拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  4回目の『日々是好日』・・・

2024年09月14日 | 東洋自分なり研究所

  先日どういったものか、ふと映画『日々是好日』を観たくなってAmazon・Praimeを検索してみると、あるじゃないですか〜!。

  今度で、4回目ぐらいか・・・と思うけど、もしかしたら5回目?かもしれない・・・。

 

  さすがの私も今回は、この映画の内容がスイスイと頭に入ってくるようで、進路に迷う主人公の女の子に、神様にでもなった気分で

  『心配することないよ… それでいいよ…』的な、すべてを見通せる全能感は、彼女らと共にすすった何杯もの抹茶ですっかり酔いしれてしまった感あり。

 

  そもそも、映画の冒頭・・・主人公が小学生の頃、家族でイタリア映画でフェリーニの『道』を観て帰宅するところから最初のシーンが

  始まって、映画の最後辺りに再び映画『道』について回想するシーンがあり、昔は幼かったためか、理解することが出来なかった映画が後に再び観て

  よく理解することが出来た・・・と、『時間を経ることで、解ること・・・そいうモノが茶の湯にもある』と、言わんがためのシーンであったと思うが

  その映画がたまたま『道』であった・・・というのが、『茶の湯』がつまりは、『茶道』であることを遠回しに比喩しているのが偶然か必然か?!

 

  いとこのミチコと共に始めた『茶道』・・・ミチコは希望の方面に就職、結婚、子育て・・・とどんどん自分の人生を踏み込んでいるようで

  主人公の典子は、いつまでも進路が決まらない自分に焦りながらも・・・ついには『茶道』を生涯の『道』とし、

 

  『 世の中には、「すぐ解るもの」と、「すぐにはわからないもの」の二種類がある。すぐわかるものは、一度通り過ぎればそれでいい。

   けれど、すぐにはわからないものは、フェリーニの「道」のように、後になってわかりだし、「別もの」に変わっていく。

   そして、わかるたびに、自分が見ていたのは、全体のほんの断片にすぎなかったことに気づく。・・・「お茶」って、そういうものなのだ。』

                                        ・・・(彼女の本『日日是好日』のまえがきより抜粋) 

   と言える人間に成長していた。 つまり彼女は茶道を永い時間をかけて『ライフワーク』に昇華していった。

 

  この映画全体を観て、凄い『禅』だなぁ・・・と思ったのは、やはり掛け軸の言葉が、茶の湯を修行する茶人に、いつのまにか

  『公案』となって心を刺激する『覚醒剤』の役割になっていることだ。そもそも映画タイトル『日々是好日』が、禅問答(公案)で、

  そういった『問いかけ』との出会い自体が、その人間にとってどれほど幸運であることか。

  また、『掛け軸は、読むものではなく、感じるものだ・・・』と、『考えるな、感じろ!』に気づく瞬間も描きだされていた・・・のも素敵だ。

 

  まぁ、日本を離れて三十数年・・・。 この映画で観るような見事な『道』の文化が、日本のいたる所に息づいている様をみるのはうれしい。

 

              

 

  



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