ちょっぴり腐女子な、つれづれ愚痴日記

 ぐだぐたな日々を愚痴りつつ、のんびり綴っています。気が向いたときに更新。

無事を祈っています。

2011年03月13日 | ニュース

 の予報。

 まずは、私に無事の連絡をくださった方々。連絡をありがとうございました。母とともに茨城や鎌倉に住んでいる親戚などの確認をしていましたが、被害が軽いところにしか連絡できませんでした。

 私が地震津波の一報を受けたのは、金曜日の夕方の会議中でした。別の会議に出ていたドンから、緊急にすぐテレビを付けるようにと指示がありました。何?と同僚と言いつつ、スイッチを入れると…。

 そこに映ったのは、津波で流される家々、船、車…。同僚の中には海辺近くでの勤務経験もある者がいて、呆然としていました。「福島には原発もあるのに…」と呟く者も…。その後の会議は一気に進みました。そして、みんな緊急対応の指示があるかも~と思いつつ、家路を急いだのでした。


 母とは、こっちに連絡するよりも向こうの親類の確認が大事だろうから、元気なら連絡が来るよと話しました。私が以前、体験した津波避難訓練(あくまでも訓練です。人口一万人ぐらいの町で…)に参加体験では、行政関係者と医療スタッフは、とても外部の人たちと個人的な連絡を取れる状態ではありませんでした。そのときは、地震による津波発生の想定ではなかったので、避難場所の中学校にはプールがあるため、そこからバケツで水をくんでトイレを流すということになっていました。もちろん、中学生や高校生が多数避難してくるので、それを男子中高生に頼み、女子中高生には小さい子どもとお年寄りに寄り添ってもらうと仕事分担を決めました。運動場には、海上保安からの救援物資やへりが止まれるように整備しました。

 それは地震ではないので、津波警報が出て30分から一時間での対応準備でした。


 今回はそんな時間もなかったと思います。それでも、海沿いの方たちは地震=津波というのは身に染みていらっしゃったと思うので、無事を祈ります。


 海外からたくさんの援助がありそうですが、さすがに韓国は近いので早く到着でき、米国や英国はどんなに急いでも飛行機で12時間以上かかるのは、仕方ないとはいえ、早い決断でありがたいと思います。

 今はまだ皆さんの無事を祈るしかない九州ですが、日赤熊本病院からは23人が派遣されました。このあとも、必要なら援助部隊が用意されるようです。

 昨日は九州新幹線が全線開通して、朝六時過ぎに一番列車が出て行きました。無事に着いたと地震情報の間に流れる地域ニュースのテロップで確認しました。ちなみに、予定されていたほぼすべての歓迎行事やイベントは中止・延期となりました。

 今日もの朝空を見つめ、普段の生活が送れる自分たちが、どれだけ幸せなのかを改めてかみしめたところでした。


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