拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

痛て〜っ!

2019年12月15日 | 観自在

引越し屋を退職して2年半にして、久々の腰痛は空前絶後に痛く、起き上がるも、床に伏せるも一々必死の状態を4〜5日足掛け一週間家から一歩も出ることができずにいた。

今日あたりから、腰が固まりながらもゆっくり歩けることが出来て外の空気を吸えた。

体のそれこそ中芯である腰が故障すると、全く動けない…という状態は自分の近未来をしっかり体験した思いだ。今は若爺イイだけど、本格的な爺イイになって痛い処があったら亀よりも動きが間違いなくノロくなるのだな〜。

今回自分はそういったのを受け入れて、床の中でアイパッドや携帯で世間のことを楽しく学べる喜びを味わい、少し動けるようになってからは松葉杖で家の中を亀のノロさでぐるぐる歩き回るのは、昔、禅修行のとき梅の木の周りを独りぐるぐる歩き回わったのを思い出しながら、本棚の本をいつもと違った視点から眺めることができた。

相方ニコルはせっかちなので、3日も4日も平気で床でゴロゴロしている宿六に不安を感じイラつき始めたが、まぁ5日目にはヨボヨボながら立ち上がることが出来たので安心したようだ。そういう、相方も今年の5月から膝痛を患い、ごく最近ようやっと痛みがとれた…という、夫婦そろって『痛い』年末であった。

痛い…といえば、思い出すのは坐禅の時の『足痛』である。

この痛みについて、坊さんも先輩も、専門書を読んでも誰一人としてそれについて述べている人をこれまで、見たことも聞いたこともなかったことが不思議であった。

当たり前のことであるから?それともどうにもならないことであるから?…なんだかしらないが、何故だれも坐禅に絶対付随の事項について誰も説明してくれないか不思議だった。

しかし、今は有り難いことに自分でその答えを得ている。

禅門を通るためには この両門に書かれている絶対条件が『今、ここ』であるからだ。

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  無欲には程遠い我々夫婦であるが、一応の目標にはしてある図


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