことと言える.
彼ら労働者たちは、資本家は俺達から搾取して焼け太っている、と考え、妬み憎んでいた.長年に渡って憎しみ続けてきたのであろう.子供の頃から、50年間炭坑夫として働いてきたお爺さん、ぼけて精神力の弱まったお爺さんは、心の奥底にある憎しみから、慰問に訪れた娘を絞め殺してしまった.
描かれた労働者たちは皆同様であったであろうか.貧困から来る妬み、恨み、憎しみが騒動を契機として噴出する.屋根から落ちて死んだ雑貨屋(店屋)の主人を凌辱する女たちの姿は正視に耐えない.ストを中止すれば裏切り者として襲撃する、その姿も正気を失い狂気に満ちていた.
決して人はパンだけのために生きているのではないはず.どんなに苦しいときでも、人としての優しい心を失ってはならないはずであり、それはパンより遥かに大切な心のはず.
お金だけが全てではない.憎しみ合うよりも先、人と人とが理解し合う心を忘れてはならない.
書き添えれば、
破壊行為、暴力に訴えてはならない.憎しみから暴力に訴えても、何も得るものは無く、また新たな憎しみを生むだけである.
自分だけが得すればよい、そう考えている内は絶対に世の中は良くならない.それは資本家も労働者も同じであり、理解し合い助け合って行くように、自分達自身が変わって行かなければならないのだ、そう気付くことが、芽生えであった.
ランチェとジャバル
以前からカトリーヌに思いを寄せていたジャバル.ある日突然現れたランチェに心を引かれて行くカトリーヌを、強引に自分のものにし結婚した.しかし、結婚しても、カトリーヌとランチェ二人の心に対する嫉妬は消えず、却って深まっていったのではないか.
他方、ランチェは、カトリーヌとジャバルとの関係を薄々知るに連れ、身を引いてしまった.....
カトリーヌ
ストに失敗し追い詰められ荒んで行く心.妬み、嫉妬、憎悪の感情しか持ち合わせない者達、憎悪の感情からでしか物事を考える事が出来なくなった者達の中で、彼女は愛する心を持ち続けていた.
リボン一本のお金の為に好きでもない男に身体を許してしまうことになった.彼女自身が母親に売られたことにより、荒んだ心になっていたのかも知れないが.....
好きな相手を求める尊厳を自ら失ってしまったが、相手の方から自分を求めてくれることを、微かな望みとして抱いていたカトリーヌであった.
スト破り、裏切り者と母親に罵られても、僅かな稼ぎによってスト中の実家を助けようとする.
結婚しても、自分の妻を疑り、妬む男.
それでも、直向きに相手を愛し続けようとするカトリーヌ.
人を愛することを忘れないカトリーヌ.だからこそ憎しみしか持ち合わせなかったランチェを、止めることが出来たでのあろう.
正義は憎しみあう心には無い.....
働くことも、ストを行うことも、どちらも生きるためなのだ.
働くにしても、ストを行うにしても、
自分だけが良ければと言う考えでは、何も解決はしない.
好きな相手に好きと言えなくなってしまった、愚かな自分ではあったが、それでもカトリーヌは自分を愛し続けようとした.
- スト -
ここまで来たら後には引けない.死ぬまで戦うんだ.死ねば本望だ.....
この言葉は自分を愛してはいない.
当然ながら、人も愛せない.
全ては最悪の結果に終わったのだが.....
当たり前の話であるが、労働者にも資本家にも、どちらにも良い人間も悪い人間も居る.
時代が変わっても、全く変わろうとしない者も居る.三井三池闘争は、見かけ上は労働者の敗北に終わったかに思えるが、それまで全く変わろうとしなかった三井財閥が、嫌々ながらも変わることになった出来事だったのではないか.
互いに歩み寄って妥協点を見いだす努力をする、その意志が有るか無いかに大きな違いがある.