『浜辺の女』 -妄執- (1946年 71分 アメリカ)
監督 ジャン・ルノワール
製作総指揮 ジャック・J・グロス
原作 ミッチェル・ウィルソン
脚本 ジャン・ルノワール
フランク・デイヴィス
潤色 マイケル・ホーガン
撮影 ハリー・ワイルド
音楽 ハンス・アイスラー
出演
ジョーン・ベネット
ロバート・ライアン
ウォルター・サンド
チャールズ・ビックフォード
妄執を辞書で引くと、
迷った心で、物事に深く執着すること.
迷った心で、物事に深くとらわれること.
迷うを念のため国語辞典でひくと、
(1)道がわからなくなる(自分が分からなくなる)
(2)あれこれと思いなやみ、決断がつかなくなる
(3)まぎれこむ(これは関係なさそう)
(4)誘惑などに心をまどわす
バーネット中尉.彼は海難事故の悪夢に取り付かれている.迷った心で物事に深くとらわれている、と言ってよく、その恐怖から逃れたい一心で、恋人のイブとの結婚を急ぐのだけど、浜辺で出会ったペギーの誘惑に心を惑わす.結婚を約束したイブとペギーの関係、ペギーの怪しい魅力に取り付かれて、バトラーへの不信から崖へ誘い出す出来事など、ペギーとの出会いは、彼にとって妄執をより深めていったと言ってよい.
浜辺の女、ペギー.自分の過失により夫を失明させた良心の呵責に苦しみながらも、辺ぴな片田舎で暮らす寂しさから、若い男を誘惑する.良心の呵責から逃れることができない分、なおさら女として自由を求める心の迷いも深い.やはり妄執と言ってよいのでしょう.
画家のバトラー.絵への未練、妻に対する束縛、どちらにも深い執着があり、妻の肖像画を自分の一番の傑作として持ち続けている.
バーネットは幽霊が怖い.ペギーは自分を娼婦だという.画家のバトラーもまた、失明した画家の苦しみを、自ら認めることになった.三人三様の妄執、不可解な意味合いを含む会話、その会話を通して互いに互いの腹の中を探り合いながらも、次第に皆が本心をさらけ出して行った.確かにその本心はバトラーがペギーに言ったように、腐った心であったかもしれないけれど.
ペギーに対する愛の争い、釣りに出かけた小舟の上でバーネットはバトラーと自分の本心をさらけ出し対決する.「彼女を自由にしろ」「あの女は、自分以外は愛せない」
バーネットはペギーと一緒になりたいからバドラーを殺すのではなく、ペギーを単に自由にしたい、それだけの想いからの決断だった.
妄執とは、迷った心で、物事に深く執着すること.それから逃れるには、諦めて決断すればよい.ここまでは、国語辞典にあるとおり.
さて問題は、この後の成り行き.海難事故の恐怖、船が沈没して溺れ死にそうになった恐怖から来る妄執から逃れることのできないバーネットが、銛で舟底に穴を開け、船を沈めてバトラーと共に死のうとした.そして、漂流しているところを助けられ、バーネットは溺ぼれ死にそうになった妄執から逃れていた.至極ごもっとも、国語辞典も真っ青の筋書きなのね.
バトラーは絵を燃やし、バーネットも除隊と共に街を去る.妄執から逃れると共に、全てを捨て去り、何も無くなったこの映画、見終えた後も、なおも何か引きつけるものがあるのはなぜなのか.
ふざけた筋書きのこの映画、ふざけた筋書きとは全く気付かず、一生懸命考えたのだけど、ふざけた筋書きに気が付くとき、辞典を引くように妄執を描いただけの映画であるのが明確になる.つまり、妄執以外に何も無い映画を一生懸命考えさせる、それが妄執であり、妄執を描き、観客に妄執を抱かせる、真に芸術と言える映画なのね.