拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  郷里の味

2024年12月15日 | 東洋自分なり研究所

  普段、私は駄洒落半分で『悟り』を『郷里・さとり』と読み込んでいるが、

  昨日あたりから、シャレ抜きで『郷里』というものを『味』という視点から再考察している・・・。

  ヨーロッパ滞在もじきに34年目になろうとしながら、今頃『郷里の味』に気が付いたのか・・・と思うと感慨深い。

 

  『郷里の味』というのは、郷里を離れたことのない人には絶対わからないであろう。

  特にそれが海外であれば、国内にいて『おふくろの味』・・・と言っているのとは、違う次元の『味』なのだ。

  私はそのことに、今日まで気が付かなかった。

  日本人だもの、日本食が恋しくなるのは当たり前だべや・・・と思い、それ以上でも以下でもないと思っていたのだ。

 

  スイスに住んでいて、近くの外国、フランス、ドイツ、イタリア、スペイン・・・に旅行に行く時、何故か

  私はその街の日本食レストランを検索しては、行こうとする(そしてだいたいがっかりする)・・・それを今日まで不思議に思わなかったが

  ついに、その事を不思議におもうようになったのだ。

  極端な話、この34年間、『郷里の味』日本食を思わない日はなかったのでは・・・と思うほどに日本食に『郷愁』を抱いていただろう。

  だから、ブログにせよ、Youtubeにせよ、美味そうな日本食をテーマにアップしているのを見ると、嬉しさと儚さが交察した複雑な

  気持ちになる。 

  現役で働いているスイス在住の日本人等は、毎年帰国、中には年に数回帰国している者も多く、私のように経済的に7年に一回帰れるか

  どうか・・・というような者にとっては、『郷里の味モドキ』で、無意識に我慢しているわけであるから、頭も禿げるわけよ。

 

  しかし人間にとっては恐らく『郷里の味』と同等か、或いはそれ以上に『郷里(さとり)の味』への渇望は狂わしいモノがあるのだ。

 

              

         昨夜はニコルのジュネーブの従兄弟の家に招かれ、『エスカラード祭』〜1602年『ジュネーブ対サボワ王国』(現東フランス)

         の戦いがあり、城壁を乗り越えて侵入してきたサボワ兵にたいして、婦人が窓から煮立った鍋を傾け、投げつけて撃退した逸話がある。

 

             

          それに因んで、チョコレートの鍋をその場にいる、一番若い者と、一番年寄り・・・つまり馬骨が指名されて・・・

          

          鍋を一気に叩き割る・・・という風習に参加した図 (若者の手の甲が叩き割る面にあったので遠慮なく叩きつける馬骨)

         (席を譲られる不条理的心理に若干陥った馬骨は、そばにいた婦人に対して、私より✗✗✗では?・・・という言ってはならない

          セリフをつい口走ってしまい、周りの人間から不興を買ってしまった馬鹿な馬骨)

  

  



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