映画と自然主義 労働者は奴隷ではない.生産者でない者は、全て泥棒と思え

自身の、先入観に囚われてはならない
社会の、既成概念に囚われてはならない
周りの言うことに、惑わされてはならない

にごりえ (公開 1953年11月23日 130分 今井正)

2013年10月26日 01時19分06秒 | 邦画その他
『にごりえ』 (公開 1953年11月23日 130分 今井正)

製作  伊藤武郎
監督  今井正
原作  樋口一葉
脚色  水木洋子
    井手俊郎
撮影  中尾駿一郎
美術  平川透徹
録音  安恵重遠
音楽  弾伊球磨
編集  宮田味津三


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第一話『十三夜』

出演   丹阿彌谷津子
     芥川比呂志
     田村秋子
三津田健


車屋は暗い夜道で、もう仕事とは嫌になったから、ここで降りてくれと言った.けれども、すぐに思い直して、自分が悪かったと詫びたのだった.
そして、互いに今一度会いたかった二人であるのに気がついた.好きだった娘が、何も言わずに別の男と結婚をしてしまい身を持ち崩してしまった男.彼は、会って話をしたかった、真実を知りたかったのだけど出来ずにいたのだが、再会を出来て話をする事により、相手の娘の気持ちを知り、相手の娘の言葉によって勇気づけられることになった.車屋は、会えなくなってから自分が身を持ち崩した出来事を、包み隠さず話しました.話の内容は、自分にとって辛いだけでなく、聞いている相手にとっても、辛いことであったのですが包み隠さず話しました.そして、『元のあなたに戻って欲しい』と、娘が差し出したお金を、『ありがとう』とお礼を言って、男は素直に受け取って、二人は別れました.





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第二話『大つごもり』

出演   久我美子
     中村伸郎
     滝岡晋
     長岡輝子
     荒木道子

放蕩者の若旦那は、後妻の母親が、行く行くは自分の実の娘に養子を取り、家督を継がせようと考えていて、自分が邪魔なことを良く知っていた.金の無心に帰ってきた彼は、用があるのは金を貰う必要がある父親だけであった.だから、そんな母親とは話しもしたくないので、自分が寝ている部屋へ、お峰と母親がやってきても狸寝入りを続けていたようだ.
「ああ忙しい、忙しい、誰か暇な人の身体を半分借りたいものだ」と、母親は寝ている若旦那を見ながら言ったのだけど、母親も若旦那が狸寝入りをしているのに気がついていて、聞こえよがしに嫌みを言ったのだと思える.だとすれば、あの時、母親に約束のお金を借りようとして、嫌みな言葉で断られ、お峰が困窮していることを若旦那は知っていたことになる.
原作の言葉を借りれば、お峰はどんな処罰を受けることも覚悟で、自分が金を盗んだことを話そうとした.話そうとしたときに、お金の代わりに若旦那の置き手紙が出てきて、お峰は救われることになりました.この結末を、お峰の優しい心、優しい行いが報われることになったと言う人がいますが、本当にそうなのでしょうか.
確かに、あの時、お峰が安堵の気持ちを抱いたの間違いないのですが、私の善行が報われたと、お峰が考えたとは思えません.もしそうならば、お金を盗んでしまった事以上に、浅はかな考えであったと言えます.
お峰は、若旦那の寝ている部屋に炭を足しにやってきて、一度は躊躇いながらも、若旦那の寝ていることを確かめてからお金を盗みました.『きっと、あの時、若旦那は自分がお金を盗むのを見ていたに違いない.若旦那は自分を救うためにお金をとって、そして置き手紙を残していったに違いない』お峰はこう考えたのではないか.そして、『若旦那に本当のことを聞いてみたい、若旦那の優しい心を確かめて、お礼を言いたい』、お峰はこのように考えたのだと思われます.

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原作の最後の部分、青空文庫をお借りします.

お峰が引出したるは唯二枚、殘りは十八あるべき筈を、いかにしけん束のまゝ見えずとて底をかへして振へども甲斐なし、怪しきは落散(おちちり)し紙切れにいつ認めしか受取一通。

(引出しの分も拜借致し候        石之助)

 さては放蕩かと人々顏を見合せてお峰が詮議は無かりき、孝の餘徳は我れ知らず石之助の罪に成りしか、いや/\知りて序に冠りし罪かも知れず、さらば石之助はお峰が守り本尊なるべし、後の事しりたや。

(明治二十七年十二月「文學界」 明治二十九年二月「太陽」再掲載)

『後の事しりたや』、この言葉が原作の最後の言葉です.映画でこの言葉を描ききれているかというと、残念ながら全く描けていないのではないか.映画を見ても解らなかったので、原作を読んで考えたことへの言い訳と受け取られても、否定はしませんが、金をせしめた若旦那が家を出るとき「お帰りですか」と言うお峰に、「(ここは俺の家だ)帰るんじゃない、出かけるんだと」と言い放った若旦那の言葉から、若旦那は間違いなく、また家に戻ってきてお峰に会ったはずと考えれば、原作の最後の言葉『後の事しりたや』がいかなる意味を持つのか、しっかり描く必要があったと考えられます.
それはさておき、『後の事しりたや』とは、樋口一葉は、この後がどうなったであろうか考えて欲しい、と書いて、作品を終えていると言えます.その後、若旦那が帰ってきたときに、きっと、お峰は、真実を若旦那に聞いたことでしょう.

原作の最後の部分
引き出しの中にお金が無く、代わりに石之助の書き置きが残っていた.それを見て母親も父親も、また放蕩息子がお金を取っていったと思い、お峰は詮議されることはなく済んでしまったのだが.お峰が育ての親につくした恩恵は、知らない内に石之助の罪になってしまったのか、いやいや、石之助は知っていて、お峰を守るために罪を被ったのかも知れない.後の事しりたや.

お峰
『あなたがお金を取る前に、私がお金を盗みました.けれども皆はあなたが全部のお金を取ったように思っています.私、どの様にお詫びしたらよいのか.....でも、本当は、あなたは私がお金を盗んだのを知っていて、私を救うために、自分が全部のお金を取ったように思わせる書き置きを残しておいたのでしょ.だとしたら、私はなんとお礼を言ったらよいのか』

さてさて、今一度、なぜ、こんなことになってしまったのか、振り返ってみれば.
お金に困ったおじさんが、お峰にお金の工面を頼んだのだが、おじさんはその事を反省し、『お峰にお金の工面を頼んだのは間違っていた.お金はもうよいので、お峰に謝って来て欲しい』と、おばさんに言って使いに出した.
おばさんは、お峰の所へやって来て、お峰に謝ったのだが、けれども盗んだお金を渡したら、おばさんは喜んでお金を受け取り、お峰にお礼を言ったのだった.

盗んだお金を渡したのでは、お礼を言われる筋合いではない.なんと雇い主に詫びたらよいのか.悩んで悩んだ、お峰だった.....


追記
原作では、子供がお金を取りに来たとき、既にお峰はお金を盗んでいて、子供にお金を渡しました.もう一度おばさんが取りに来て、お峰にお礼を言う出来事は、映画だけの脚色です.









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第三話『にごりえ』

出演   淡島千景
     杉村春子
     賀原夏子
     南美江
     北城真記子
     文野明子

お力は源七を破滅させ、彼の家庭を貧乏のどん底へ陥れたのだった.
お力は、新しい男、結城に取り入って、玉の輿に乗る算段を考えていた.自分が優しい女であるかのように思わせるために、お力は結城の目の前で、自分を鬼姉と呼ぶ源七の幼い娘に、お菓子を買い与えたのだった.
お菓子を家に持って帰った娘.それを知った母親は、怒ってお菓子を表に投げ捨てたのだが、源七は『優しくしてくれたのだから、お礼を言うべきことだ』と言って、妻を罵ったのだった.
だが、この時既に源七には、はっきりと解ったことであろう.言葉では妻を罵ったのだが、お力は妻の言う通りの女で、破滅させ貧乏のどん底に陥れた自分達を利用して、新しい男に取り入ろうとしている、まさしく鬼のような女であった.言葉とは裏腹に、お力に対して殺意が沸いてきた源七は、妻子を無理矢理追い出した.

お力は源七に詫びれば、こんなことにはならなかったはず.けれども、お力は、本来自分が詫びるべき相手に対して、お礼を言わせる行為を行った、その結果は.....








宮本武蔵 (溝口健二 1944年12月28日 55分 松竹)

2013年10月25日 17時30分38秒 | 溝口健二
宮本武蔵 (公開1944年12月28日 55分 松竹)

演出  溝口健二
原作  菊池寛
脚色  川口松太郎
撮影  三木滋人
武道指導 高野弘正

出演
宮本武蔵............河原崎長十郎
佐々木小次郎........中村翫右衛門
野々宮源一郎........生島喜五郎
野々宮信夫..........田中絹代


陸軍にしろ海軍にしろ、軍の部隊が駐屯する日本の地方の街の遊郭、芸者置屋は、軍人、兵士のお客で繁盛していました.けれど
も、戦争が烈しくなって軍隊が海外に進駐し、遊郭、芸者置屋の経営が成り立たなくなると、遊郭、芸者置屋も、軍隊と一緒に海外に出て行くようになりました.

兵法とは、戦の方法であり、兵法を探求するとは、戦争の方法を探求することである.
武蔵は小次郎との戦いの後、「自分には迷いがあった」、と言いました.女に惚れて、そしてその女に未練があったことを告白して去っていったけれど、つまりは、兵法には女は無用というより邪魔であり、女に未練を抱くような人間には、戦争を行うことは出来ないと言っている.

山本五十六が真珠湾攻撃の最中に、情婦に手紙を書いていたのは有名な話.
2.26事件の日、横須賀を離れて東京で女遊びをしていた米内光正が、事件発覚前に朝の電車で横須賀に戻り、事なきを得た話も有名.
空母加賀だったと思うけど、横須賀に停泊しているときに、船内に芸者を呼んでどんちゃん騒ぎ.
ビルマでは、上層部の軍人は、皆、なじみの芸者がいて、毎晩、毎晩どんちゃん騒ぎ.
辻政信と言う戦後、国会議員にまでなった軍人がいます.彼は海外の部隊に赴任すると、まず経理部に行って司令官の公用車の運行記録、芸者置屋への支払いを調べ上げて、「貴様、それでも軍人か」と、詰め寄ったそうです.これで、司令官は辻に頭が上がらなくなり、辻は自分勝手な命令を出しました.

慰安婦の問題だけではありません.ともかく日本の軍隊は女と切っても切れない関係にあったのですが、その様な軍隊では戦争は出来ないと、溝口健二はあっさりと描いています.


「武蔵の剣にも迷いがあった.曇無しとは言い難い.修行が足らん、修行が足らん」
「兵法道、一生の修行」
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戦時中の溝口健二の作品

元禄忠臣蔵
天皇の怒りをかえば逆賊である.逆に天皇の許しがあれば何をやっても許される.
聖賢(中国の賢人)の教えに従えば、国を守ることを考えるべきだが、我らは日本人なので武士の考えが優先される.と考えて、他人の家(他人の土地)へ押し入り、殺人を働いて国を滅ぼした話しを、太平洋戦争開戦に合わせて描きました.

名刀美女丸
名刀は熟練した刀鍛冶にしか作ることは出来ない.
優れた兵器は、熟練工にしか出来ないのですが、熟練工は兵士に取られ、当時の軍需工場で働いていたのは学徒動員の中学生、女学生ばかりでした.

郵便配達は二度ベルを鳴らす (ルキノ・ヴィスコンティ 1942年 140分 イタリア)

2013年10月21日 07時41分42秒 | ルキノ・ヴィスコンティ
『郵便配達は二度ベルを鳴らす』
監督  ルキノ・ヴィスコンティ
原作  ジェームズ・M・ケイン
脚本  ルキノ・ヴィスコンティ
    マリオ・アリカータ
    ジュゼッペ・デ・サンティス
    ジャンニ・プッチーニ
    アントニオ・ピエトランジェリ
撮影  アルド・トンティ
    ドメニコ・スカラ
音楽  ジュゼッペ・デ・サンティス

出演
マッシモ・ジロッティ
クララ・カラマーイ
フアン・デ・ランダ
エリオ・マルクッツオ


ジョバンナは、夫を殺した報いと言ってしまえばそれまでかもしれないが、最後は自分も同じように事故に遭う、不幸な女だった.
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沼地で、ジョバンナは一晩中ジーノを探し求めた.そのことを知ったジーノはジョバンナの正しい心を知ることになる.
パーティの日、スペインはジーノを探し求めてやって来た.窓からスペインの姿を観て、ジーノは嬉しそうに、店の外までスペインを迎えに出た.
人を探し求め訪ねる行為は、人を喜ばせる優しい行為である.ジーノは、スペインとジョバンナに自分を探し求められる、優しい行為に、二度、接しているのだけど.

けれども、刑事に追われていることを知ったジーノは、アニタに助けを頼み、彼は一人で逃げたのでした.そして、ジーノを助けたアニタは、一人残されて泣いたのです.
駆け落ちしようと、逃げ出したジーノとジョバンナ.その理由はさて置き、ジーノはジョバンナを置き去りにして、一人で行ってしまった.
人を探し求める行為、人を迎えに行く行為は優しい行為である.反対に、人を置き去りにする行為は、冷たい行為、優しさにかける行為である.ジーノは二度、好きな女を置き去りにしている.

ジョバンナはジーノからお金をもらいながら、夫にはもらってないと言った.アニタもまた刑事に対する言い訳に、「お金でもめたと言うわ」と言ったのだった.お金でもめたと言うことで、ジョバンナとアニタを結びつけて考えるように、描かれているのですね.ジーノに置き去りにされた、あの時のジョバンナは、アニタと同じように泣いたのでしょう.

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ジョバンナを置き去りにして列車に乗った一文無しのジーノは、車掌と当然のようにもめた.スペインに救われたジーノだったのだが、宿屋のおばさんと宿代の支払いで、またもめることになった.
『彼女はどうしても家と夫を捨てることができないんだ.貧乏をおそれてる』、ジーノは一緒に逃げることを躊躇ったジョバンナを、こう考えていたらしいけれど、一文無しでは、お金のもめ事ばかり起すことは、分りきった事のはず.

『ベットでは靴を脱いで』、宿のおばさんは戻ってきて、口うるさくこう言った.
『はいて寝るのは死人だけだ』、ジーノはこう答えたのだけど、靴をはいたまま寝るのは死人だけではない.浮浪者もいつもは靴を履いたまま寝ると思える.だからおばさんは、わざわざ靴を脱げと言いに来た.
トラックの荷台で寝ているジーノさん、よくそれで、おっこちないわね、って、聞いたら、ヴィスコンティが、靴を履いたまま寝てるのが、よく解るようにしろって言った、のか、どうか?.それはそれとして、店の中に入ってきたジーノの足に犬がまとわりつくけれど、ジーノのボロ靴を見せたかったらしい.

『彼女はどうしても家と夫を捨てることができないんだ.貧乏をおそれてる』
『(忘れようとしても無理だから)、できる限り遠くへ行くことだ(本当に好きな相手なら、遠くへ行っても忘れないはず.好きな相手のことは自分一人で考えろ)』
『遠くへ、その前に忘れなくちゃ.今は戻りたい気持ちでいっぱいだ.戻れたら逆らわずに彼女の言う通りにする』
『(俺の言ってることが分からない奴だな、同じことを二度言わせるな)、船に乗れ.海の空気が妄執を払ってくれる、(女の居ないところへ行けば、女の事を考えるだろう、たぶん)』

ジーノは靴を履いたまま寝る自分のことを、つまりは浮浪者は死人と同じだと言いながら、そのことを自分で分かっていない.だから、靴を脱いで、ベットの上で寝るだけの金のない男と一緒に、駆け落ちすることを躊躇った、ジョバンナの気持ちも当然分からない.



誰かが靴を履いたまま寝ている.


犬がボロ靴に纏わり付く.


『ベットでは靴を脱いで』、おばさんは戻ってきて言った.


『履いて寝るのは死人だけだ』、ジーノはこう言い返した.


お金のことで、ジョバンナは嘘をついた.


お金でもめた出来事で、ジョバンナはジーノを引き留めたのだけど.....


野宿して鶏を盗んで食べる生活は、死人と大差ない.ジョバンナには無理だった.


分ってと、頼んだのだけど、ジーノはジョバンナを置いて行ってしまった.一人残されたジョバンナは.....


アニタは刑事に、お金でもめたと嘘をつくことにした.


そのアニタも、ジョバンナと同じように、一人置いてきぼりにされて、泣いたのだった.


夫はジョバンナを召使のようにこき使う、冷たい男だった.自分は好きな魚釣りに夢中になって、遊んでばかりで、出かけたら何時帰って来るのやら.
ジョバンナには商売の才能があった.スペインが『金は天下の回り者』と言ったことを言っていたと思うが、ジョバンナはお金をかけてお金を稼ぐ才能に長けていたと言ってよい.それに比べて夫はケチの塊で、使用人に女の子すら雇おうとはしなかった.

さて、既に書いたように、ジーノは好きな女を置き去りにする、冷たい心の男だった.彼は、お金を欲しいジョバンナが自分を騙して夫を殺させたと思い込んでいた.自分は悪い男かもしれないが、ジョバンナはもっと悪い女だと思っていたようだ.
けれども、ジーノが夫を殺したのは、ジーノがジョバンナを欲しかったからに過ぎない.ジョバンナと一緒に暮らしたいから、ジョバンナの言うことに従って、夫を殺してしまったのだ.

今一度書けば、
夫はジョバンナを召使のようにこき使う、ケチで冷たい心の男だった.
ジーノは、好きな女を置き去りにする、冷たい心の男だった.
冷たい心が冷たい心を呼び起こすのだろうか、冷たい心と冷たい心が結びついて、犯罪は行われたのではなかろうか..
貧乏だったジョバンナは、金持ちの男と結婚すれば幸せになれると思い、年寄りでも金持ちの夫と結婚したのだが、相手が冷たい男だったので、幸せにはなれなかった.
そこでジョバンナは、お金がなくてもやっぱり若くて逞しい男の方がと、ジーノと一緒になることを望んだのだけど、けれどもジーノも女を置き去りにする冷たい男で、結局は犯罪を引き起こしてしまい、幸せになれなかった.

お金が有っても無くても関係ない.優しい相手と一緒にならなくては、幸せにはなれない.
一度では分らないかもしれない.だから同じことを二度描いて有るので、それを考えて欲しい.