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戊辰戦争拾遺 窪田備前守の戦死について

2023年10月04日 23時45分31秒 | 歴史
戊辰戦争拾遺 窪田備前守の戦死について

歩兵頭窪田備前守(窪田泉太郎・窪田鎮章)は、歩兵第12連隊の一大隊を率いて、鳥羽・伏見の戦いに臨んで討死にした。戦死した日については諸説ある。会津藩儒者小笠原勝修の『續國史略後編』(明治8年)は、1月4日討死とし、勘定方として兵粮を担当した坂本柳佐は、『史談速記録』で、1月5日に被弾としているが、死亡については触れていない。

しかし、窪田鎮章の父、窪田鎮勝と従兄弟同士だった、川路聖謨の「東洋金鴻」によれば、討死は1月3日であるらしい。典拠不明だが、西村兼文編『文明史略』(明治9年)や「戊辰正月伏見鳥羽其他ニ於ケル東軍戦死者」(『渋沢栄一伝記資料』)も1月3日としている。

※追記
窪田鎮章が率いた大隊の所属連隊を「歩兵第11連隊」と間違って書いてしまったので、「歩兵第12連隊」にあらためました。
なかには、「第12大隊」としている文献もあるようですが、歩兵奉行並奉行?城和泉守が連隊長で、歩兵頭窪田備前守と歩兵頭並?大澤顕一郎が大隊長であったと思われます。

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