拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  『神心説』と『人心説』

2024年12月23日 | 東洋自分なり研究所

  私はコペルニクスの『地動説』に、まったく関心を寄せない我が相方の無学に呆れる一方で

  確かに、『地動説』と『天動説』の違いを知ったからと言って、私らの日常生活に何の差し障りもない事実にも頷く今日此の頃。

 

  それでも16世紀当時、『天動(地球中心)説』と思っていた大自然の仕組みが、科学的観察によって実は『地動(太陽中心)説』であったと・・・

  コペルニクスによって教えられた聖職者たちは、内心おだやかではなかったであろう・・・じじつ、後年『地動説』を支持した学者

  ジョルダーノ・ブルーノ(1548–1600)は異端審問により火刑に処せられ、 ガリレオ・ガリレイ(1564–1642)も終身軟禁の刑を受けた。

 

  私は一連のこの話を耳にする時、

  自然の秩序に万全の信頼を寄せていた思われる、かの天才アインシュタインが『神はサイコロを振らない… 』と言ったセリフは

  その事情背景がまったく違うとはいえ、『地動説』を聞かされた当時の聖職者たちのセリフたり得ただろうか?・・・などと妄想したりする。

 

  そして、紀元前500年頃、釈迦が『仏陀』の名称を授かる理由となる『悟り』は、

  後に達磨大師が起こした『禅仏教』の根本理念『不立文字・教外別伝・直指人心・見性成仏』の『(直指)人心』を指向した結果であり

  自己から離れ天に向かって信仰する『神心』の宗教との違いを明確にした。

 

  しかしながらその後、時代がどんなに推移しても『神心説』、『人心説』というような『意識』を向ける方向性が

  『自己の内か外か?』というような事は問題にもならなかったが、・・・実はそれこそが問題ではなかったかと私は思う。

  まさか、人間の秘密(無敵兵器)が己の内にこそ在るなどとは、仏様しか知るよしもなし・・・ということであった。

 

  『神はサイコロすら振らない』生真面目な方であるとすれば、一方の仏は『遊戯三昧』と、遊び放題ではなかったか・・・

 

                    

                                 『 直指人心 』の図

  

  

  



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