『 張り過ぎず 緩め過ぎない いい加減 観音奏でる 琴ノ音の糸 』
『 琴線は 生死の糸よ 観音の 奏でる音色 慈悲と響けば・・・』
早朝寝床でうつらうつらしていると、こんな短歌が出てきた・・・。
早く書き留めなければ…と思い起きて書留め、日付をみると12月8日・・・嗚呼〜そうだ、お釈迦様が悟った日であった。
禅修行に関わった人にとって、12月8日は特別な日…としてそれぞれの心の奥に深く印される日である。
禅寺の僧堂では、その年の最後に行われる一週間の接心(集中坐禅)を『臘八(ろうはつ)接心』といって
釈迦の『悟りの日』を最終日に合わせた最も厳しい接心で、何か感じることが出来た人もそうでない人も
それぞれ何かを心の奥深くに印し、一生忘れない、いい意味で『トラウマの日』と言っても良いだろう。
こんな短歌が、12月8日の早朝にふと出てくるのも、そういった『御縁』の賜物だろう。
西洋の人々にとって『キリストの復活』こそ『奇跡』であろうが、そう言うのであれば東洋では『釈迦の悟り』が『奇跡』である・・・
などと思い巡らしていると、釈迦の弟子たちがその500年後に『大乗仏教』にまで押し上げた事も『奇跡』、
さらにその約1500年後、どこの馬の骨とも知らぬ私のような者にまで伝えられた事もじつに『奇跡』である・・・と、
奇跡づくしになったしまった。
『奇なるかな、奇なるかな。 一切衆生ことごとく皆、如来の智慧徳相を具有す』
『一仏成道して法界を観見すれば、草木国土悉皆成仏』・・・と、悟った釈迦は言ったそうだから、私が『奇跡尽くし』と思うのも
まんざら的はずれではないだろう。
『 琴線は 生死の糸よ 観音の 奏でる音色 慈悲と響けば・・・』 馬骨
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