拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

東洋自分なり研究所 〜 心の郷里

2022年12月06日 | 東洋自分なり研究所

  自分は『Z世代』じゃないだけに、選びきれないほどの映画やシリーズモノがネット配信される現状というものが

  まるで私の退職年齢にフィトさせたが如く、良く言えば死ぬまで退屈させないため、悪く言えば死ぬまでディープラーニングで

  生涯学習の奴隷化ではないかと思うほどの、このご時世に私は正直大いに『感謝』している・・・。

 

  先日、2017年に制作されたドキュメンタリー『Heroin(e)』、邦題は『ヘロインxヒロイン』を見た。

  『消防署長、裁判所判事、伝道師。それぞれ異なる立場からウエストバージニアにはびこる薬物問題の解決に取り組む

  3人の女性の姿を追ったアカデミー賞候補作』・・・という見出しがあった。

 

  タイトルの『Heroin(e)』はヘロインという薬物名であるが、それを服用すると一時的に英雄気分になれるるので

  ヒーロー『Hero』が語源となっているという。そしてこのドキュメントで活躍している3人は英雄的女性ということで

  ヒロイン『Heroine』という『英雄の女性形』、それと薬物の『Heroin』とをかけ合わせた言葉遊びとなっている。

 

  私の子供時代、映画やテレビを観てカッコいいアメリカに憧れる反面、だだっ広い土地に殺伐とした雰囲気を醸す地方都市の生活を

  ありのままに映した映画作品も結構あって、こういう一面もアメリカにはあるんだなぁ・・・とは思ったものだ。

  アメリカほどではないにしても、北海道の片田舎のだだっ広い風景、特に真冬の白一色の風景は、多感でありながら

  なんの目標も無い高校生だった頃の私には殺伐とした風景に映り、そこを脱出することだけが目標だったような気がする。

 

  しかし、このドキュメントを見ていて思ったのは、この3人の米風・観音菩薩のような人物等を別とすれば、

  一見同じ殺伐とした街並みであってもアメリカと違って、日本にはどこかしらに『心の乾きに潤いを与える如き場所』というのが

  それは神社仏閣であったり、辻に立つお地蔵さんだったり、そうしたちょっとしたものが人間に対して外に開かれて存在する事がわかる。

  西欧には教会があるが、中に入ってはじめて安らぐ事ができる・・・というのとちょっと違うような。

 

  第一、高校時代には殺伐感を抱いた私でも、もっと幼少期の思い出となると盆踊りとか、ローソク出せとか、神社にお参りに行ったこと

  など、地元の『祭り』に関する思い出が案外多いことに気がつく。

  日本の郷里には私達が思っている以上に、『悟り』という人間の本質に回帰しようとする本能に応える『郷里サトリ』があるように思う。

  それが一旦日本に来た外国人達が『日本』に『郷性』を覚える理由であり、日本で薬物問題が少ない理由であるように私は思う。

  

  日本の『郷里』は、山や川などの自然を背景に『神社仏閣』、『鎮守の森』、『祭り』など、温かい人間性の心の襞(ひだ)の現れとし、

  幼い頃からそれらに触れることの重要性を『伝統』として伝えてきた『湿気』のようなものが、人の『心』の乾きを癒す『場』として

  大切に重んじてきた歴史があり、アメリカの一地方のこのドキュメントを観て、改めて日本文化の真意に思い至ったのだ。

  

  

 

    

  

  11月下旬、スイスの首都ベルンにて一日だけの祭り『玉ねぎ祭り』へ行った時の写真。多分20年ぶりぐらいに行ってきた。

  『玉ねぎの飾り』を家のどこかに吊るして置くことで魔除けになるらしい・・・。 これもまた素敵な伝統。

  

 

  

  



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