映画と自然主義 労働者は奴隷ではない.生産者でない者は、全て泥棒と思え

自身の、先入観に囚われてはならない
社会の、既成概念に囚われてはならない
周りの言うことに、惑わされてはならない

夜の騎士道 - LES GRANDES MANOEUVERES - (ルネ・クレール 1955年 108分 フランス)

2013年02月10日 20時48分11秒 | ルネ・クレール
夜の騎士道 - LES GRANDES MANOEUVERES - (1955年 108分 フランス)

監督  ルネ・クレール
脚本  ルネ・クレール
撮影  ロベール・ルフェーヴル
    ロベール・ジュイヤール
音楽  ジョルジュ・ヴァン・パリス
出演  ジェラール・フィリップ
    ミシェル・モルガン
    ジャン・ドザイー
    ブリジット・バルドー
    イヴ・ロベール
    ダニー・カレル
    ガブリエル・フォンタン
    マガリ・ノエル
    レイモン・コルディ


アルマンとデュヴェルジュ
『君の虚栄心の犠牲にするのか』
『あんたのエゴよりましだろう』
アルマンと恋敵の男の会話ですが、どっちもどっち.二人ともルイーズを好きなのでしょうが、本当に好きであったにしても、二人とも、自分が好きだ好きだと言うだけで、相手の女性の気持ちを考えていない.

ローズ



『きれいな女性に当るといいわね』
『もちろん』
『きっとよ』
『きっとだ』
『もしも、きれいじゃなかったら?』
『君がいるからいいさ』 相手の気持ちを全く考えていない.自分の都合だけで言っている.


『洋服屋みたい、深夜営業の店の』
『これで、もう帰れるわよ』
『飲みすぎよ』
『戻る日を指折り数えてバカみたいだった』
『なぜ?、みんな喜んでるわ』
『優しいのは君だけだ』
『苦しんでるのね』
『きれいな女性?.あなたを愛してる?.人妻?』
『結婚するんだ』
『あなたとじゃなく?.どうして?、どうして?』
『帰るの?.もう来ない?』
『多分来るさ.忠告してもらいに』

この子は本当に素敵.アルマンも、『優しいのは君だけだ』と言ったのだけど.
賭だろうとなんだろうと、ローズは本当の素敵な恋になることを願っていた.
この子は、決して、恋愛を肴にして、笑いものにするような女の子ではない.
幸せを願う心で相手の気持ちを真剣に考える、優しい女の子でした.

アルマンとルイーズ

男の方は、騙すつもりが本気になったのかもしれないけれど、女の方からすれば、自分が騙されて好きになったのか、本当に好きになったのか分らなくなった、と言うことなのでしょう.
騙された女がバカなのか?、騙した男が悪いのか?.
騙された女がバカであったにしても、騙した男が悪いのは何ら変わることはありません.
なぜなら、騙されて好きになったのか、本当に好きになったのか、区別がつかない事なのですから.
騙された女が自分一人だけならば、好きになってしまえばそんなことはどうでも良いのだけど.





騙したことを本当に悪いと思うのならば、自分から身を引くべきである.と思ったのだけど、それ以前の問題なのですね.
アルマンは相手の気持ちは全く考えない身勝手な男、自分の都合でしか物事を考えない身勝手な男.




このような出来事は、相手の女性にとって悲劇以外のなにものでもなかった.




決闘で死んだと思っていたアルマンは生きていた.
悲劇が喜劇になるはずだったのだが.....
アルマンと結ばれたルイーズであったのだが.....
純真な恋愛感情は、賭の対象として弄ばされた.
真実を知るに従って、ルイーズにとっては喜劇が悲劇に変わっていったのだった.


巴里祭 (フランス 公開1933年 91分 ルネ・クレール)

2013年02月10日 11時37分30秒 | ルネ・クレール
巴里祭 - QUATORZE JUILLET - (1933年 91分 フランス)

監督   ルネ・クレール
脚本   ルネ・クレール
撮影   ジョルジュ・ペリナール
音楽   モーリス・ジョーベール

出演
     アナベラ
     ジョルジュ・リゴー
     レイモン・コルディ
     ポーラ・イルリ
     レイモン・エイムス


喧嘩と仲直り

窓を開けて、向かいに住むアンナと顔を合わせたジャン.おばさんが掃除にやってきて、風に吹かれて女の写真が落ちた.
ジャンは写真を立てかけたのだけど、出かけるときにドアを開けると、また風に吹かれ落ちたのだった.
『あれ、ない.持ってたんだ』
『なに?、写真?』
『覚えてるだろ、よく来てた栗色の髪の女、同棲してただろう』
『それで』
『出てったよ』
『ああ、そうだったね』
『ああ、あった』、踏んづけていた写真を見つける.
『何が?』
『写真さ』
『捨てたんだね』
『じゃ、もう愛してないんだね』
『厄介払いだ』
二人のおばさんの、やっかみに満ちた様な会話なのですが、でも、第三者の視点から、結構正しい事を言い表しているのではないでしょうか?.
風に吹かれて落ちた写真を拾い上げて、ジャンは眺めていた.そしてもう一度、立てかけて置いた.
出かけるときになって、また落ちた写真.彼は拾い上げ、しばらく写真を眺めていたけれど、アンナが鳴らすクラクション、写真を床にほかって部屋を出ていったらしい.
写真が飾ってあったと言うことは、彼はポーラに未練があったに他ならない.アンナに巡り合って彼女と仲良くなったので、突然戻ってきたポーラは邪魔だった.おばさんが言うように、厄介払いしたくって追い出そうとした様に思えるけれど.

明日、アンナと踊りに行く約束をしたジャン.彼が部屋に戻ると、勝手に出ていったポーラが戻って来ていて、ベットに寝そべっていた.
『何しに』
『あんたに会いに』
『出て行け』
ジャンはポーラと大喧嘩をして、出て行けと言ったけれど、どうしてもポーラは出て行かなかった.
『明日までだ』、そう言って、彼はポーラを残し散歩に出て行ったのだった.

母親が病気になり、踊りに行けなくなったアンナはジャンに知らせに来た.けれども、彼の部屋に女が居たことを知り、帰り際にはその女に出会う.
おばさん達は、アンナとポーラが顔を合わせ、喧嘩になることを期待したけれど、アンナは身を隠して、喧嘩にならなかった.
しかしアンナは、散歩から戻ってきたのであろうジャンと、喧嘩してしまったのだった.
あのおばさん達の話は、妬みに満ちて他人の不幸を願う、悪いことを言っているように思えたけれど、単純にそう言いきることもできないらしい.おばさん達の期待に沿うように、女同士で喧嘩した方が、良かったのではないのか?.

『ジャン、ジャン』母親が死んで、アンナは窓から彼の名前を呼んだのだけど.けれども、彼は祭りの広場にいたのだった.悪人の親分と一緒にいたポーラは、『ジャン』と呼びながら、ジャンに寄っていった.

誤解からジャンと喧嘩してしまったアンナ、と言いたいけれど、昨夜はあんなに嫌っていたポーラを、アンナと喧嘩したことによって、簡単に受け入れてしまったジャンも、許されないものがあると言わなくてはならない.彼が部屋にいれば、アンナが助けを呼んだとき、また二人は仲直りができたはずであり、誤解も解けたはすである.

泥棒の稼ぎの指輪が欲しくて、ポーラは親分に言い寄って行った.ジャンは再びポーラと別れるつもりになったのだろうか.彼はアンナに会いたくて元の部屋に戻ってみたのだけど、向かいのアンナの部屋には別人が住んでいた.気落ちしたジャンは、悪の仲間に戻って行っていた.それまでは、稼ぎの悪いこそ泥だったジャンが、だんだんと悪の道に身を堕として行くのか、いよいよ強盗の初仕事だった.
アンナが勤めている店とは、知らずにいたジャンなのだけど.
『今度いつ会える』
『もう会いたくない』
『無理もない』
やっとジャンは、悪の仲間と手を切らなければ、アンナに嫌われても当然と悟り、アンナもまた、悪の仲間にいても、悪いやつと喧嘩をして自分を救おうとしたジャンを、好きになることができた、と言うことなのでしょう.

本当は誰とでも喧嘩をしてはいけないと言いたいのですが.けれども悪いやつとは喧嘩してでも、きちんと別れなければいけない.
当然なことだけど、好きな相手とは、決して喧嘩をしてはいけない.
喧嘩をしても、どうしたら仲直りできるか、考えなくちゃいけない.
少し言い換えれば、
悪いやつとは喧嘩別れで構わない.
けれども、好きな相手とは、喧嘩別れをしてはいけない.

書き添えれば、あのお爺さん.いきなり女の子にキスしようとして、初めは許す事ができなかったけれど、でも、それほど悪い人でもなかったみたい.優しく接すれば、優しく答えるお爺さんだった.なにがなんでも喧嘩をしなければならない相手ではなかったでしょう.
お釣りをいっぱい貰ったけれど、元を質せばお爺さんのせいで、お店で花を売ることができなくなったのだから、貰っておいても構わないはず.
ダンスホールの出来事も、アンナは、あんな風に喧嘩することも、なかったのではないか?.お爺さんとはともかくとして、お店の人とは、仲直りのできないような喧嘩を、してはいけなかったはずである.

2016/04/03
悪い女(悪い奴等)とキッパリと別れないと、幸せにはなれない.
勝手に出ていってしまった女、悪い女のはずなのに彼には未練を絶ちきれず、部屋には未だ女の写真が飾ってあった.けれども、彼は向かいの家の女の子アン好きになって、戻ってきた女を何とかして追い払おうとした彼だった.
しかし、アンと喧嘩をしたら、また悪い女とよりが戻ってしまい、更には女の手引きで悪党仲間に引き込まれてしまった.そして、女が悪党のボスと仲良くなって、結局は女とは別れたのだけど、それでも彼は、悪党の仲間から抜け出すことが出来ずに居た.

彼は悪党仲間を裏切って、どうにかアンを救ったのだけど、けれども今度は、店の主人にアンが泥棒の仲間と思われて、アンは首になってしまった.好きな女の子に巡り合ってから、悪い女と別れようとしても遅い.悪党の仲間から抜けようとしても遅いのだ.
何よりも先に、悪い女(悪い奴等)とキッパリと別れないと、幸せにはなれない.

--------------------------------
この作品を、チャップリンの『街の灯』からのパクリだと言う人がいるのですが、それは違うと思います.
『街の灯』は、酔っ払いの金持ちを助けたので、そのお礼にお金をもらっても当然であり、一度くれると言いながら気が変わったのだから、盗んだのではないと言いたいようなのですが、盗んだお金に変わりはありません.あの映画の幸せは、救われた娘が、自分を救うために男が何をしたかを知らないから成り立つペテンであり、現実の世の中では泥棒をする以外に、あんな風に大金が手に入ることもあり得ないでしょう.(私も騙されました)
泥棒をして幸せになったのではいけない.だから、ルネ・クレールは、この映画を撮ったのだと思います.
この映画は、ジャンが強盗をして、アンナに嫌われてしまったけれど、彼は自分の力で真面目な生活に戻りました.そして二人が再びアンナと巡り会うことができた、そこに好き合った二人の幸せがあるはずです.
元々はアンナににキスしようとした酔っ払いおじさんが悪いのであって、アンナは貰ったお金で元の花家さんに戻ることができたに過ぎません.


アンナと心が通じ合うものがあったのに.....
勝手に出ていった悪い女を、思い切ることが出来ずに居た.








花売り娘の女の子、返すお釣りが無いと言ったら、
酔っ払いおじさんが「すまなかった」と言って、お釣りをくれた.


悪いのは酔っ払いおじさん.酔っ払いおじさんがキスしようとしたから、アンナはレストランで花を売ることができなくなった.彼女は酔っ払いおじさんから沢山お釣りを貰って、元の花家さんに戻ることができたらしい.

ル・ミリオン - LE MILLION - (ルネ・クレール 1931年 81分 フランス)

2013年01月23日 00時37分18秒 | ルネ・クレール
ル・ミリオン - LE MILLION - (1931年 81分 フランス)

監督  ルネ・クレール
原作  ジョルジュ・ベル
脚本  ルネ・クレール
撮影  ジョルジュ・ペリナール
音楽  ジョルジュ・ヴァン・パリス
    フィリップ・バレス
    アルマン・ベルナール

出演  アナベラ
    ルネ・ルフェーブル
    ポール・オリヴィエ
    ルイ・アリベール
    コンスタンタン・シロエースコ
    オデット・タラザク
    レイモン・コルディ




ベアトリスは頼まれた縫い物、ミシェルの服を届けに言ったのだけど、ミシェルは浮気をしようとしていたので、彼女は服を持ったまま自分の部屋に戻ったのだった.この時、服を返してもらっていれば、こんな騒ぎにはならなかった.
『愛人を部屋に入れるなら、かぎを閉めて』と、ベアトリスは言ったけれど、
部屋にかぎをかけ忘れたのがいけないのではなくて、ミシェルの言葉によれば、ただの婚約者らしいけれど、婚約者がいるのに浮気をしようとするやつが悪い.







プロスペール、お金を独り占めしようとした彼は、一文にもならなかった.ミシェルが言ったように、半分ずつ分けておけばよかったのだけど.









泥棒、すり、強盗、義賊の彼らは悪事はなんでも有の集団らしい.彼らの隠れ家は当時にしてみれば近代装備で、そして、統率の執れた集団だった.
彼らの親分、悪の総統のチューリップ親父は、ピアノが上手.彼はインテリだった.そして、上着を取り戻すために、彼らはオペラ座に出かけて行ったのだけど、オペラを観た手下たちは、感動して涙を流していた.
ドタバタの末、一度はミシェルの手に戻った上着を、彼らは強盗をして奪っていった.そして、ミシェルから奪い取った上着を、チューリップ親父はベアトリスとの約束を守って、ミシェルに返しに来たのだった.だったら、強盗なんかしなけりゃよかった.その通り、強盗なんかしてはいけないのだ.






『この世はお金が全てじゃないけれど、お金はやっぱりありがたい』
『百万長者になれて悪い気はしないはず』
『お金が全てじゃないと、インテリは貧乏人に言う』
『でも、その言葉よりも、お金の方がありがたい』



インテリのチューリップ親父は、ピアノが上手だった.お金ではない.
オペラを観て感動して、涙を流した.お金ではない.
約束を守って、上着を返しに来た.お金ではない.
インテリのチューリップ親父は、お金が全てじゃないと言ったのだけど、つまりは、お金が全ての泥棒なんか、してはいけないのだ.





幽霊西へ行く - THE GHOST GOES WEST - (ルネ・クレール 1935年 85分 イギリス)

2013年01月19日 04時17分27秒 | ルネ・クレール
幽霊西へ行く - THE GHOST GOES WEST - (1935年 85分 イギリス)

監督  ルネ・クレール
原作  エリック・コウン
脚本  ロバート・シャーウッド
撮影  ハロルド・ロッソン
音楽  ミュア・マシースン
    ミシャ・スポリアンスキー

出演
ロバート・ドーナット_____Murdoch Glourie
          _____Donald Glourie
ジーン・パーカー_________Peggy Martin
ユージン・パレット_______Mr.Martin
エルザ・ランチェスター___Miss Shepperton
ラルフ・バンカー_________Ed.Bigelow
パトリシア・ヒリアード___Shepherdess
イヴリン・グレッグ_______Mis. Martin






幽霊も末裔も幸せに

予想はしていたけれど、この映画何も書くことがない.
この幽霊、怖いのか否か.女狂いの幽霊という馬鹿げた話を、だからこそおかしく、だからこそ楽しく描く.
クレールらしいユーモアのセンスにあふれた映画、幽霊映画の元祖らしい.





















自由を我等に - A NOUS LA LIBERTE - (ルネ・クレール 1931年 86分 フランス)

2013年01月19日 04時08分33秒 | ルネ・クレール
自由を我等に - A NOUS LA LIBERTE - (1931年 86分 フランス)

監督   ルネ・クレール
製作   フランク・クリフォード
脚本   ルネ・クレール
台詞   ルネ・クレール
撮影   ジョルジュ・ペリナール
音楽   ジョルジュ・オーリック

出演   アンリ・マルシャン
     レイモン・コルディ
     ポール・オリヴィエ・ロラ・フランス
     ジャック・シェリー


自由と束縛







『自由な世界に、人が作った掟.規則に法律、礼儀、仕事に会社に家庭.ついでに監獄も』

『監獄』から脱獄し自由になったルイは、盗んだお金を元手に、街のレコード売りから蓄音機の販売店を経て、やがては蓄音機工場を成功させる.彼は働き者、頑張り屋だったようだ.けれどもその工場は、かつてルイの過ごしていた監獄そのままであり、監獄の囚人と同じように、労働者には監視がつき、『規則』に従って『仕事』を、労働を強制されている、束縛された世界だった.




やがてエミールも刑期を終えたらしい.彼は根っからの怠け者、野原で寝そべり自由を味わう彼を、浮浪者として『法律』に従って警察に捕まり監獄へ逆戻り.一輪の花を愛する彼であったのだけど、自由な幸せに満ちた世界と現実の隔たり、絶望した彼は死によって自由を求めたのだった.けれども神様は、死による自由ではなく本当の自由を、自由な世界をエミールに与えたのでした.
留置場を抜け出し自由を得たエミールは、ルイの経営する工場へ勤めることになる.規則とは無縁の彼は、工場の中で自由に振る舞い、社長のルイと再会する事になった.金が欲しいのだろう、と、ルイは思っていたのだが、エミールは単に昔の仲間との再開を、嬉しく思っているだけだった.

ルイは結婚したらしい.その家庭は『礼儀』に縛られた堅苦しい家庭だった.格式ばった堅苦しい会食の席、エーミールはその堅苦しさを破るように、飲んで食べて自由に振る舞った.ルイもまたエミールとの友情を思い出すとき、自由な世界を思い出したのであろう.こけおどしの肖像画に物をぶつけて、普段の鬱憤を晴らす.ルイの妻は呆れ返り怒って家を出てしまったのだけど、ルイは形式だけの、社会に対する礼儀のためだけの妻、浮気者の妻の家出を喜んだのだった.







エミールは会社の娘に恋をしていることをルイに打ち明けると、ルイは社長の権力、お金の力で娘との縁談を勧めようとした.けれども彼女には恋人がいて、それを知ったエミールは素直に身を引くのだった.人の心をお金で束縛することはできない.
昔の仲間の悪党に脅迫されたルイは、お金で悪党を黙らせようとしたけれどできなかった.やはり、人の心はお金でどうこうすることは出来なかったのである.
工場の利益の半分を分け前として要求され、所詮はそう遠からず警察にばれることを覚悟したルイは、お金を持って逃げることにしたのだけど.それも適わず、ルイは、全てを失う覚悟をして、労働者に工場を譲渡する事に決めたのだった.








労働は辛いことだったのだが、人間に代わって機械が働くようになって、
     人々の労働は楽しいことになった.
本当かどうか、知らないけれど.....
     そうなれば良いのだけれど.....

警察の追求から逃れてルイ自身が自由であろうとするとき、その時は同時に経営者が居なくなって、労働者にとっても、工場が自分のものになり、つまりは労働者も自由になるときであった.
クレールは、分かりやすく、労働者が働かなくても機械が勝手に仕事をしてくれる、新工場の完成として描いた、理想の世界を描いたのだけど.皆、幸せになるために働いているはずなのだけど、経営者も、労働者も、本当にそうなのかどうか?
風に吹かれて舞い散るお金を、皆が皆、夢中になって追いかける姿は、何を物語るのでしょうか?

ルイは、蓄音機の工場を成功させた.蓄音機の工場で多額のお金を儲けたのだけど、同時にそれは労働者を監獄と同じように束縛する行為であった.
娘の叔父は、お金欲しさに姪の縁談を進めようとしたけれど、それば娘の気持ちを考えない、娘を束縛する行為に他ならない.
お金が、風に舞う、そのお金を皆が、追いかけ回す.もちろん誰でもお金が欲しいと思う.けれども、沢山お金が欲しいと思い込んだとき、同時にそれは自分自身を束縛している、あるいは、お金によって自分自身が束縛されていると言ってよいのか.そして、夢中になってお金を追いかけ回す姿は、お金によって、自分自身を見失っていると言わなければならないでしょう.

『労働は義務である、なぜなら自由だから』と、学校で教えていたけれど、この言葉はおかしい.自由を得るために、労働は義務である、きっとこれなら良いのではないのか.
エミールは娘に恋をしたとき、ルイに工場において欲しいと頼んだ.いくら自由であっても、人並みに自由に恋をするには、やはり浮浪者ではいけない.
『自由と愛と青空は、幸せな人のもの』、人並みの自由を得るためには、人並みの幸せを得るためには、人並みに働かなくてはいけない.
監獄に入るようではいけないとは当然のこと、自由を得るために人並みに真面目に働きなさい、最後の二人の後ろ姿は、このように物語っていると思う.


2016/04/03
人は幸せになるために働くのである.
働くことが不幸なことであってはならない.