『還暦スキャン』を発明して、はや11年・・・還暦はとっくに過ぎてしまったが、退職身分のおかげでGTP以上に利用度が増えている気がする。
私がこれを発明したのではなく、そもそも『還暦』という『区切』を考えた東洋の祖先たちは、すでにその年齢の人が『スキャンする事』を想定していたはずだ。
孔子あたりが、人生における年齢の区切りを 『 志学(15歳)、而立(30歳)、不惑(40歳)、知命(50歳)、耳順(60歳)、従心(70歳)』
などと言っているので、もしや『還暦』もか?・・・と調べたが、彼ではないが、その起源はやはり中国であった。
『スキャン』するという意味では、『還暦』を60歳にしたのは案外現実的な判断が働いていて、流石(さすが)と思わざるを得ない・・・。
それ以前の年齢だと、『仕事』に気エネルギーの大半が消費され、『過去』についてスキャンする暇など持てないのが現実であった。(私の場合は)
私の人生にも時々『あれっ?!』と思う瞬間が何度か音連れたが、それを精査する暇もなく、その瞬間というのは時の流れとともに過ぎ去り、忘れ去られるのだ。
しかし、しかし・・・案ずることなかれ。人間の『脳』って、ちゃんと『還暦スキャン』が出来るようにできているらしい。
すっかり忘れ去ってしまったと思っていた事柄が『還暦スキャンモード』に入ると、不思議なほどちゃんと記憶が蘇ってくるではないか。
私は映画マトリックスでの、『赤のピルか、青のピルか?』・・・の選択を迫られるシーンが何故か好きであるが、これについて自身の『還暦スキャン』をしてみた。
私、馬骨にとってこのシーンに相当する出来事は、やはり何と言っても『禅修行』に行くか?どうか?の選択をしなければならなかった28、9歳の頃のことであった。
鍼灸学校に入ると、『待っていました!』…と言わんばかりに、二人の鍼灸の師が『仁王様』の如く『禅道』に続く門の入り口に立っていたことがスキャンによってわかった。
本当に彼等との縁がなければ・・・禅とは無縁であったであろうに。 小さな禅寺での数ヶ月の練習を経て、円覚寺居士林での学生接心の後に、この問題に決着をつけるべく
・・・と言っても、たぶん数ヶ月は私の心は迷っていた。
自分の性格上、一旦始めたらハマってしまうのはわかっていたから、ここは慎重に・・・と考えていた事を思い出す。
この時、私は『赤いピル』を飲む決心をした・・・そういったシーンが『還暦スキャン』をスローモーションにしてみて初めて観ることができた。
物事の『真相』というのは、心理の『深層』にまで『スキャン』しなければ、観えてこないものだと思う。
ちょうどその頃の馬骨。『赤いピルか?青いピルか?・・・』決断を迫られている図
『還暦スキャン』・・・このアイテムは60歳まで待つ必要はない。 むしろ若ければ若いほど『悔いを残さない判断』が出来るようになるだろうから。
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